10/郷田彩香の視点、叔父に対する言及
この紺碧の下のどこかに、西川志乃が生きているのだ。
私は身震いをした。同じ空の下、同じ法則に則って、あの女が生きている。それは憎しみでもあり、慕情でもあり、正体の掴めない感情である。彼女のように、と私は考える。いったいあの人は何だったのだろうか。
私はゆっくりを自分に催眠術を施していく。緩々と瞼を下ろす。同時に私は父の顔を思い描く。父が私の中で完全に再生されると、私は父を殺す。父は床に崩れ、口からは白い錠剤が零れる。そうだ、と私は思い出す。そうだ、父は薬を大量に服用して自殺したのだった。何故。西川志乃のせいだ。少なくとも関係はしている。私はそう思わなくてはならない。そこまで考えると、私は瞼を開ける。私のしようとしている事とその理由を再確認して、正当性を自分に言い聞かせる。彼女をもう一度憎む。
人間は生きている。成長し、衰え、感情も移ろう。愛した人の顔も薄らぎ、永遠だった二人の世界も単なる通過点に過ぎなくなる。だから私は自分の一部をあの時に留めようとする。それなのに、残酷にも私は変化する。父の顔すら所々がぼやけている。獣のように今をただ生きることはできない。過去も未来も存在しないというのに。
私は現実に帰る。数学のプリントをたたみ、部屋を出て、階段を下りる。
私は父に似た姿を見つけ、ぎくりとし、我に帰る。
あれは父ではない。似ていても、あれは叔父の姿だ。
「武征おじさん」
「――彩香。どうした」
「いえ、大したことじゃないの。お時間は?」
「大丈夫だよ」
「それじゃあ――」
少し迷った。この人はどうやって切り出せばよく喋るだろうか。やはり単刀直入にいうべきだろう。
「――お父さんの話を聞かせて下さい」
久々に口にしたお父さんという言葉が空々しく聞こえたのは気のせいだろうか。叔父が目を細めるのが見えた。叔父は父よりも少しだけ背が高く、大柄だ。そのせいか叔父の方が大人物のように見える。
「智博の、何を?」
「そうですね――若い頃はどんな事をしていたんですか?」
叔父の黒く大きな眼が、ゆっくりと伏せられた。