12/高橋愁の再訪と西川氏志乃に対する失望
あれは父だと、彼女は言った。
自分は父と関係を持ったのだと、微笑みを湛えたまま彼女は言ったのだ。まるで当然のことのように。僕は唖然とした。
「――なにいってんのさ」
「聞こえなかったの?それとも、理解したくないの?」
僕は戦慄を覚えた。志乃は魔女だ。
昔、ロリータという小説を読んだ。義父と関係を持つ少女、ドロレス・ヘイズの物語だ。彼女は事もあろうか自分から義父を誘惑した。彼女たちは魔物だ。志乃も、ニンフェットだ。
「お前、」
「私は父が本当に好きだった。父が欲しかった。それが恋愛感情であるのかどうかは分からなくても、私の中に深い欲望がある。それは事実だ」
燦然と輝くディアナの幻想が僕の中で崩れた。
欲望?志乃に?
「で?君は何をしに来たの?」
まるで興味が湧かないという口調で言った。
「志乃がなんかやばいことしてるんじゃないかと思って――」
くすり。
魔女は嗤った。
「ふうん?」
「志乃――お前何なんだよ」
「それはこっちの台詞よ」
どこまでも冷たい言葉だった。僕は混乱する。
「幻想を勝手に押し付けられて、それが傷付いたから怒る、批判する。何、それ?私は皆の考えてるようなお嬢様じゃない。浅ましく薄汚れた犬に過ぎない。君らと同じさ。否――数段酷いか。それが何故いけないんだ?私は――もう、うんざりなんだよ」
そこまでを言い切ると、口元を拭って続ける。僕は何も考えられない。
「勘違いしているようだから教えてあげよう。私の父は私の物心つく前にもういなかった。母は父を憎み、父を求めた。同じように私を愛し、私にある父の面影を憎んだ。私は、完全に見える母があんなにも不完全な姿で求める父に憧れ続け、探し続けた。でも私は結局、母の娘だった。彼女と同じように父に強く惹かれた。一度でも父を手にした母が羨ましく、一層母が哀れで愛しくなった。私は父を誘惑した――」
するりと、口角が上がる。彼女は笑っている。これは誰だ?
今まで一度もこんな話は、志乃の家庭の話は聞いことがなかった。こんなことになるだなんて考えていなかった。僕は、恐怖している。
「そうよ――誘惑した。私は私の為に沢山の人を利用した。君もその一人だ。憎くはないのか?騙されたと言えばいい。裏切られたと言えばいい。何とか言えないのか」
「もういい」
「よくない。君が聞きに来たんだ。私は――自分の妹が羨ましく、妬ましく、愛しかったから、妹になりたかったんだよ。でも――私は、なれなかった。妹になれないのなら、せめて母になりたかった」
浅ましいだろう。
醜いだろう。
「これが私だよ」
志乃は泣いていた。堰切ったように言った言葉たちが僕には痛くて仕方がない。
僕は、そのままそこを去った。付き合っていた頃には数えるほどしか来なかった家だ。意を決してきたが、僕は激しく後悔した。