六十九話 現カ幻
「ヒューゼヴェールト陛下、御招き頂き感謝致します。そして、陛下が今日この日を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます」
「お、おめでとうございます、陛下。その、先日は大変失礼を致しました」
城の豪華な大広間の奥、十段ほどの階段の上にある王座に座っているヒューゼヴェールトの前で、雷華とクレイは跪いて祝いの言葉を述べた。
煌びやかな衣装に身を包み、眩い王冠を頭上に載せたヒューゼヴェールトが、六日前に会ったときよりも少し大人びて見えるのはけして気のせいではないだろう。なにせ、ここ数日で彼を取り巻く環境は激変したのだから。しかし、酷なことかもしれないが、この国のためには避けて通れない道だったと受け入れてもらうしかない。その代わり、これからは上辺だけでない本当の意味で支えてくれる臣下が傍についてくれるはず。クレイが言っていたのだ。この国の行く末を憂えていた貴族は少なからずいるのだと。
「そなたたちか。ゼヤフは、余をいいように利用していたのだな。余は彼の、あの男の言うことを疑ったことはなかった。全てが正しいと信じきっていた。父上を殺した男を……余はなんと愚かで至らない王であったのだろうか」
ヒューゼヴェールトの声が震えている。奥歯を噛みしめて溢れだしそうになる感情と闘っているようだ。膝の上で硬く握りしめられている拳が、今回のことで彼が強くなった証のように見えた。
「陛下、無礼を承知で申し上げます。確かに陛下は宰相の策略によって、視野が狭く国の現状が見えておられなかった。ですが、それはもう過去の話。これから少しずつ知っていかれたら良いのです。ご自分を愚かだと仰られた陛下ならば、この国をよりよい方向に導くことが出来ると、私は信じております」
クレイがヒューゼヴェールトに向ける視線には強い力が宿っていた。世辞ではない心からの言葉だと、彼の黒い瞳が語っている。それがヒューゼヴェールトにも伝わったのだろう。十五歳になったばかりの少年王は、眼を閉じて深呼吸をすると深く頷いた。彼の中で何かが芽生えたようだ。決意か、覚悟か、それとも違う何かか。何にせよ、この国が良くなっていくのはそう遠くない未来に違いないと感じた。
頭を垂れて王座の前から離れる。段の下では祝辞を述べるため、まだ多くの貴族が列をなしていた。階段を下りようとクレイに差し出された手を握ると、ヒューゼヴェールトが小さな声で「そなたの言ったことは本当であった」と言ってきた。囚人を猿の化け物、腐猿に殺させていたことを誰かから聞いたのだろう。
「あのときは酷い言い方をして申し訳ありません。ですが、貴方のその手には、イシュアヌに住む全ての人の命が委ねられているんです。どうか、助けを求める声を聞き逃さないで下さい……陛下が名君になられることを願っています」
もう一度頭を垂れてから、ヒューゼヴェールトに背を向けて階段を下りる。後ろからありがとうという声が聞こえたが、振り返らなかった。彼がそれを望んでないような気がしたからだ。
入れ違いに階段を上がっていく貴族を横目で見ながら、雷華はふぅと息を吐いた。緊張のあまり上手く呼吸が出来ていなかったのだ。
「もう帰っていいのよね?」
大広間の隅に移動しながらクレイに話しかける。この息が詰まりそうな空間からやっと出られると、晴れやかな気分になったのだが、現実は甘くなかった。
「何言ってんだ、あと二刻は帰れないぜ」
「ええっ! 何それ聞いてないわよ」
城に入ってからすでに一刻は経過している。今でも十分疲れている――主に精神面で――というのに、あと二倍もの時間を過ごさねばならないとは。雷華は隣で涼しい顔をしている赤髪の伯爵を恨めしげに睨んだ。
「まあ、そう怒るなって。怒った顔も美人だけどな」
「茶化さないでちょうだい。はぁ……」
