5 数多の墓碑の中心で
「私は、外で待ってますから…」
彼女はそう言って、ドアを少しだけ開けたまま外へ退散した。
ギオとアイネが案内されたのは、埃もない、綺麗に掃除されていたのであろう部屋だったが。そこには怪しげなフラスコや薬品棚が並び、何らかの作業が行われたのだと理解させるに易かった。
そして、その作業の最終過程が今扉の前で静かに待つ彼女であろう事はアイネにも想像できる。
彼はそのまま木製のイスをぎぃと鳴らし座り込み近くの机の上にあるメモを漁り読み始める。こうなると片割れの彼女は手を持て余す、何をしたらいいのかわからないのに聞くべき人が聞くべき人だ、どうしたら良いか悩ませた結果、彼女はフラスコを一つ取ってそれをじろじろと眺める事にした。
流石に実験で使われたフラスコを勝手に洗ってもいいものか迷ったのだろう、中にはまだ黒っぽい汚れが付着したままだったが、外側はぴかぴかと綺麗にされているらしかった。
「………まぁ、概ね合ってる」
おそらくレポートなのであろうそれを読むギオはたまに呟き、時に頷いたり苦い顔をした。本人は記憶を失っているというくせに、それが曖昧で良い事と知識や教養を持ち合わせたままでいるようだった。知識も教養も記憶と共に失っている記憶喪失者がいるなら彼は羨ましいのだろうか、それともそんな事も忘れてしまっているのだろうか。ただ、彼は自分が誰かだけが分からない青年なのだ。
「…実験の回数が多いな…単にホムンクルスの作成だけなら慣れた錬金術師なら3もいるまい…」
その持ち合わせた知識と教養の種類が問題なのだが。
部屋の外で人形のように静かに待ち続けている彼女もここで生まれたのだろうか、そう思いながら影に広がる本棚を分け部屋の隅々まで探したくなる。アイネは脳内に彼女や自分がすっぽりと収まるほどの巨大なガラス瓶を思い浮かべ、その近くに怪しげな薬品をビーカーに入れ不敵に笑うギオゼッタを妄想した。適役である。
まぁそんな巨大で珍しい器具があれば、一目瞭然だったであろう。いくら暗がりとはいえもう少しで太陽が本領を見せ、この生命のアトリエにもある小さな窓から光を差し込んでくれる事であろう。しかし、この部屋の灯りはどこだ、蝋燭も珍しいガス燈も無い。天井にもつんつるてんで、埃も綺麗なせいか何かが立っていた形跡もわからない。どうしていたのだろうか、それとも錬金術師と言うのは皆が皆ギオゼッタのようにほんの少しの明かりで細かなレポートに熱中できるような存在なのか、彼女は思っていた。
「…何処に真理への追究がある……! そうか、そう考えたわけか!」
さて、そろそろギオゼッタは持ち前の反則的な洞察力で勝手に答えへ飛びつこうとしている。
レポートをばさばさと捲りあげ必要なページを見つければ凝視する。その奇行にまで到達してしまいそうな行動はアイネとドアの隙間から心配そうな彼女を見ていた。
する事もなくなった…または彼の邪魔をするのが怖かったアイネは、ドアの外へ出て彼女と会話をすることにした。
中に入れば有象無象を薙ぎ払いながら前進していく巨人にも似た仲間がいるのだから。
「…えっと、ごめんなさい!」
まずは全力で謝った。
「押しかけちゃって…こんな朝早くに…ごめんなさい」
次に控えめに謝った。
「いえ…寝てはいませんでしたから」
アイネは、心の中で今謝った相手がホムンクルスであることを再確認した。自分とは一線違う存在である、造られた命であることも忘れていたのだが、誰しもが無機質な性格の召使いだと思っていたソレは思っていたよりも温かみのある言葉を放っている。
「……それに、久しぶりに錬金術師さんと会って…懐かしかった」
人ではないのか? アイネはギオゼッタの断言をその温かさで否定しようとしたが、一つ前の台詞がそれを打ち砕いた。彼女はホムンクルスである、それはきっと間違いない。
