第5話
あの金棒を見ればここから先は悪心を出さずに相手を丸め込まなければならない。
監禁状態であるがここには警察などないし自分の味方もいない。頼れるのは現世で培った経験のみである。
研次は目を閉じ、集中力を高めるべく、一度ゆっくりと深呼吸した。
「・・来世って色々選べるんですか?」
まずは情報である。この世界の規則や仕組みを知らなければ始まらない。
そのうえで自分の足場を作り、交渉しなければ相手のいいようにされてしまう。
そう感じた研次は直感的に出来うる限り岐司からそれを引き出すことにした。
「ええ、その人の持つ徳に応じて許される範囲内ですが、人によっては金銭に困りたくない、飢えたくない、愛した異性とまた巡り会いたい、といったところから珍しい名前で生を受けたいと要望する方もおられます。」
『またそれか!?』
研次は“徳”という単語に辟易していた。ここに来てから苦痛と共に屈辱的な体験を味わわされているが、身に覚えのない原因としてそれが絡んでくる。
「その、それなんですがね、“徳”って何でそんなに大事なんですか?
私のイメージでは馬鹿正直に生きて人に奉仕して人格者になる・・みたいな感じのものだと認識してますが・・岐司さん、失礼ながら世のため、人のためなんて偽善ばかりしかないじゃないですか。
こう言っちゃなんですが世の中は正直者なんていいように利用されて損しかしない・・そうじゃありませんか?」
「・・少し曲解してますね。
まさしく現世は矛盾に満ちています。
なぜならそうあるべきだからです。
そこで殆どの人は何十年という人生の時間を費やしながら悲しみ、憤り、時には絶望を経験することで身を持って本当に大事なことに気づかなければならないのです。
その為に貴方が思う損な生き方は徳を積むうえで重要になります。
それは苦しい状況を加算させますが、そのなかにあっても己の悪心を抑え、正しきを実践していく為に大昔から現世の社会は基本的に変わらないのです。
加えて言えば人が欲多き罪深い肉体を持って生きなければならないこともそうです。
例えば食欲で言えば、飢えてこそ食べられることへの感謝が生まれるように本来人々は色々なことに感謝するべきで、それが他者への思いやりに繋ります。
現世とはそういう当たり前と思うことの大事さに身を持って気づく初歩の世界なのですよ。
そして徳を積むというのは何も全てを擲って人々に捧げるといったものではありません。
例えば相手がそれに反応せずとも笑顔で挨拶をするとか困っている人の手助けをできる範囲で行うなど、そんな小さなことで良いのです。
要は各個人が周囲の人々の幸福を願い、その為に考えうる行動を心掛け、自分の良心に恥じない生き方を継続していきながらその範囲を広げていくことが“徳”というものなのですよ。」
噛んで含めるように優しく岐司は語った。
彼の説明は分かる。だが、なぜそれが隠世で殊更に必要とされるのか理解できない。
娑婆では金がすべてと言っても過言ではなかった。それがあればあるほど発言力は増し、多くを持つ者に人は平伏す。それこそが実力であり評価だった。
それがここではなんの意味も持たず、一転して今まで研次が軽んじていたものが最も重要だと言われても現世とは余りにもかけ離れていて、とても承服できない。
「岐司さん、前の世界ではお金がすべてでしたよ。
皆がそれを多く得る為に競争しますし親もそれを望みます。金持ちになれば尊敬されるし人を雇うこともできます。それがいけないことなのでしょうか?」
「いえ、なにも財を得るのが悪いことではありません。財を成す本当に徳のある方も少なからず存在します。そういう方は家族を大事になさいますし派手な生活もされません。そして誰にでも優しいものです。
問題はそれが真っ当な仕事の報酬であるかどうかということと執着し過ぎないことです。
たとえば目先の利益ばかりを重視して従業員や家族を蔑ろにする経営者は一時的に成功しても長続きはしません。
いずれ必ず没落するか、大きな病気など災害に見舞われます。
私が言いたいのは感謝の心なく利益を独占し、自分の良心をねじ曲げて得たものは簡単に離れていくということです。」
研次は脳裏にじわりとした重圧を感じた。生前の生き様を岐司はどれくらい把握しているのかは分からないが、前述の話が自分に近いものを含んでいたからである。
それならば罪状がどれ程のものかを測り、自分の置かれた現状を知らなければならない。