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「真夏の夜の夢」第X章 リースとゲボ子が亡国の晴海で即売会を経験すること

作者: 大竹雅樹

八月某日。晴海埠頭。某展示場。AM『1:22』。


其処は塩味薄めで油控えめな言葉で口にしようとも、誰の目にも明らかな地獄絵図の戦場であった。


「こちら徹夜組殲滅部隊! 肉人どもの攻撃をB地区にて受けている! どうぞ!」


「こちら本部。現在の状況を報告せよ! どうぞ!」


「応援を頼む! 予想外の数だ! かなりやられている!」


「隊長! 怪しい社会人! 今なおも増加中! これはシャレになりません!」


「怯むな! オタクたちの正義はあたしたちにある! 諦めるな!」


数多の会話に焦燥と怒号が込み合い絡み合い、無線の電波に怒号と悲鳴が重なり合い混ざり合う。


「シイッットッ! この社会不適格者どもめ! くたばりやがれ!」


飛び交う銃弾。


「プシュ~~~~~~~~~ッッ ハァハァ……ふしゅるるるるる~~~~~」


押し寄せる肉。


「そったれが! 撃っても撃ってもキリがありゃしねぇ! いったい何匹いやがるんだ徹夜組はァッッ」


吹き荒さぶ爆風。


「なに? なんなのッ なんなんですかッ これはぁ~~~ッ」


「だから言った。ここは戦争。特にとりわけ三日目前日の設営は」


最後に異邦より戦場に訪れた可憐な花の如き少女が二人。


「畜生! 肉ども! ぐわぁっ! やめろぉ! ぎゃあぁあぁああ!」


「うわぁあああっ! 青山ぁぁぁっっっ! 青山ぁああっ!」


「諦めろ! ヤツはもう助からん!」


「うわあぁぁあああぁぁあああっっっっ」


幾重にも幾重にも積み重ねられる犠牲。


「ちょ、ちょ、ちょ、いや~ッ キャーッ 臭ッ 酸っぱッ こないでください~」


「ブっ、ルブルブルブルぶるまぁ! ぱらいそぉおおおおぉおっ!」


「プ……ぷしゅ~ぅぅ……いもうと……妹キャラの萌香にほい……くふへへへへ(しこしこっ)、ウッ!(ドピュ!)!」


「ぃゃやぁぁぁッ 白いのとか黄色いのとか酸っぱいのとかヘンな汁が~ッ」


「よし、よくやったフレキシブル隊員。肉人どもが一カ所に集まった。あとはオレら殲滅部隊に任せろ!」


「ブルマっ娘スキーの誘導御苦労様です。後は我々にッ」


「汚物は消毒だぁああぁぁあぁっ!」


吹き飛ぶ肉。飛び散る肉。焼け焦げる肉。


今日もまた祝福の是非を問わず、多くの命が誕生し、同じ数だけの命が散っていく。


「よしっ、第一波は全滅確認。全員、火炎放射器の燃料の補給を怠らないように。あたしは苦戦中の裏の駐車場へ向かう。

ここは任せた」


「ハッッッッ。ゲボ子・小隊長殿、ここは我々に任せください」


「死ぬなよ。何が何でも生き延びること。行くよリース、次の戦場は裏の大駐車場っ」


「あのッ、あのっ、私はもう帰りたいんですけどッ あ~~~~ッ」


己自ら修羅に入ようとも、逃げ場を求めようとも、行けども行けども安息の場所などあるはずもなく、

行き先も地獄なら此処も地獄、其処は地獄で何処も地獄。


「ヴぁあぁあああぁあぁぁあぁあ~~~~~」


「新刊~~~~~……ぼくのぼくのためだけのロリぃ~~~~~」


有象無象も数が揃えば脅威の存在。

群れ成すは魑魅魍魎。例えるなら雲霞の如き数の超暴力。湧くわ湧くわのダメ人間の大移動。


それは掃いても掃いても片付かぬ悪夢の中のゴミ掃除。

しかし手を休めてはいけない。一度でも押し寄せる肉に呑み込まれればソコでオワリだ。


「ちぃっ! 総員後退! 第三バリケードまで移れ」


「第二バリケードが突破されました! 釘バット砲の使用許可を」


「了解! 充電完了! 釘バット速射砲発射用意」


「ファイヤーーーーーーー!」


犠牲の上に更に重ねられる犠牲の果て。


誰もがその積み重ねられた屍の金字塔の先に、夜明けの平和と希望があることを信じて。


彼らはただ、ひたすらにオタクの正義の名のもとに戦い続ける。


「ゲボ子・小隊長殿、増援かたじけないッ あと数分遅れていたら総崩れで駐車場から乗り込まれるところだった。

感謝するッ」


「なんとか間に合ったか。防衛網の被害はどれぐらい? 部隊長は?」


「第三防衛線の被害は甚大。バリケートを三箇所も突破されました。主力の釘バット砲は予想よりも効果が低く、

現在は作戦Bの企業ブース限定販売のデコイによる疑似餌焼き討ち作戦に変更しています」


「スタッフの被害も半壊です。駐車場防衛部隊は一番星から三番星まで壊滅。御覧の有様だよ、ってところです」


「樋口部隊長も我々を後退させるための時間稼ぎに、カート一つで小売店が吹き飛ぶ量の地雷ソフトを大量に抱えて

肉人どもの海の中へ……見事な最期でした!」


涙を流す駐車場防衛隊たちの悲痛な報告に、ゲボ子は静かに瞳を閉じる。


世間にオトナのクセに漫画やゲームなんてと侮蔑されながらも誇りを守り続けた一人の戦士は、己の命を今日の

平和に捧げ、後々まで彼らの間で語られる偉大なる英霊となった。


「樋口め……最期の最期まで炎の如く熱き漢よ……安らかに眠れ」


真の乙女は涙の安売りはしない。ただ無言で黙祷を捧げ。握り締めた拳で哭くのみ。


「よし分かった! ここから先の指揮はあたしに任せんしゃい。リース、負傷者の手当ては頼んだから」


「えっ……えええええええええええええええええ~~~~~!?」


「現役女学生の生ブルマーは肉人でなくてもオタクには萌えの精力! 着てるのが外人というギャップがまた良し!

 いま負傷兵に必要なのは、欲望丸出しで生きたいという希望なんだ」


言っている意味はよくわからないが、とにかく凄い力説だった。


「おおおお~~~~現役の匂い……生ブルマーじゃあ~~~~~~」


「菩薩さまじゃあぁぁぁ……戦える……まだオレたちはまだ戦える!」


「あ~~~~~~~~っ、もうヤだぁ~~~~~~~~~~~っ」


怪我人は衛生兵役のリースに任せ、ゲボ子は駐車場防衛線の現状を確認する。その口から舌打ちが漏れるのに

二秒とかからなかった。


「くっ、予想以上に被害が多い。宅急便の移送や企業ブース設営に紛れて裏口から入るボケどもがこれほどとは!

 通信班! 増援を頼む!」


「現在、西砦の殲滅班および企業ブースの不法侵入組の処理終了を確認! 直ぐに別働隊が応援に向かいます!

