釘をさす
正体不明の男の独白。
「すみませんがこれ、マンションの外に放り出してきてくれませんか?」
彼の頼みに、唯々諾々と従うように縛り上げられた男を肩に担いだ。
暴れる気力も尽きたのか、若しくは落とされたら怪我では済まないと判っているのか、男は担がれるがまま。
「君は、部屋で待っているといい。済んだらまたお邪魔するよ」
判りました、と頷いて、エレベーターが閉まるのを待たずに彼は踵を返す。しゃんと伸びた背筋を、扉が閉まるまで堪能した。
「――さて」
意味ありげに担いだ男を揺すり上げると、男の躰がびくりと硬直する。
「安心しなさい。貴方に危害を加えるような真似はしないよ。――幾つか、約束を守ると誓うのならばね」
がくがくと頷く気配がする。小さく笑って、俺は男を担ぎ直した。
エレベーターを降り、マンションの外へ。途中、管理人が目を丸くしたけれどウインクで誤魔化した。
マンションから少し離れたところに男を下ろし、先ずは猿轡を外す。言質を取らなくてはいけないからな。
「――それでは、貴方を無罪放免とする為に、幾つか守っていただかないといけないことがある」
「ッ」
びくりと引きつる男を、薄い笑みを浮かべて見下ろす。
「ひとつ、金輪際彼には近づかないこと。電話やメールなど、あらゆる連絡手段を講じての接触も禁止だ」
「そ、そんな……!」
「往生際が悪い。もう三行半を突きつけられているのだろう?
――ふたつ、マンションの名義を速やかに彼のものへと書き換えること。考えたな、住居を脅しに使おうとは」
「な、何故それを……ッ!?」
「気になったので、少し調べさせて貰った。明日、俺の息の掛かった者の前で、間違いなく名義変更するように」
「! お前、いや、貴方は……!」
「俺が誰であろうと、貴方には関係ないだろう?
みっつ、これが最後だ。末席とはいえ大企業の役員に名を連ねるだけのことはあるようだから、念には念を、だ」
男のネクタイを掴んで上体を持ち上げ、至近距離で脅しをかける。
「――俺のことを、誰にも話すんじゃないぞ。いいな……?」
破ったら表舞台での命はないと思え。言外の脅しも酌み取ったらしく、かくかくと壊れた首振り人形のような男から手荒に拘束具を外していく。
……それにしても、こいつを縛り上げたときの彼の容赦のなさには惚れ惚れしたね。裏を返せば、それだけ情が深かったということなんだろうが。
「ほら、忘れ物だ。やれやれ、彼は優しいな。俺なら脅迫材料として手元に残すというのに」
腹の上にアタッシェケースを落とすと、ぐえっとカエルが潰れるような声がした。
彼の部屋に戻ると、珈琲の香りに出迎えられた。
拘束していたタオルは受け取り洗濯機に放り込んだ彼だが、猿轡のハンカチは即、ゴミ箱に叩き込んだ。彼がしなかったら俺がそうするつもりだったけれど。
去り際、見上げてくる瞳につい引き寄せられるがままに唇を重ねてしまったが、驚きはしても嫌悪感はない表情に内心で安堵した。俺にもチャンスはありそうだ、と。
掌にあるものを、見つめる。
あの変態、どうやら趣味だけは良かったらしい。洒落たブランドもののキーホルダーがつけられた、彼の部屋の鍵だ。
あの男に触りたくないという彼に代わって俺が回収した、合い鍵。直ぐ受け取るだろうと思った彼は、男の携帯端末から自分の痕跡を消すことに夢中で、どうやら俺に頼んだことすら忘れてしまったらしく、その後も返還を要求されないのをいいことに、ずっと手元に置いている。
さて、どのタイミングで、どんなシチュエーションを拵えて、これを渡すか。
そう――俺がずっと持ったままでいられるように。
とある方に捧ぐ。
多くの方に読んでいただけるのも勿論嬉しいけれど、誰かひとりでも楽しみにしてくださる方がいらっしゃると判っていて書くのは、書き手としてとても幸せなことだと思う。