第9話
研次がいくら裕福になったとはいえ、毎日部下達を連れて飲み歩くほど経済的余裕はない。
だから彼等に振る舞う場所は高くない居酒屋であることが多く、たまに二次会に及んでもスナック止まりでその頻度も週に1、2回だった。
それ以外の日は一人で安酒を呷り、インターネットカフェやサウナで終電まで時間を潰すのだが、そこを切り詰めるには或るラウンジに入れ揚げているという理由があった。
金のために良心を捨てた研次には家庭も落ち着ける場所ではなく、彼が人心地つけるのはここ以外にない。
初めてそこを訪れたの雪のちらつく寒い夜だった。
予定のない休日前、研次は明け方まで一人飲み直し、タクシーで帰宅するつもりでいた。
既に静まった雑居ビルが犇めく通りで灯りを目指し、辿り着いたスナックビルを見上げると建物の横に店名が入った電飾看板が色鮮やかに並んでいる。
その中でピンク地の白抜きでデザインされた“Heaven”の文字になぜか目を引かれた。
店の所在する3階に降り立つと二人の帰り客に見送りのホステスと鉢合わせになった。
よくある間の悪さに辟易としたがそこをすり抜け店の看板を探す。
『あった!』
そう思った時にホステスの靴音が速度を上げて近づいてくる。
研次が振り返ると彼女はその前に立ち塞がった。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。さぁ、どうぞ。」
初対面であるにも拘わらず、臆面もなく常連客を相手にするような機転を利かす女性に研次は興味を抱いた。
彼女が他の店の所属なら研次は間違いなくそこへ入店しただろう。
それが真知子との邂逅だった。
真知子はママを除く他のホステスの中では少し年配で店ではチーママのような役割だった。
それ故に“オバサン”的なネタで客や他のホステスから弄られていたが自分でもそれを広げて店の雰囲気を明るいものにしていた。
『俺は彼女が好きだったのか・・』
いつも朗らかで誰にでも優しく、気遣いも細やかな真知子に研次は恋心を抱いていたが実感していなかった。いや、本当は分かっていたのだが彼女は水商売のプロであり、その経験値の高さから全ては営業トークだと潜在的に言い聞かせていたこともそれをぼやかしていた。
ただ、そんな分かりきった気持ちを実感するのに彼は確認作業のように何度もHeavenに足を運んだ。