 それまで頑張って!」


「何分ぐらいで合流できる?」


「二十分ぐらいです」


「ったく……それじゃ百億万年待てと言われているのと変わらない……」


そう通信機を片手に愚痴ったときだった。


「ぎぃゃゃやゃぁぁぁっ」


「やっ、やっ、山本ォォォォォォォォ!」


最終バリケードを守っていた兵士が、また一人散った。 


「ガッ……ガハァッ……ゲボ子さん……俺はもうダメです……」


「馬鹿ヤロウ! 傷は浅いぞ! がっかりしろッッ!」


ガッカリさせてどうする。


「クニの妻に伝えてください……ギャルゲばっかしている俺だけど……本当はお前のことを……ヒロイン以上に……

愛しているんだと……」


「あ……あと……」


「あと! なんだ!?」


「遺産分けで妻に発見される前に……抱き枕各種と……ねんどろういどと美少女フィギア……全部ネットオークション

あたりで処分してください……見つかったら恥ずいから……マヂに……死にきれない……」


がくっ。


「山本……やまもとぉおおおぉぉぉっっっっっ」


「だから結婚したら、見られたらヤバいグッズは処分しとけと言っただろうがァ」


普段、真面目な古典教師なんてやっているだけにバレたら浮かばれない。


「ぷしうううぅぅ~~~~!! ぼくのっ! ぼくののどっちぃぃぃ~~~~」


「新刊……新刊……幼……裸ランドセル……ぶしゅるるるるる……」


「~~~~~~~~~~~~ッッッ」


「……てめぇらの……」


「てめぇらの血の色は何色だぁぁぁッッッ!」


戦場で死んでいく兵士の残す最も多い最期の言葉を彼女は知っている。


『愛している』。


先立つ不幸。この世に残していく親や恋人や妻や我が子への未練。


二次元三次元オスメスを問わず、行き着く先は愛する人たちへ贈る言葉。


そして愛する者を残して死んでいく戦士の悲しみと同じ数だけの……


残された者たちの例えようのない哀しみを彼女は身に染みて知っている。


「山本……お前の燃え盛る命の灯火は消えても、その萌え盛る魂は常にみんなと一緒だ」


彼女は赤く薄汚れたバンダナで山本の血に塗れた顔を拭き取る。


つい数時間前までは純白だった布は先に倒れた戦友たちの血に汚れている。


そしてまた一人の戦友の血が布の中に染み込み、魂と志が赤の色として白を染め上げる。


「晴海名物『覇血巻ハチマキ』。お前の抱いた志と情熱! このあたしが受け継ぐ!」


名も知られぬ六人の英雄の魂を込めた真紅のバンダナを、ゲボ子は額に巻いて雄たけびを上げた!


「これ以上の犠牲を出してたまるか! てめぇら全員皆殺しだァァァァ!」


もう後退も迷いも臆しもしない!


戦友ともたちの魂に背中を支えられながら、圧倒的な前進制圧あるのみ!


