第3話
「この人にも食べさせておやりなさい。」
事情をまだ飲み込めないまま空腹と憤りを抱えた研次の視界に先ほどの老人が入る。
「え、いやしかし・・」
「私が払いますから。」
「・・分かりました。でも知りませんよ。そっちの兄さんもいいですね?」
研次がにべもなく返事をすると店主は鼻で息を大きく吐いてそれに従いだす。
『何を勿体つけてやがる!人の良い爺さんが人に奢っただけだろう。大仰にすんなって!』
心の中で毒づく研次は一緒に飲もうと誘う老人に従い、彼の対面に座った。
老人が酒を注いでいるのも構わず、研次は簡単な礼を口にすると皿のものを箸で大きめに切り、取り皿に載せる。
そしてそれを机に一旦置くこともせず、大きく開けた口へと料理を運んだ。
そして咀嚼を三回もしないうちに 彼の顔は皺だらけの歪んだものとなり、さらに次の瞬間、彼は憚る間もなくそれを吐き出した。
『・・なんだコレは!?』
研次はその食物に香りからは想像のできないような異物感を覚えた。いや、口中に入ってから全く別のものに変わったように感じた。
これは凡そ食べ物の味ではない。
例えるなら藁の入った粘土に古臭い油を混ぜたような、そんな代物だった。
「そんなに慌てなさるから・・ほら口直しなさい。」
一瞬、研次は嵌められたかと険しい表情を浮かべて老人を見たが、彼は穏やかな表情を全く変えずに酒を勧める。そこには人を貶めようとする気配など微塵もない。
研次は用心深く杯の水面近くまで鼻を持っていき、臭いを確かめる。そこには不審な点どころか値段の張る中華料理店の記憶が甦ってきそうな高級な老酒の香りしかない。
『・・そういえば同じ甕に入ったものを爺は飲んでいるじゃないか。』
瞬時にそれを分析した研次はトラウマになりそうな食べ物の余韻を早く消し去りたい気持ちと芳醇な酒の香りにたまらなくなり、一気にそれを呷った。
『!?』
口中では芳醇な香りだったはずの酒が食道を通過しないうちに全く異質なものへと変化し、研次はその場で咽てそれを吐き出し、のたうち回った。
劇物が腹中に染み渡るとこんな感じだろうか。
喉と腹の中全体が焼けるように熱く、それに加えて研次の嗅覚は現世では味わったことのない、渋味と苦味の極みから作られたような異臭に支配された。
本能的にもがきながらも嘔吐するが体内に入り込んだものは排除できるどころか呼吸すら満足に許さない。
心配して駆け寄り、背中を擦ろうとする老人の手を払いのけ、研次は呼吸を整えにかかる。
飲んだのが少量だったせいか回復は早かった。完全ではないが転げ回るほどではない。そうなると苦しみは怒りへと変化する。
「おい!アンタ!一体どういうつもりだ!?」
店主と老人がグルなのかもしれないが、研次は手っ取り早く店主に絡む。
「だからアタシは親切で断りを入れたんですよ。隠世じゃね、自分の徳で手に入れたものしか自分の体が受け付けない仕組みなんですよ。何もアタシが変な物を出したんじゃないんです。」
「なんだそりゃ!?口を開きゃあ“徳”、“徳”って!つまらない嘘つくなよ!それともあれか?差別か!?俺がアンタになんかしたか!?」
『どうせ人も1人殺ってるんだ・・この際暴れてやるか!』
研次がそう思った刹那だった。
「おう!!なんや身の程を知らん礼儀知らずが元気にハネとんのかい!?」
研次の左の視界から2メートルはありそう大男が姿を現した。
彼は研次が少年時代に漫画で見た、古代中国の山賊を思わす黄土色のラフな服装に黒く太いベルトのようなものを締めた出で立ちで、腰には大刀が下がっている。
虎が吠えるような声と上から睥睨する目は研次のいきり立つ感情を瞬時に消し去った。
「官吏の旦那・・」
店主は揉め事を収めそうな人物の登場に安心したように呟く。
「いや、俺はそこの爺さんにご馳走になってただけなんです!そしたら酷いもんを出すんで事情を聞いてただけですよ。」
先の発言から大男が店主の味方なのはほぼ間違いない。それを察知した研次はこの場を脱するべく、話を短く切り上げようと弁明に走った。
「あぁん!?てめえ、御仁にご馳走になっときながら口に合わねえからと睨んどったやろ?
こちらのお方はな、お前みたいな者が一緒に飯食うどころか本来なら拝顔も叶わぬお方やぞ。そんなことも分からんのか!?
それにな、お前はのんびり道草食ってええ者とちゃうんや。
おら、とりあえず行くとこへ行くぞ。
ほんま低俗な奴は面倒ばかりかけやがる・・。」
「そこの大きな方。乱暴はいけませんぞ。」
研次を呼びつけ、連行する官吏に心配そうな面持ちで老人が割って入る。
「御仁、ご心配には及びません。単なる隠世の説明と娑婆での反省を兼ねたカウンセリングですよ。それに担当は私の仕事じゃありませんから。」
官吏は相好を崩して老人に深く頭を下げると有無を言わさず研次を連れ出した。