ここはとにかく人が多い。しかも、当たり前だが着飾った人間ばかりなので、眼が痛くて仕方なかった。そんなに宝石をつける必要があるのかと思うのは、庶民だからだろうか。それに香水の匂いもきつい。広間の至るところに飾られた花の匂いが打ち消されるほどだ。
この場所にあと二刻もいるのは辛すぎる。どこか避難できるところは、と考えたところで大広間に案内してくれた城の侍女が、テラスに出られる扉があると言っていたのを思い出した。
「ねえ、ちょっと外に行って新鮮な空気吸ってきたいんだけど」
「そうだな、まだ四半刻は挨拶が終わりそうにないしな。俺も……っと、悪い先に行っといてくれ。公爵が呼んでる」
雷華と一緒にテラスに向かおうとしたクレイの足が止まる。彼の視線を辿れば、六十歳くらいの柔和な顔をした男性がこちらを見ていた。気を遣ったのか、聞かれたくない話をするのか、どちらかは分からなかったが雷華は素直に頷いた。
「分かったわ」
「すぐ行くからうろうろして迷子になるなよ」
「子供じゃないんだから……まあ、でもこの人の多さならあり得るかも。大人しくテラスにいるわ」
ひらひらと手を振ってクレイから離れた。テラスへ行くためには大広間を横断しなくてはならない。なるべく目立たないよう壁際を歩いていたのだが、やたらと多くの視線が向けられている気がして、自然と早足になる。
(庶民ってことが分かるのかしら……あぁもう早く帰りたい)
開いていた扉からテラスに出ると、心地の良い風が雷華を迎えてくれた。息苦しい空間から抜けられたことに自然と笑顔になる。
「はあぁっ、気持ちいぃ。あと四時間も続くなんて信じられない。よく皆平気よね。留守番してるルークとロウジュが羨ましいわ」
傾きつつある太陽を見上げながら、この場にいない二人のことを想う。喧嘩せずに大人しく過ごしていてくれればいいのだが。
「一緒に行くって言い出したときの、クレイの呆れた顔ったらなかったわね」
心底めんどくさいと思っていたはずだ。今思い出しても笑える。精緻な彫刻が施された手すりに腕を預けながら、雷華は小さく吹き出した。
「何か愉快なものでも見えるのか」
「っ!」
突然背後から聞こえた声に身体がびくっとなる。確かに気は緩んでいた。だが真後ろに立たれるまで気付かないなど、普通ではあり得ない。そう、例えば相手が気配を消していたのでもなければ。一人で笑っていたところを見られた恥ずかしさよりも、警戒しなければならないという気持ちの方が勝った。
「驚かせてしまったようだな」
「いえ……」
平静を装って後ろを振り向く。立っていたのは、黒い礼服を着た眼つきの鋭い男だった。前髪の半分を残して長い灰色の髪を一つに纏めている。
(誰? どこかで見たような……)
「幸せは、時に残酷なほど簡単に崩れ去る」
「……何の話ですか?」
男の突然の言葉に、警戒しながら訊き返す。前髪のせいで片方しか見えない男の眼は、黄金の色をしていた。雷華を睨んでいるようにも、哀しんでいるようにも見える。
(哀しみ? でも何故?)
「気付いたときには手遅れなのだ」
「だから何の――うっ!」
腕を掴まれたと思ったときは遅かった。ぐいと引き寄せられ首に手刀が落とされる。
(油断、してた、訳じゃ、ないのに……!)
倒れては駄目だと思う意志とは裏腹に全身から力が抜けていく。崩れる雷華の身体を男が抱きとめた、その時、強い風が吹いて二人の髪が舞い上がった。
「ど……うして……貴方……が……」
露わになった男の顔を雷華は知っていた。薄れゆく意識の中で感じたのは、怒りでも悔しさでもなく、何故という疑問だけだった。
完全に意識を失った雷華の耳元で男は聞こえないと分かっていながらも、すまないと囁いた。そして、彼女をそっと抱き上げるとテラスを飛び越え城の外へと向かった。これでいいんだと己に言い聞かせ、己の弱さに気付かない振りをして――
これで第二部終了となります。お読み下さりありがとうございました。