「懐かしかった…?」
「…お父さん、ですから。違うかな…」
父親、生まれたのがフラスコの中でも、彼女にとってきっと唯一無二の家族だったのだろう、その錬金術師は…。
「ち、違わないよ…ねっギオさん!」
そしてこちらの唯一仲間と言える錬金術師はと言うと、
「492回目! これだ、ここから明確に目的が変わっている。真理への可能性を開いた瞬間か」
「……多分、違いません」
「…素敵な方ですね」
素敵な事をしているようだった。
何を言っているのかちんぷんかんぷん、そんな事を説明するのもこれで何度目か、それほどに彼は彼女に…いや普通に生きている人にとって異常な存在なのだ。どれ、少し中の様子を見てみよう。
レポートを片手に残されたガラス器具を隅から隅まで舐めるように眺めまわし、その残痕を見つければ次の実験に使われたであろう何がしかへ移る。彼が何を追い求めているかはわからないが、先ほどから彼の口から<真理>という言葉が漏れ出るように放たれていた。真理とは、不変の事実その事であるはずなのだが、ギオゼッタが追いかけているソレとはそれはまた違った意味なのだろうということはまだその世界に踏み出せても居ないアイネにすら伝わって来る。
では彼らが言う真理とは何か。それは世界にあるはずの不変の事実そのもである。彼らは自分らが最も生命の根源に迫ってしまった事を理解しているし、それをさらに追及し知る事を使命としてその命を燃焼させている。何故、生命は巡り魂なんていう概念があるのか、人はそれを知っているはず…そこを突き止めていった先に真理とやらはあるのだろう。つまり、掴みようがないモノなのだ。
そして彼らは己が手法を研究し探究し昇華させ、極限実験を行うことで真理に触れようとするものばかり。今、ギオゼッタが読んでいる残されたレポートの主はそう…ホムンクルスの技法を昇華させ、どうやってか真理にたどり着く道を生み出そうとしたのだ。それに必死になる姿はテストの答えを隣の学徒から盗み見ようなどと言うちゃちなスケールではない、例えるなら…リーマン予想である。数多くの数学者が人生の半分以上を無駄にしてその問題を解き明かせずに終わって来た。もしその技法が手に届く場所で置き座られているのだとするのなら、使うか否かはともかく、覗き見ずにはいられないはずだ。
「……つまりは…そうか!」
彼はここにいた男が考え出した真理へと至りえる道を理解した。
アイネにも、当の本人であるホムンクルスにもわからないそれを彼は脳内で噛み砕きながら完璧に消化し己が知識として吸収してみせた。至るか至れぬか、それは想像に易い。いや、何より至れていない…まだ至れていないのだから。
ホムンクルスは造られた命、だがその命をもし…街に生きる人間と同等まで昇華できたとしたら。製造の技法によって人間に限りなく等しい存在が作り出せたのなら。自然のサイクルから外れたほとんど人間と呼んでも差支えのない存在を産む、これがここで行われた極限実験の正体であり…、今扉の前で立っている彼女こそが、その実験そのものである。
つまりは…言いたくはないが、彼女の人生そのものが実験なのだろう。
男は真理にたどり着けなかった。だが、その可能性があるとギオゼッタは判断した。なら何故、男はたどり着けなかったのか、答えは目に見えている。その実験がまだ終わってないからだ、造られた命はまだ人間と等しい命になれたかの実験を全うしていない…生きているのだから。
おわかりだろう、彼女の死が極限実験の終了を意味しているのだ。
ギオゼッタは読み終え必要のなくなったレポートを元あった机の上に返す。理解してしまえばもう必要はない、彼の目は自分の役目を知ったかのように燃えていた。彼が知った役目、それはこの実験の補佐、夢半ばでいなくなった男の実験を継続させ、真理へ到達させる補佐だ。
