14/西川志乃が父に宛てた手紙(3)
お父さん、先ほどお父さんのベットから抜け出してきて、今やっとの思いで私は自分の家へ戻ってきました。私はいつもピルを飲んでいましたね。今日も、錠剤を飲みましたが、あれは全然違う薬です。単なる軽い頭痛薬です。いつもいつも、私はお父さんを騙していたのです。
今日も母はいません。結婚したと言ってもそれぞれの家を持ったままですので、母は普段この家を私に任せて、西川さんのお宅にいるのです。たまに帰ってきてもすぐ疲れた様子で部屋に引き揚げてしまい、私のよく知る母は、リビングの写真に写る女優のような笑顔の若い女でしかありません。まるで死に別れたか、違う家庭で暮らしているよう。お父さんの方が、余程家族のようです。
それでも、その帰宅の折々に、私は母を注意深く観察しています。母は歳を取りました。確実に老いています。そして、その老いはけして美しい老いではありません。醜く無益で疲弊に基づき浅ましい。こんな母は見たくなかった。眼尻による皺も、口元に浮かぶ年齢も、もっと美しくあるはずだったのです。
私は、母は祖母のように年を取るだろうと思っていました。鋭利で、薄く、研き抜かれた刃の気品を備えた女性になるとばかり思っていたのです。祖母は無駄なものを綺麗に削ぎ落とした後に残った黄金の彫像です。私はあの人に憧れています。母も、そうでした。
私は間違っていました。今でもそうだと思っていたのです。しかし現実には、母は祖母に追い付けず、激しい劣等感を抱えています。そして歪みができてしまいました。哀れな母です。可哀そうな人。
私には母の気持がよくわかります。辛いのでしょう。だから私と顔を合わせられないのでしょう。惨めなのです。自分がどんな姿をしているか、痛いほど知っているから。正せない過ちがあることを知った瞬間から、人間は孤独になるのでしょう。償える罪や止められる堕落や遣り直せる間違いなど、ほんの少ししかないのです。取るに足りないことなのです。
母も私も、それから貴方も、知っているのです。それ故に、母は私から顔を背け、私は貴方に微笑みかけ、貴方は私を受け容れるのです。それを知らない私の可愛い妹だけが、真直ぐに世界を見つめられるのです。
私の可愛い妹、愛しています。私はあの子を、心から愛しています。どうかお父さんも、愛して下さい。私と貴方のようにではなく。