「隊長! お供します!」


「一人で行くなんて水臭いじゃあないですか!」


「死ぬときは皆一緒です! みんなでそろって畜生どもを道連れに笑顔で逝きましょうや」


「隊長みたいに強くなくても、おいらたちだってコミック・ハーヴェストの秩序と平和を守る運営スタッフなんですからね」


類友ポンヨウ! 類友ポンヨウ


一人の仲間の応援が呼び水となり、やがてその意思は波紋となって正規兵から義勇兵へと広がり、天をも轟かせる快哉へと変化する。


皆が皆、世代も趣味も好みのジャンルこそ違えど、その胸に秘めた志は一つ。


「みんな……」


歓喜のあまりゲボ子は薄く涙を浮かべ、死地へ共に向かわんとする幾百もの類友たちを見た。

泣いてもいい。こういうときは戦士だって泣いてもいいのだ。


「いくぞ野郎どもぉぉっっ! 同人誌即売会の明日のためにも! 徹夜組どもを皆殺しだぁぁあああぁあっっ!」


「オオオオオオオオオオオオオオオッッッッ」


そんな盛り上がりの最中、およそ血生臭い戦場に似つかわしくない体操服にブルマーという珍妙な格好のリースは、

ゲボ子たちのノリにまったくついていけずに頭を抱えた。


「……もう」


なんでこんなアホな事態に陥っているかというと。


「もうイヤですっ、こんな生活ぅうううぅううっっっ」


物語は半日ほど前に遡る。


「おとぎの国につれてってやる」


唐突なゲボ子の誘いにリースはふたつの返事でOKしてしまった。


それがそもそもの間違いであった。


「おとぎの国、ですか?」


「うん、正式名称はコミック・ハーヴェスト。毎年、夏と冬に行われる超巨大同人誌即売会でね。明日の運営

スタッフの義勇兵を集めてるとこなんだ」


「はぁ」


もともと習いたての日本語というのもあるが、固有名詞が多くてリースにはうまく理解が出来なかった。


「どういう会なんですか?」


「うーん、なんていうのかなぁ、全日本から集まる漫画文学が大好きな趣味人が、プロアマ問わずに自費出版の

自作本を公開する夢の祭典ってとこかな~?」


「へぇ、すごいですね」


ものはいいようである。


正確には、全国から数万というオタクたちが肉汁と野生を噴出させながら、欲望剥き出しで我先にと肉汁で肉汁を

洗いながら同人誌を貪り合う餓鬼地獄だ。

もはや戦場とも言っていい。夏場は特に毒ガス兵器の撒き散らしなのだが、そこはあえて伏せた。


「すごいなんてもんじゃない。アメリカもアメリカでスタートレックとかマーヴェルとか、そっち系のイベントは

あるけど、やっぱジャパニメーションの本場の日本は格が違うな。あれそのものがファンタジーだ」


売り手は夢と希望と一攫千金のため、買い手は夢と希望と性欲発散のため。米国のSFファンの集いも相当なものだが、

こっちは会場規模も情熱の発酵度合いも次元そのもので向こうと違う。


「興味ある?」


「おとぎの国と言われたら、行くしかありません」


「おっけー」


……とまぁ、おとぎの国というファンタジー好きにはたまらない単語に釣られたのが失敗であったわけで。


まさか当の晴海に到着してみたら、おとぎの国じゃなくてオタクの国が待っていようとは。


「ああっ、おもいっきりだまされたぁぁぁぁぁっっっっ」


リース・フレキシブル15歳。純朴な少女が都会の厳しさを学んだ一幕である。


そんなこんなで、筆舌に尽くしがたいドラマがいろいろありまして。


「ふぅ……なんとか全滅させることができたか……」


近郊の電車の始発が始まる午前の六時前。

累々と横たわる肉塊の海の中で、ゲボ子は全てをやり遂げた漢の貌で額の汗をぬぐった。


「ぅ~~……なんなんですか。なんなんですかぁ~。此処は本当に日本なんですかっ」


「どっちかってと地獄の黙示録」


固有名詞で言われても意味が分かりません。


「お疲れ様でした小隊長殿、この激戦区の三日目前夜で20人未満の犠牲者で済ませたのは、このコミヴァの歴史で