その考えは同じ事を目指した仲間だったからだろうか。それともまた彼の気ままな心がした、一瞬の揺らぎだろうか。だが、部屋から出てきた彼の目は優しささえ感じられた。
フラスコの底にあった黒溜り、あれはきっとこの目の前にいる女性の失敗作、生まれるはずだった命の亡骸。あそこにはそんなものが何十本も放置されていた。
男はそんな、数多の墓碑の中心で彼女一人を生み出した。
「……名前は?」
「……リリンです、錬金術師様」
なんでちょっと主従関係が成立してるんだろう、アイネは思った。
「そうか、オイエと直接話が出来なかったのは名残惜しいが…俺が補佐に回る事ぐらい、許してくれるだろう」
「ちょっと、ギオさん? な、何をする気なのかな?」
彼らは歩き出した。
まるで明けぬ夜かのようなあの外が、誰かが火を灯したかのように明るくなる。
「決まってるだろう、彼女を人として死なせるのだ」
「……は?」
「僕はギオゼッタ。訳あってそれ以外はわからんが、存じている通り錬金術師だ」
後はいつも通り。アイネ・クライネは流されるままついていくだけだろう。彼女にはオイエという人物がここにいた錬金術師であることすら察せてはいないのだから。
「…それで、錬金術師様」
「どうした」
「朝食は、いかがでしょうか」
屋敷は綺麗であった。それどころか食品すらきっちりと用意され、ランプの油すら満たせれている。完璧と言っても差し付けないようである。しかし…。
「…人間っぽくないんだよなぁ」
こんがりと焼けたウインナーにフォークを突き刺しながらギオゼッタはそう呟いた。どうも完璧具合が気に入らないらしい、理由は人っぽくないから、とんでもない理不尽だ。
「良いじゃん、美味しいし」
「スクランブルエッグは僕だって作れるぞ」
「やだ、ギオさんの料理ってなんか禍々しい」
「お前は人間らしいなぁ」
たった一人の錬金術師が構えるにしては大きな屋敷であった。地主にでも認められたか、それとも交際でもいていたか。アトリエと呼べる場所は奥底に隠れていたようなあの部屋だけであったし、まるで錬金術師という身分を隠していたかのようである。
「…そうか」
そうか、つまりは錬金術師がいると知れていれば彼女がホムンクルスであると知れる機会も増えるであろう。だがここまで隠匿し何か他の事業で名を上げていればそんな噂は耳にも露にも入らない。これも一つの実験の為の下準備という奴であったか。ギオゼッタは勝手に納得しウインナーを口に入れた。
だが人間らしくないというボロがあるのは彼にとっては事実であった。匂いで気付いた彼にとってだからおそらくこの世大半の真人間にとっては違うのであろうが、一挙手一投足を見ればどこか人間らしくないと彼は印象付ける。
「普段はあの喫茶で働いているのか」
あの喫茶、彼が喉を潤しに訪れた場所だ。何ら変わりないいたって普通の喫茶店、あまり客人や旅人と接する機会が増えるとボロを見破られる機会も増える。アトリエの隠匿さえしていた錬金術師がそんな事を許すとは思えない、おそらく彼の死後に彼女が勝手に始めた事なのだろう。
とすれば、彼女は自分の命が実験過程の物だということも知らないわけだ。まぁ、突然「貴方の人生は実験なのですよ」などという無礼な挨拶はあのギオゼッタでさえやりはしない。
だが自分の死後の事は予想ぐらいしていたろう。
「はい、お金が要るので…良い人たちですよ」
資金ぐらい何処かに貯め込んでいそうなものだが、彼は首を傾げ口の中に入っていたレタスをしゃきりと鳴らした。
「私も行きたいなぁ、喫茶。良いかな、ギオさん」
「…僕抜きでなら、構わない」
自分が言っては実験の邪魔だろう。
