第6話
「・・岐司さん、私の評価は著しく低いようですが私も人に親切にしたことはありますよ。それはやはり罪が打ち消してのことなんですか?」
「・・確かに貴方は大きな間違いを犯しています。しかし人間はその多寡、大きさに差はあれど皆、罪を犯します。
何一つ罪なく生涯を終える人などいません。
大事なのは己の罪を悔やみ、恥じることなのです。心からそれを感じて他者に置き換えれば赦す心が生まれ、それが慈愛を生むのです。
貴方は罪を間違いと思っていないところがあります。まずそれが一点。
さらには親切というものは“してやった”といったものではないのです。徳のある行動というのは打算的なものではなく、さりげなく静かで見返りを求めたりしないもの・・そうですね、いわば誰にでも平等に陽を注ぐ太陽の如きものです。
有り体に言うとその心根が貴方には足りていません。」
「・・ではそれがなぜ必要なのです?」
自分の欠点を初見で見透かされ、的確に指摘された研次の心中は穏やかではなかった。かといって悪態もつけないし毒づくことはおろかそれを考えることも許されない。それを総括して出たのはこの質問だった。
「私達は皆、一種のエネルギー体なのです。
今、肉体を持っているようですがこれは現世とは異なるものです。
勿論痛覚もありますし、貴方も空腹を感じたでしょう。
但し、この隠世では身体が損害を被っても死ぬことはありません。また、すぐに再生されます。
少し話が逸れましたが、隠世も次元があって高次元の方々の放つエネルギーを他の世界が享受して総ての世界は成り立っているのです。
小さなことで例えるなら気分が沈んでいる時に仲の良い人と話すだけで持ち直したりするのはそれを分けてもらっているからです。
徳を高めるというのはそのエネルギーである幽波を高め、そこへ入ることに繋がるのです。
善行を行った時、相手が喜んでくれれば気分が良いでしょう?幽波はこうしたことで高まります。
しかし自分の良心に反することをすれば下がります。
これは波動ですので高い幽波を持つものは高い者と引き合い、低い者はこれに倣います。
まぁ、“類は友を呼ぶ”のような感じと言えば分かりやすいでしょう。
これは簡単に落ちますが上げるのは継続力が必要ですから難しくなります。
そんな苦行である現世に旅立つことを自ら志願した貴方達は勇気ある者なのですよ。
今は分からないでしょうが暫くここに居れば転生の記憶とともにそれも徐々に思い出すでしょう。
余談ですが、死ぬ直前に“生きてきた記憶が走馬灯のように蘇る”と前の世界で聞いたことがありませんか?その真相はこれに由来します。
話を戻しますが、最初に立った広場で力なく肩を落とした者達をご覧になったでしょう?
彼等はそれを思い出して後悔しているか、次の人生の条件の厳しさに転生を保留しているのです。
ここにはいつまでも居られますが彼等は常に飢えと乾きに襲われ、かといって死にませんし自殺という逃げ道もありません。
ここでは誰も転生を強要しませんが、罪の尻拭いも手伝えません。それは来世で宿命となって精算されます。つまり現世で罪を犯し、自ら命を断とうと逃げ得はできないのです。
『・・つまり俺は最下層の者ってことか・・』
岐司はどうやら自分の罪業を把握していると思って間違いない。
更にはどう考えても自分はその下層のレベルに属するのは疑いようもない。
それなら転生の条件も天を仰ぎたくなるようなものとなるだろう。
「岐司さん、気を悪くしないでください。・・疑う訳ではないんですが私はあなたと初めて対面しています。それなのに正確に私の生前の行い総てが把握できるとは思えないのですが・・」
「確かに初対面で見た目も子供の私に信用はないでしょう。ごもっともです。」
岐司は気を悪くするどころか照れたような嫌みのない笑顔で配慮が足りなかったと言わんばかりに頭を下げた。
研次は自分に手番が回ってきたことを確信した。ここが勝負所である。
「それでは証人を用意しましょう。貴方の歴史の黒い部分を私達も一緒に聴くことになりますが医者に裸を見せるようなものと思ってお気になさらず・・それと証言は一通り聴くまで止められませんがよろしいですか?」
誰が証言しようが研次は構わない。なぜなら四六時中彼を見張っていた人間などいないからである。
「では、俗名羽黒研次の常導神をこれへ。」
研次が了承すると岐司は印を結び、声も高らかに眼を天に向けた。