歴代三回目の快挙だそうです」


配下の報告は光栄と言いたいが、自分の部隊だけでも六人も犠牲者を出し手前、手ばやしで喜ぶことも出来ない。


「……あの~……」


「山本、青山、町田、磯部、竹内、田辺……すまん。そしてありがとう」


六人もの犠牲を出したのか。それとも六人の犠牲で済んだのか……


「ひとまず前日徹夜組はこれで周辺二キロまでは壊滅状態か。肉人どもの死体は焼夷剤で完全に灰にしておくよう

各部隊に通達しておけ。雨が降ったときに細胞の一片でも生きてたら再生を始めるからな」


「……あの……」


「来永劫に白オタクと黒オタクの戦いは未だ終わらず……か」


「ちょぉっとぉッッッ」


「なんだ?」


「今更こう言うのもなんですけど、いったいなんなんですかコレは?」


「誰がどう見ても同人誌即売会の設営準備に決まってる」


「どこが」


「ここが」


非難めいた質問に対し、バッサリと即答で返す見事な切り返し。剣の達人は伊達じゃない。


「おもいっきり戦争じゃないですか。みんなで機関銃や火炎放射器を装備して、人間なのか肉なのか骨なのか

分からない生き物がウヨウヨ襲い掛かってくるし」


さらに徹夜組とか肉人とか新刊とか妹でブルマでハァハァぷしゅ~とか。


彼女も一応はファンタジー路線の世界に片足を突っ込んだ住人だ。異形や怪異にはそれなりに理解はあるはずなのだが……


さすがに西洋の民間伝承体系の王道ファンタジー世界とはベクトルが異なる【このテ】のモノには免疫がなかったか、

本人はかなりキツイ様子だった。


「世界一危険な街『ラ○ーン・シティ』ですか此処はッ」


「あんまり変わらんなー」


言い切った。


「同人誌即売会は夢と妄想を売る祭典だからな、ましてエロ本解禁の三日目はどうしても二次元キャラに魂を

売り渡した社会不適格者が大勢訪れる」


それでも人間の心を残している人たちは純粋に作品を楽しむために訪れ、オタク業界の発展を願って健全とは

言わないが必要最低限のマナーは守る。


でも、世の中には何処にでもバカはいる。


「社会の道を踏み外したオタクの中でも最下層。人の道すら踏み外し、己の欲望の達成のためなら他人の迷惑など

考えず暴走の極みを続ける連中。それが黒ヲタクこと『肉人』っ」


「肉人って……」


「そう『肉』。もう人じゃないの。まさに肉。自分さえ良ければルールなんてクソ喰らえ。心が腐ってるから

肉体も腐ってる。臭いし醜いし酸っぱいし目に染みるし人の話は聴かないし直ぐにキレて暴れるし」


「現実と虚構の区別ついてないし、あたしなんか初めての即売会のときなんてコスプレ参加が祟って自宅付近まで

ストーカーされたし、玄関まで追いかけてくるし。まぁ、そのあとハイキックの打ち上げから空中コンボ八連

キメて半殺しにしたけど」


他にも会場でロッカーを漁られたこともあるし、注意したら泣くしわめくし、爆弾メール送りつけられるし、

その他もろもろを含めて最悪! 最低! 醜悪! 思い出すと泣けてくる。


「徹夜の行列や入り浸りは周囲の居住区の人たちの迷惑になるから、絶対に止めてくださって運営が三十年も

再三忠告しているのに平気で徹夜するんだもんなぁ」


そいつら肉人を徹底的に駆除して、健全な一般参加者に迷惑が及ばないように勤めるのが準備会スタッフの

命懸けの仕事というわけだ。


「肉人はもう人間とは呼べないし、人間の社会ルールの最低限も守れない肉が人間のわけないし、人間でないなら

駆除しても罪にとわれないと」


「……壮絶すぎる」


同人誌即売会は人間の祭典です。

人間の最低限のルールを守れずに禁止事項を平気で破るようなモノは人間じゃありません。肉です。

人間じゃないモノに人権なんか無いですから彼女たちは徹底的に駆除します。


「この英霊たちの魂が染みこんだ『覇血巻』にかけて、これから四時までなんとか無事にしのがなきゃね」


