八話 闇ノ子
「……そう、だから金貨が……でもちょっと待って、今の話だと貴方が憎むべきは伯爵でしょう? “ライカ”は子供を連れ戻しに来ただけで……」
何も関係がないのではないか。そう続けようとしたのだが、最後まで言葉を発することは叶わなかった。レヴァイアが椅子から立ち上り、ゆっくりと近づいてきたからだ。昏く蒼い瞳で射竦められ、無意識に身体が後退りしてしまう。話を聞いていたときは薄らいでいた彼に対する正体不明の恐れが、再び雷華の全身を覆った。
「違うな、父親が孤児院に来たのは“ライカ”が嘘をついたからだ。自らの保身のためにフェリシアに罪をなすりつけた。本当は自分が子供の見張りを疎かにしていたのにも拘わらず、そのことが露見するのを恐れて庭にいた子供をフェリシアが攫ったのだと父親に伝えた。そしてフェリシアが死んだのを知るや否や行方を晦ました……“ライカ”と同じ使用人をしていた女を脅して聞き出したのだ、間違いはない」
「そんな……」
「彼女が嘘を言わなければ子供の父親が来ることもなく、フェリシアが死ぬこともなかった……どうだ? 俺が“ライカ”を憎むのは当然のことだろう?」
レヴァイアの言いたいことは分かる。確かに原因は“ライカ”にあると思う。だが、彼女だってまさかフェリシアが死ぬとは思わなかったはず。となると、やはり一番は伯爵ではないのか。事故に近いとはいえ、彼が突き飛ばさなければ彼女が死ぬことはなかったのだから。
「ああ、その父親……バルロイはすでに死んでいる。己が蔑んでいた子供の手にかかってな。そして子供は自らの命を絶った」
何と答えるべきか悩んでいるところに、何でもないことのようにレヴァイアは付け足した。
「なんてこと……」
驚愕の事実に思わず息を飲んだ。後退りする足が止まりそうになる。しかし、レヴァイアとの距離を縮めることはしたくなかったため、雷華は懸命に足を動かした。彼に触れられては駄目だと、全身が警告していた。
「直接手を下せなかったのは心残りだが、その代わり子供の行いは俺に歩むべき道を教えてくれた。光を与えてくれたのだ」
(どんな道だと言うの、親を殺して自殺した子が示す道の先に光なんて…………子供?)
そう言えば……と、雷華はロベルナのことを思い出した。彼は何故攫われてきたのだろう。金目的かと訊いたとき、彼はすぐに否定した。あのときは何とも思わなかったが、よく考えればおかしい気がする。自分が何目的で攫われたのかなど、分からないのが普通ではないか。雷華がそうであったように。それとも嘲狼に何か言われたのだろうか。
「……貴方たちは何の目的で子供を攫っているの?」
黄金色の髪を揺らめかせながらじりじりと自分を追い詰める男を雷華はきっ、と見据えた。
石で出来た支柱の間を二人の人間が一定の距離を保ったまま動く。空虚と言える部屋の壁には大きな二つの影が不気味に蠢いていて、まるでそれ自体が意志を持っているかのような錯覚を起こさせた。
「どうしてお前はそんなに他人のことが気になる? 見ず知らずの人間のことなど放っておけばよいものを……何故子供を攫うかだと? 光を教えてやるためだ。自らを苦しめる親を殺すことによって得られる、解放という名の光をな」
「……う、そ」
雷で打たれたかのような衝撃が全身を襲った。
親ヲ殺スコトヲ教エルタメ。
聞き間違いだと思いたかった、冗談だと思いたかった。本当はどちらも違うことは頭では分かっている。それでも……それでも誰かに嘘だと言って欲しかった。
レヴァイアは光だと言ったが、そのようなことが光であるはずがない。そんなのは、そんなのは……
「やみ」
「何?」
雷華の呟きにレヴァイアが反応する。
「貴方が光だと言う道、それは光なんかじゃなく闇に繋がっている! 親を殺した子供の未来が光に溢れていると本当に思うの!? 幸せになれると思うの!?」
先ほど入ってきた大扉までの残り少ない距離を後退しながら叫ぶ。
「おかしなことを言う。己を苦しめる存在を消す、それのどこが闇なのだ」
「……っ!」
とうとう踵が扉にぶつかった。後ろ手に扉を押してみるが、ぴくりとも動かない。
この部屋から出るのは無理そうだ。と考えて、そもそもどうして自分は追い詰められているのか疑問に思った。彼は自分との距離を縮めて何がしたいのだろう。帰っていいと言っていたが、まさか気が変わって殺すつもりなのだろうか。あり得ない話ではないとは思うが、それにしては殺気が感じられない。感じるのは得体の知れない恐怖だけだ。
レヴァイアが何を考えているにせよ、言っておかなければならないことがある。ともすれば震えそうになる手にぐっと力を入れると、雷華はすぐ目の前にいるどこまでも無表情な男を睨みつけながら叫んだ。
「私はこの国の人間じゃないけれど、これだけは言えるわ。貴方のやり方は間違っている! 子供たちを救う方法は他にもあったでしょう! そんな闇の道じゃなく本当の光の道に導いてあげる方法が!」
「救うだと……何故俺がそんなことをしなければならない。娘を殺した貴族の血が流れる人間を、腐りきった血が流れる人間を、俺が救う必要がどこにある」
レヴァイアが雷華の両脇に手をついて問いかけてくる。
彼の瞳には何の感情も宿っていない、そう思っていた。だがそれは間違いだったと、ようやく気付いた。