黄泉戸喫ーよもつへぐいー
多分の推測だけど、いきなり言葉が通じるようになったのは水のせいだと思う。ただ、水自体は普通の水だろう。
何でそう言えるのかと言えば、金髪さんも同じ水差しの中の水を飲んでいたから。
なのに私だけおかしくなったのだとしたら、それは、多分…。
「黄泉戸喫…?」
つまり、この世界の水を飲んだ事によって、この世界の住人になったって事なんだと思う。
でも、言葉以外に何か変化があったのか分からない。
ー文字が読めるようになってたりして。だったら便利だな。
「よもつへぐ…い?何だ、それは?」
「ええっと、私がいた国の神話に出てくるんですよ」
私はそのまま神話を、黄泉戸喫を説明する。
「私のいた国を創ったのは夫婦神なんです。女神のイザナミノミコトと男神のイザナギノミコト。イザナミノミコトは国を生んだ後、色々な神様を生みます。最後に生んだのは火の神様でした。イザナミノミコトは、火の神様を生んだ時に火傷を負って、黄泉の国、つまり死者の国に旅立ってしまうのです。ここまでは大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
金髪さんの返事に1つ頷き、説明を再開する。
「イザナギノミコトは嘆き悲しみ、イザナミノミコトを連れて帰る為に黄泉の国に迎えに行きます。ですが、イザナミノミコトは既に黄泉の国の食べ物を食べてしまっていた為、黄泉の国の住人になっていました。その為、イザナミノミコトはイザナギノミコトに『もう帰る事は出来ない』と断ったのです。その黄泉の国の食べ物を食べる事を黄泉戸喫と言います」
「なるほど」
金髪さんは、口元に手を当てて考え込む。
「つまり、君がここの水を飲んだ事が黄泉戸喫に当たる、という事かな?」
「はい」
「こちらの世界の食べ物、この場合は水を飲んだ為、こちらの世界の住人になったという事か。だから、言葉が通じるようになったと」
「はい…、多分…」
「何とも荒唐無稽な話だが、それは今さらだな」
金髪さんが、手を額に当てて上を向いた。そして、そのままの状態で大きくため息をつく。
だが、次にこちらを向いた時には、元の真剣な表情に戻っていた。
信じられない話に対して、折り合いをつけたって事だろう。
「他に何か変わった事は?」
「うーん。よく分かりません」
「そうか。体に不調は?」
「ありません」
「それは良かった。だが、少し休むと良い」
「いや、大丈夫ですよ?」
「君はさっき倒れたんだ。休みなさい」
私は、金髪さんの言葉に疑問を覚えた。
ーん?倒れた?
「あの、私、倒れたんですか?」
「ああ。覚えてないのか?」
「覚えてません!むしろ、自分が倒れた事が分かっていませんでした!」
「ああ、なるほど。確かにすごい苦しみようだったからな」
私がキッパリハッキリ告げると、金髪さんは納得したようだった。
「はい…。すごくすごくすごーーーく気持ち悪かったです」
そう。思い出したくないくらい、辛かった。
「そうか…。それは大変だったな」
金髪さんが同情してくれたので、私は一生懸命訴えた。
「大変でした!辛かったです!でも、そのおかげで言葉が通じるようになったので、ちょっと複雑です。あの気持ち悪さは嫌なんですけど、言葉が通じないのも困りますからね」
「確かに言葉が通じないのは困るな。私も最初に言葉が通じていないと気づいた時は、どうしようかと思ったぞ」
金髪さんが苦笑した。
「うぅ。お手数をおかけしました」
「いや。私は何もしてないよ。大変だったのは、君だろう?」
「えっ!?いやいや、何もしてないなんて事ないですよ!!」
私は慌てた。だって、金髪さんには助けて貰ってばかりいるから。
「私が月から降って来たっていう時に、保護して下さいました!それに、さっきも倒れた時にベッドに運んで下さいました!!ありがとうございます!!」
ベッドの上で正座をし、手をついて頭を下げる。私なりに、心からの感謝を表現する。
「いや、大した事はしてないよ。それよりも、頭を上げてくれないか?」
私は渋々頭を上げた。まだまだ感謝を表せてないんだけどな。
「気にしなくても良いから」
金髪さんは苦笑してそう言った後、穏やかに微笑んだ。
「それよりも、今日はもうゆっくり休みなさい。ここにベルを置いておくから、何かあったら鳴らすと良い。そしたら、執事のオルランドが来るから、オルランドに言えば良い」
私は金髪さんの言葉に甘えることにした。ちょっと疲れたからね。
「分かりました。色々とありがとうございます」
金髪さんは私のお礼に頷くと、「では、失礼する」と言って部屋から出て行こうとした。
ー待って!まだ行かないで!
「あのっ!!私の名前は雫。月ヶ瀬 雫と申します。貴方のお名前を伺っても宜しいでしょうか?」
金髪さんは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。
「ああ、自己紹介がまだだったか。これは失礼した。私はフィオレンツォ。フィオレンツォ・ディ・アドルナートだ」