Q.どこまでするのがメイドですか? A.ここまでするのがメイドです!
さぁ、今日も仕事をしよう!
「ルル様〜、何処ですかルル様〜」
屋敷中を駆け回りながら私が言えば、ひょこり、と廊下の花瓶の置かれた机の下から小さな少年が顔を出した。
「そちらでしたか、ルル様」
この可愛らしい顔をした、たった八歳の少年。
この方こそ私の主、ルルシオ・ユン・セルシアラーク様だ。
正直に言えば、最初からそこにいらっしゃることには気づいていたのだけど、ルル様は私がワタワタと探している様子がお好きらしい。
前に一度、簡単に見つけてしまった時は、ひどく機嫌を損ねてしまったものだ。
「ルル様、そろそろお昼のお勉強の時間でございます」
「はぁい」
「ッ! ルル様!」
「え?」
ルル様がそこから出ようとした時、机にぶつかった。机の上の花瓶が揺れる。
落ちる!
そう思った瞬間、私の手は花瓶に伸びていた。
ガシリと花瓶の口を掴み、机や壁に当たらぬようにして大きく円を書くように回す。
水一滴、花弁一つ落とすことなく、花瓶は机に戻った。
「ふぅ……お気をつけくださいませ、ルル様」
「ごめんなさい」
反省しているように見えたので、分かってくだされば良いのです、と私はにっこりと笑った。
おもむろに右手をサッとあげる。
「お勉強の後には、お茶とお菓子を用意しておきますから。頑張ってくださいね」
「うん……うん? ナタリア、なんでナイフ持ってるの?」
「え?」
ルル様の言ったとおり、私の右手の中には一振り、それなりに大きなナイフが握られていた。
「ええと、これは……そこに落ちていたのですわ。いけませんね。危険と思い、拾っておいたのです」
「ふぅん」
ああ、危ない危ない。
ルル様は聡い方だから、うっかり気づいてしまわれるかもしれない。
私は右手のナイフと、そして新たに左手にも握られたそれをすぐさま背中に隠した。
「さ、お勉強の方へ行ってくださいませ」
「うん!」
パタパタと駆け出して行くルル様に、私はハァとため息を落として、ナイフが飛んできた方向へと歩いて行った。
「ルル様、お疲れ様です」
私が部屋にお茶とお菓子を運べば、疲れてグッタリなされていたルル様は、わぁいと歓声を上げた。
「今日はスコーンを焼いてみましたの」
「やったぁ! ナタリアのスコーン、美味しくて僕好きなんだ!」
「ふふっ、ありがとうございます」
その代わり、私はお茶の方はよく分からないから他のメイドに任せたのだが……。
クン、とその香りを嗅いで、私は思わずユルユルと首を振った。
「申し訳ありません、ルル様」
「なに?」
「茶葉が少し古い物のようです。後ほど、入れ直してまいります」
「別にいいよ、ノド渇いてないもん」
「ありがとうございます」
スコーンを食べ始めるルル様の後ろで、私はベランダに出た。
忍ばせておいた先ほどのナイフをふっと投げる。
何処かでグエッという音がして、何か重いものがどさりと落ちた。
「ナタリア、どうしたの?」
「いえ。何か野狐かなにかがいたようでしたので」
「殺しちゃったの?」
「いえ、追い払っただけです」
私は窓を閉め、カーテンに手をかけた。
「今日は陽射しが強すぎるようですので、カーテンを閉めておきますね」
私はベランダの外で何かキラリと光ったものに、コッソリ舌を出した。
郵便物が届いたのは、昼頃のことだった。
お届けものです、といささか大柄な男がやってきた。
「ルルシオ様にお届けものです」
「はい、確かに」
「はぁ……最近、だんだんと冷えてきましたね」
「そうですね」
そんな世間話の合間に向けられた黒い鉄の塊を、私は迷わずその筒の部分を掴んで相手に向けた。
拳銃。装填数は六、か。
瞬時に観察して、私は相手に笑いかけた。
相手の指をも絡めて回したので、あと数度回せば、相手自身の手で自分に弾丸を撃ち込むことになるだろう。
「どちらのお方ですか?」
「いや、俺はフリーの殺し屋で……」
「そうですか、こちらのお荷物は? 随分と金属と火薬くさいですけれど」
おっといけないいけない、くさいでなく、金属と火薬の香りがしますけれど、と言わねばならないのだっけ。
「今回組んだ、爆弾を使う者が……」
「そうですか。申し訳ありませんが、こちらは受け取れませんね。どうぞそのまま、お持ち帰りください」
「……はい」
私は笑顔のまま、相手の手から銃を抜き取り、背を向ける。
「ああ、そうでした」
私は後ろを振り返ることなく言う。