食後に彼はコーヒーをいただいた。その際に豆をしまっている蔵を見せてもらったが、隠し扉などは一切ないと彼は判断した。
「やった! じゃあ今日ね、リリンちゃん」
「えぇ、その間ギオゼッタ様は?」
「僕はここで考える事がある」
彼女は彼を信用してか、それともホムンクルスとしての定めか、アイネと手を繋いで外へ出て行った。
それを見送った彼は屋敷に向き直ると、すぐに全ての部屋を探し始めた。沢山の資料や履歴を見つけ、彼はそれを全て頭の中で纏め上げた。彼が錬金術という自然に精通した学問を修め、その知恵で近くの森からガスを回収し一財産築き上げている事を知り、彼は何処かにその名残があるであろうことを確信する。錬金術から言わせてみれば特定の気体をそこらの瓶に詰め込むことなど容易い、それをそのまま使いこの街に供給するシステムでも作り上げたのだろう…中々にとんでもない事をしていたらしい。
次に彼はその財産を探した。自分の死後、それに気づいたリリンが得れる様な場所にあるはずなのだが…ならばそれは彼女の生まれ故郷であるアトリエに他ならない。死後に近辺の処理をした時、必ず入る場所であろう、ならば何故彼女はそこへあの時すら踏み入ろうとしなかったのか、それはおそらく後でわかるはずだ。彼は今一度アトリエに踏み込み本棚の裏や机の下を荒らすように探す。
彼は床の板にすら手を出した、後でバレても良いが他人のアトリエだと考慮し彼は靴の裏を擦った。またその時に床の板は鋭い悲鳴を上げ震える。彼なりの探索術であった、その揺れは彼自慢の錬金技法で起こされたものなのだが、それで彼は下の空洞の存在を閃きもう一度擦りそこに丸い穴を開けた。
明かりもなく、仕方ないと適当なガラス管をいくつか砕いて両手で磨り潰す。そしてそこに見えたのは真紅に染まり滴るギオゼッタの手ではなく、小さくゆっくりと重力に従い落ちていく摩訶不思議な明かりの珠であった。それは燃焼の反応なのだが、傍から知らずに見れば彼が魔法使いとしか思えなくなるに違いなかったであろう。そして落ちゆく金属質の光が照らし出したのは、その空洞に隠された溢れんばかりの財産であった。光は跳ねまた他の硬化や金属に反射し空洞に閃光の幾何学模様を生んだ。
ちゃんと板を戻した彼は、自分でコーヒーをひき淹れていた。
「……入らなかったのだろうな」
おそらくあの娘は、自分がホムンクルスであるという事実から遠ざける事で人間として生きようとしているらしい。ある意味正解だろうし、男もそう考えていたのだろう。
「…腑に落ちんな」
最もそれがつらい事実だとしよう。それに向き合うのが人間か、それとも逃げ出すのが人間か…錬金術師とは自然の虚空を見る存在、どちらかと言えば浪漫家だ。しかしこの屋敷の錬金術師は己が錬金術師であるという事を隠し、事業で成功していた…そしてその事実から逃げるという選択を予想し、きっとどうやってかその通りにした。
「…正すか」
間違いは正さなくてはならない。彼の中でそう結論が出た。
どうも人間や生命の根源を知ろうとすると、ロマンチストになってしまうらしい。誰だか知らない人の背中に何を重ねてしまったかは知らないが、その人間に己と向き合う誠実さを求めてしまっているのは悪い事だろうか。
「どうせ、あと七日もない命だろ」
空になったカップを水に沈めるとそれはぷかぷかと浮かんだ。
最近、予約掲載を使うようになりました、これを書いたのは2014年です。あげているのは2015年でしょう、そう設定しますから。
年末はやはり誰もが忙しく、暖房と仲の悪い私はまともに動かぬ右手とよろしくキーを叩いております。友人と鍋を食ってる間は、多少救われているのですがね。
それでは今年もよろしくと…卯月木目丸でした、また次章お会いしましょう。