「え? なに? もう終わりじゃなんですか?」


「なに言ってるんの? これからが始まりだぞ。午後の四時まで。撤去作業まではやれと言わないからさ」


現在が午前六時だから、あと八時間は続く。しかも本番はこれからだ。


「ちなみに途中で辞退および脱走はスタッフ不覚悟で切腹だからよろしく」


徹夜組の後始末を終えたら、今度は大事な一般参加者のお出迎えと列整理である。


「ひとまず電車の始発から一般の真面目なお客さんが行列はじめるから、そういうことで」


「ひえぇぇえぇえぇぇぇぇっっっ」


そんなこんなで。


準備会スタッフのお仕事も16:00を過ぎ……


即売会終了。会場整理。撤収。


トラブルもいろいろあったけど。


「これをもちまして第59回・コミックハーヴェストを終了いたします」


パチパチパチパチパチパチ。


コミヴァ終了のアナウンスと沸き起こる数千単位の拍手。


愛欲に性欲に金欲に、数万人分のありとあらゆる夢と希望と欲望と金を飲み込んで、年に二回の地上最大の

同人誌即売会がついに終了する。


それこそ数多の冊数の同人誌や何億にも達する銭が何万の人と共に飛び交った三日間にも及ぶ真夏の戦争が、

幾多の拍手の中で終わりを告げる。


「くたばったぁ~~~~~~っっっっ」


さすがのゲボ子も青色吐息で安堵のセリフを漏らした。緊張の糸が解けるとドッと疲れが出た。


しかし誰もが自然とコミヴァ終了の合図に合わせ、参加者全員が一丸となって拍手をして全てを締めくくる

光景は実に心地良い。


なぜ拍手をするのかは、たぶん誰にも分からない。


たった四半日の激動の苦労を労う気持ちが、今日という祭りを存分に楽しんだ感謝の気持ちが、同人を愛する慈愛が、

そんなさまざまな要素や想いが自然と拍手という行動を招き寄せるのかもしれない。


撤収を始める一般客とサークルの売り子たち。


積み上げられるダンボールの擦れる音。


片付けられる椅子と机の金属音が最終曲を合掌する。


ひとまず実行部隊である彼女たちの仕事は終わりだ。


あとは撤収班が片付けの全てを終わらせてくれる。


「たらいまぁ~~~~」


「コスプレブースの治安維持、御苦労さん」


「もう二度とやりませんから……こんなの……」


ぐったりとリース。


「なんだ、もうブルマはやめたのか。勿体無い」


「コスプレは3時で終了です」


「だいたい冗談じゃないです。汗かいて下着が透けるし、ブルマだブルマって五分に一回はカメラ持った人に

写真撮らせてくださいとか言われるし 撮っていいって言ったらアングルが明らかに股間と胸に集中するし」


「人気者じゃないか。それは立派な女として認められている証拠だ」


「むぅ……そりゃあ可愛いとか綺麗とか言われるのは嫌いじゃないですけど……」


「なに、最初はキツいかもしれないが、慣れるとヤミツキになる」


「もう~~~~やりたくない! 二度とスタッフなんてやりません!」


賢明なことなので二回言いました。


「なんにしても。終わったね」


ゲボ子はは腕に巻いた『覇血巻』を撫でる。


終わったよ。みんな。


お前たちの尊い犠牲は決して無駄じゃなかった。そう思う。


「んじゃ、こっちも撤収。家に帰るまでが即売会」


「はーい」


戦争のような祭りが終わる。


幾百千の夢の結晶が揃い踏み、幾千万の人が行き交い、幾億兆の札束が飛び回った祭典。


たった六時間の華々しい舞台の裏、半日の間、日の当たらぬ裏方で戦ったことも、過ぎ去ってしまえば真夏の夜の

清々しい悪夢と同じ。


残ったものは充実した疲れと掛け替えの無い思い出。


真夏の夜の夢は覚め、また明日から現実が始まる。


でも、夢は覚めても変わらぬものはある。


繋がる手と手の絆。


これもコミヴァが功労者に贈り付けた、豪華で粗品な嬉しい思い出。


こういう甘美な悪夢なら、もう一度ばかり見てもいいかもしれない。


祭りの終わり。


