麗しの君
自宅のドアに手を掛ける。
「……?」
違和感にノブを回すと、ドアはそのまま開いた。
三和土にはよく磨かれた男物の革靴が一足。既視感に警戒心を露わにしながら室内に足を踏み入れる。
「――やあ。お邪魔しているよ」
見知った顔に、少し肩の力が抜けた。先日の男だ。
「どうして此処に?」
「合い鍵を返して、代わりに君を手に入れる為だよ」
「あ――」
引き寄せる腕に抗う気は起こらず、そのまま逞しい胸元に頬を寄せる。
「無抵抗は同意と見なすよ……?」
近づいてくる唇に、誘われるまま目を閉じ――
「――駄目だ、普通すぎる」
今日は疲れた。
溜息を我慢することなくつきながら、オートロックを解除する手が疲れに揺らいだ。
「あ――」
よく磨かれた床に落ちたキーケース。
拾おうと屈んだ爪先がカツンと当たり、さらにそれを遠くへと追いやる。
「――はい、どうぞ」
拾ってくれたのはいつかと同じ男だった。
「有難うございます」
「それから、これも……」
もうひとつ、元情人に渡していた合い鍵を掌に載せられ、そのままぎゅっと握られる。
「この合い鍵、次の持ち主を俺にしてくれないか……?」
耳まで熱くなった顔を俯けると、
「俺の部屋に行こうか」
耳元で囁かれて――
「――駄目だ、偶然を待ちすぎる」
どうしたらこの合い鍵を持ったままの身分になれるだろうかと、幾つか脳内でシミュレートしてみたけれど、どうにもしっくり来ない。
初めて彼を見かけたのは、偶然だった。
エレベーターが彼の部屋があるフロアで止まったとき、乗ってくる住人の向こう、男に肩を抱かれて部屋に入っていくその横顔に、見惚れた。
男の視線が自分にないと判っていての、幸せな微笑。
儚げな笑みに、その一瞬で虜になった。
今、俺の手には彼を手に入れるチャンスが握られている。なんとしてでもこの機会を逃したくなかった。
「また来ると仰ったのに、一向にお見えにならないものですから、待ち伏せさせていただきました」
うん。これは予想外だった。
エントランスで艶冶な笑みを浮かべる、麗しの君。
俺を真っ直ぐ見つめるその視線に、俺の中にあるものと同種の熱。
自然と口元に笑みが上る。
「それは済まない。長く待たせてしまったかな?」
「いえ。恐らくこのくらいの時間になるだろうと思っていましたから」
近づいて、腰を抱く。彼は逃げずに、俺を見上げて薄い笑みを浮かべた。
「俺の部屋に招待しても……?」
「ええ。返していただかねばならないものもありますし」
「それに関しては少し話し合いたいところだけれどね」
行こうか、と彼を促して、エレベーターに乗り込む。
迷わず最上階のボタンを押すと、やっぱり……と彼が小さく呟いた。
何が「やっぱり」なのか気になるところだが、先ずは彼を己のテリトリーに招き入れることが先決だ。
腰に回した腕。嫌がられないのを良いことに、エレベーターが止まるまで存分にその温もりを楽しんだ。
別に妄想癖がある訳じゃない……と思いたいです。(笑)
まあ想定外のことが起こった訳ですが。一度も考えなかったかというと嘘になりますが、彼から望んで貰えるとは思っていなかった模様。
そしてまだ鍵は手元に戻らない、と。(笑)