「もしもそちらの撃鉄を下ろされましたら、発砲しますので悪しからず」
男がもう一つ拳銃を持っていることは分かっていた。
私の脇に挟み込まれた拳銃は、正確に男の頭を狙っている。
後ろで諦めたように鉄塊が落ちる音が聞こえた。
ふぅ、と洗濯物をたたみながら私はため息をつく。
手の中には、服に忍ばされていた小さな毒の針がある。
やはり、メイドの仕事は殺し屋よりも数倍大変だ。
投げられたナイフを後ろ手で止めるのも、狙撃手を追い払うのも。
紅茶に毒が入っているのを香りだけで判断できるようになったのなんて、まだまだ最近の話である。
しかし私は、ルル様を守ると決めたのだ。
当初、私はルル様を殺すためにこの屋敷に潜入した。
メイドとして、ルル様に近づくために。
とある組織の誇る無敗の殺し屋だった私は、当時六歳だったルル様を殺すのなど、簡単だと思っていた。
けれど、簡単どころか、私はルル様を殺せなかった。
情が湧いたのでもない。機会は何度かあったのに、いつも邪魔が入り、とうとう三ヶ月目。
私は組織から見放された。
そのうち追っ手が来るだろう。私は居場所を失ったと、そう思った時。
私は生まれて初めて涙を流した。
組織に幼い頃から殺し屋として育てられた、この私が。
そしてその姿を、ルル様が見ていたのだ。
幼いルル様は、無邪気に私のことを心配していた。
私の、どれだけ血に染まっているか分からない手を握って、どうしたの、と聞いてきた。
どうしたらいいのか余計に分からなくなった。
初めてだったのだ、手を握られることなんて。
ルル様は加えて、使用人が食べるようなものでない、高価なお菓子を手渡して、
「これで元気になって?」
とニッコリ笑いかけた。
私は言うなれば、その笑顔に惚れてしまったのだ。
何故か狙われることの多いルル様を、私が守らないと——。
そうして、組織の追っ手を倒し、ついでに組織をも壊滅させ……今に至っているのだった。
「……ルルシオ様」
「うん、 なぁに?」
セルシアラーク家に仕えている執事が、可愛らしく笑うルルシオにハァとため息をついた。
「いつまで、そんなことをなさるつもりです?」
「……いいじゃないか、別に」
ルルシオはその顔をグルンと凶悪に染めた。
ナタリアに見せる無邪気さは、その実……全て、演技なのだった。
ルルシオ・ユン・セルシアラーク。
その名を、裏の世界では知らないものはいない……ナタリアは稀に見る例外だ。
その正体は、巨大なマフィアの跡取りであり、幼いながら他の組織に先ん出て武器の取引を担う“闇の神童”。
「あのメイドもどうして思い至らないのでしょうね。……ただの貴族が、あんなにも命を狙われるはずがないでしょうに」
「純粋で可愛いだろ?」
「共感しかねます」
彼女とて、どんな殺し屋も刺客も追い返す強者だ。
所属していたという組織を、数日休暇を取った間に壊滅させてきた時の驚きは言葉にできない。
その攻撃をみな避けたルルシオ様もやはり流石ですけれど、と執事は内心呟いた。
「あの時、ルルシオ様がアレを始末するな、と言った時は何かと思いましたが……あの有能さを見抜いてですか?」
「いや? 単にナタリアが可愛かったからだけど」
「……」
「攻撃の一つ一つも綺麗でさ、受けるのがもったいなくて、思わず避けちゃったよ」
訂正。幼いながら、もう既に色ボケしているだけかもしれない。
「しかもあの後! 泣いてる姿なんて最高だったよ。ああ、また泣かせてみたいなぁ、もちろん俺のことで」
「……そうですか」
それで、とルルシオはナタリアには決して見せることのない悪魔的な笑みを浮かべた。
「あのナイフを使う殺し屋に、謝礼はちゃんと払ってくれた?」
「ええ……しかし、わざわざ自分を殺す依頼をするなど」
正気ですか、と執事が聞けば、正気だよ、と心外そうにルルシオは言う。
「だって、好きな人の頑張ってる姿って素敵だろ? ナイフを受け止めるところなんて、すごく良かったろう?」
「……共感しかねます」
まぁこれは共感されても困るけど、と笑う。
「あーあ、これからもナタリア、俺だけのために生きてくれればいいのに」
そんな恐ろしくも聞こえることを、ルルシオは平然と言った。
「それは業務内容では……」
執事が言えば、パチクリとその幼い瞳がまばたく。
「何言ってんのさ。ここまでやって、俺のメイドだろ?」
……恐らく同じように思っているだろうメイドとの主従に、どうやって常識を教えるべきか、執事は割と本気で頭を抱えた。