夢の終わり。


黄昏の後には現実の訪れ。


撤収作業を終え、戦利品の同人誌やグッズの詰まった荷物を担ぎ、現と幻の境目を二人は越える。


「あれ?」


ゲートを越えたあたりで、ふと違和感を感じて振り返ったリースが見たものは……


「会場が……」


それは夢か幻か。先ほどまであったはずの世界が目の前から消えていた。


振り返った先に広がる世界は、人の喧騒もなければ会場の施設の片鱗さえない、ただ灰色に満ちた無人の広場だけ。


「言ったろ? おとぎの国に連れて行ってあげるって」


呆然とするリースへゲボ子は素っ気無く言った。


「現実の晴海即売会はあたしが生まれた頃になくなって、今はとっくに有明に移転。ここにあるのは単なる残滓」


「ざん……し……?」


「迷い家伝承だの、隠れ里伝説だの、ビルにある幻の階層って都市伝説だの、まぁ、難しいことはよく分からないが、

つまりはそういう系統なのかな」


積み重ねられた人の想いはときに人知を超えた怪異を招く。


妖精界のように世界から切り離された異界、次元の歪みによる異界への門、現世に浮かぶ並行世界の蜃気楼、

この世界にはときに有り得ない場所に在り得ないモノが存在することがある。


「失われたはずの場所に今も焼きつく年に二回開かれる幻の祭典の記録。同人を愛した古参たちの記憶がカ

タチを成したものか、はたまた別次元の扉が開いたのか、それは誰にも分からないっと」


手土産がある。体感がある。経過した時間がある。愉しんだ記憶もある。夢でも幻でもない現。

確かに『あれ』は『そこ』に存在していたのだ。


人の理解の範疇を越える理の果て、いわゆる幻想世界、すなわち魔術の領域が。


ゲボ子がいつから人ならざる領域の『其処』の存在を認知し、毎年訪れるようになり、異界の運営に参加する

ようになったのか、その経緯は語らない。


「それって……おもいっきり異界じゃないですか」


「だから、おとぎの国」


おとぎの国は不可思議と夢幻想。そしてたっぷりの不条理で出来ているもの。


すべては真夏の夜の夢。あそこは現の人々が産み落とした人ならざる異世界。

そんな異界の住人たちのささやかなお祭り騒ぎ。


あれは現実とは切り離された『夢』と『幻』と称される異世界。ある種の桃源郷。

例えるなら、有明がなければ在りえたかもしれないもうひとつの晴海即売会の現実なのかもしれない。


きっと次回も彼女たちと同じく何処からか訪れたものたちが、ピュアな欲望が渦巻く阿鼻叫喚の地獄絵図を

面白おかしく堪能し、そして凝りもせず次回も訪れることを誓うのだろう。


「そんな大事なこと、最初に言ってくれなきゃ。こっちも研究対象としてもっと真面目に、あの世界の原理の追求を」


「いいのいいの。原理だとか細かいことは。楽しい不思議は楽しい不思議のまま、な」


とりあえず不思議の時間はオワリ。また冬までのお楽しみ。


「祭りは祭りとして愉しむべし。せっかくのマジックショーなのにタネあかしに躍起になるだけじゃつまらんよ」


それもまた道理。不思議は不思議のままにして夢物語を楽んでこそ華なこともある。

現を忘れる祭りならばなおさらに。


「あーあ、また明日から月曜日。ロジャーの小間使いの日々か」


「ま、しょうがないですよね」


「その前に、まずはメシにするか」


「ですね」


和気藹々と二人は現実世界の道に戻る。


空はまだ青く。


日暮れにはまだ遠い。


明日はまた勤勉に明け暮れる現実がやってくる。


だけれども……


「んー、じゃあ奮発して寿司にするか。このあたりにクトゥルカって謎の海産物を使った寿司屋があってさ」


「それ……たぶんSAN値が下がりますよ」


家に着く黄昏の時間までは、もうしばらく夢の残り香を楽しんでおこう。


そんな真夏の日のこと。


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