上編 物語を造るもの
扉を押すと心地良いドアベルがちりんちりんと響いた。毎度迎えてくれる低く澄んだ音色は落ち着いた木造の内装に調和して、喧騒の渦巻く外とは別世界に来たような雰囲気に包まれる。
久しぶりの来店だった。
感慨深げにひとつ息をつくと、店奥から若い声が私を出迎えた。
「いらっしゃいませ」
目を向けると、まだ14、15程の少年がカウンターに立っているのが見える。
初めて見た店員だった。
大体、いつも店長しかこの店の中では見たことが無かったし、バイトにしても若過ぎる気がした。
私は年下の少年ににこやかな笑みを向けて首をかしげてみせる。
「今日は店長さんはいらっしゃらないの?」
「...遠出しております。明日には帰ると思いますが」
了承の返事がてらに微笑みを返して、背後にドアの閉まる音を聞きながら店内をぐるりと見回した。
あまり広くはない長方形のフロア。
落ち着いた色合いに纏められた調度品や、控えめな明かりを灯す小型のシャンデリアは、どれも品が良くて見入ってしまう。
二段の棚が壁に沿って奥のカウンターまで伸びており、フロアの中心には円形のショーケースが置かれている。
それぞれ並べられてあるのはファンシーなぬいぐるみやジュエリーの類、中にはお菓子や怪しげな水晶があったりして、一貫性など求めようもないものだ。
ぱっと見ても、じっと見たとしても、見た目だけでは何の店か分からないような品揃えだろう。
けれど私は迷わず右側のシェルフに足を向けた。
比較的スイーツ類が多いコーナーで、苺のショートケーキから桃のタルトまで。
ここだけ見るとケーキ屋のようだが、すべて片手にすっぽり包めそうなサイズで、小さなガラスケースに収められている。
端から端まで覗いて歩きながら目当ての商品を探す。
「...あれ?」
無い?もう1度往復してみたが、いつも切れたことのないその商品が今日は見当たらない。
すぐ横の壁に掛かった手書きのボードには『ご注文がございましたら一時間程度でお作りします』とあるし、実際に私もその場で作ってもらったことがあるくらいだ。
その店長が不在であるからには無理な注文だが。
仕方がないか。
帰りに本物のケーキでも買って帰ろう、と返しかけた踵が、たたらを踏んだ。
「なにかお探しですか?」
「...いつからそこにいたの」
尖った物言いになったのは故意にではない。
先ほどカウンターにいたバイトの少年が、振り返ればすぐ近くにいたのだから驚くのも当然だ。
危うく踏んでしまいそうな身長差も相まって心臓が一瞬止まったかと思った。
「僕はずっとこの店に居ましたけど...」
白い洗いざらしのシャツに紺色のエプロンという店長とお揃いの装いをした少年は、戸惑ったように黒目を揺らめかせた。
歳不相応な物腰はもちろんだが、間近に見て初めて彼の容貌がまるで人間離れしていると言うほどに端正であることに気付く。
髪と瞳を漆黒に塗りあげた洋製のドールのよう、と表現しても過言ではない。
思わず、妙な好奇心が芽生えた。
「あなた、バイト?」
「え?あ、いいえ、雇われているわけではないんです」
「じゃあ店番かしら。店長さんの身内なの?」
「んんと...まぁそんなところです」
煮えきらない言い方といい、本当にこの少年は見かけと中身が相応しくないようだ。
「じゃあ、あなたも作れるのかしら?」
少年はこの問いに、虚をつかれたように長い睫毛をぱちぱちとさせた。
「作れます。でも...お売り出来る程のものではありません」
「いいのよ。ラブストーリーだったらなんでも構わないわ」
「けど...」
そこでようやく少年の年相応さが出た。まるで母の言いつけに反して悪戯に手を出そうとして...いや、友達に唆されて悪戯に加担しようとしている...かのような。唆かしているのは私か。悪い大人だ。
けれど大人の好奇心に歯止めは効きにくい。
「店長さんには秘密にしておくから」
恐らく少年の気持ちを留めているのはここだろう、という場所にトドメを指す。
これは効果的だったらしく、いいでしょ?と促すと、ようやく渋々と首が縦に振られた。
ーーーー
ストーリーセラー。
と、この店の彼らはそう呼ばれている。
名の通り、その職業は物語を売ることだ。しかし従来の言葉が意味するところの、小説を書く仕事ではない。
頭の中で構築した物語をそのまま売るのだ。
彼らは脳内イメージを『見える形』にする脳科学技術を応用して、映画よりもリアリティやオリジナリティが直接的に反映される新たな創作形態『ストーリー』の造り手だ。
脳から取り出したイメージに修正や脚色を加えられた物語は、そのキーアイテムや世界観を象った模型に詰められて店頭に並べられる。
ここもそうやって造られた物語を取り扱っている、日本でも数少ない店の一つだ。
あまり広報活動をしないせいか客足は多いとは言えないが、店長は物腰が柔らかで人の良さそうな感じだし、造る物語も品質が良い。
私は数年前から給料日の御褒美として毎月ストーリーを買っていくが、1度も「ハズレ」を掴んだ試しが無かった。
「だから、期待通りっていう意味で、期待はずれなのよね」
カウンター向こうの作業場に顔を伏せていた少年が、何か言ったかとこちらを見た。私は笑ってはぐらかす。
ストーリーというものは感覚的に映画と同じだ。
イヤホンに似た先の円盤型になった二股のコードをこめかみの少し後ろに当てると、作者の想像した物語が頭の中に流れ込んでくる。
映画と大きく違うのは、最終的に物語を映像として成立させているのが、観る側の脳の働きという点だ。
例えば作者が『車』をイメージする。これは受け取ったものが同じものをイメージできるように数値化されるが、映像化されるわけではない。
作者側がただ想像した『車』は、受け取る側によっては赤いワゴン車であったり、シルバーの軽自動車であったりする。赤いワゴン車を想像すればほぼその通りのイメージを与えられるが、逆に本筋には全く関係ないような見えない部分の設定まで加えると、そちら側に意識が偏ってしまう。
作者側の想像力が緩ければ緩いだけ、物語は観る側の好みに合わせられていく。同時に多少の齟齬も出やすい。強すぎるとただの映画と化する。
その微妙な加減が大切なのだ、といつか見たテレビで知った。
だからこそストーリーセラーという職業は特別で、稀少なのだ。
物語を完結させるには、想像力だけでなく、創作者としてのセンスも持ち合わせていなければならないのだから。
私の知る限りでは、この店の店長は最高のストーリーセラーだ。特にラブストーリーに至っては、私のツボを完全に押さえていると言える。
以前足を運んだ若者に人気な都心の店では、情景は穴だらけなくせに甘いシーンになると映像がギチギチに固められているストーリーを掴まされたものだから、その1度の来店が最初で最後になった。
そこの物語がついに書籍化したのだとテレビで言っていたからズレているのは私の感覚の方なのかしらと心配はする。
なぜこんなに良い店があんな所よりと自分の身のように不憫に思った事もあった。
しかし蓼食う虫も好き好きと言うし、隠れ家喫茶のような雰囲気が気に入っているのだから賑やかでなくても良い。
1ヶ月に1度だけ、至福をもたらしてくれる。それだけで私にはとっては五つ星だ。
「あの...」
ぼんやりとカウンターの椅子に座って店の内装を鑑賞していると、作業場から声が掛けられた。少年は重剛でやたらメカニックなヘッドホンを手にしていて、それを今にも装着しようとしている間際だった。
あれは脳内イメージを読み取る装置だ。店長も同じような形のヘッドホンを使っているが、少年の手にあるものはそれよりもひとまわり小さい。専用の物があるということは、やはりこの子もひとりのストーリーセラーとして認められているということではないのだろうか。と私は勝手に期待をする。
「なにかしら?」
「すみません。お名前、教えて頂いてもいいですか?」
名前?
「...百矢よ。百矢日野。名前がどうかしたの?」
「いえ...」少年は少しはにかんだように笑んで、ヘッドホンをかけた。
「僕のものを買われる初めてのお客様なので、覚えておきたくて」
お時間がかかりますので、店を出られる際は一時間程度で戻って来てください。とマニュアル通りの台詞を照れ隠しのように捲し立て、彼は目を瞑った。
作業場の隅にひっそりと置かれていた大きなマシンが起動して低い音をたて、書込装置が作動し始める。
私は小さなストーリーセラーの初仕事の邪魔にならないよう、静かに作業場を後にした。




