六話 昏キ瞳
頭の中に疑問符がいくつも浮かぶ。問答無用で連れてこられて、一体どんな要求をされるのかと身構えていた身としては、レヴァイアの問は予想外過ぎた。最悪、躰目的の可能性もあると考えていたのだ。もちろんその時は全力で抵抗するつもりだった。その覚悟も出来ていた。なのに訊かれたことは、使用人をしていたか、だとは。全身に張り巡らせていた緊張が一気に解けていくのが自分でも分かった。目の前の男を恐いと思う気持ちはまだ雷華の中に存在していたが。
(リ、リムダエイム? 伯爵?)
色々訊きたいことはあったが、とりあえず一番重要だと思われる言葉を口にした。
「人違いだわ」
「ほう……銀の髪をしたライカという名の女がそういるとは思えんが」
「と言われても。私はこの国の人間じゃない。ただの旅人よ。貴方のお仲間に突然連れてこられたおかげで、今は持っていないけれど身分証もある。一年前に私がその何とか家で働いていなかったことを証言してくれる人もいる。これでもまだ信じられないかしら」
この国の人間でないどころか、この世界の人間ですらない。そういえばつい先程も同じことを話したなと、雷華は目の前の暗く濁った眼をした男を油断なく見つめながらロベルナとのやり取りを思い返した。
「……そうか……いいだろう、お前の言い分を信じよう」
しばらくの沈黙の後、レヴァイアは抑揚のない声でそう告げた。
「話の分かる人でよかったわ。もう帰ってもいいかしら」
あっさりと信じてくれたことを意外に感じながらも、ならば自分は用済みだろうとここからの解放を要求する。否の言葉が返ってくることは予想できたが、言うだけ言っておこうと思ったのだ。
「ああ」
しかし返ってきたのは是の言葉。まさかの返答に一瞬聞き間違いかと、雷華は自分の耳を疑った。
「……本当に?」
「お前が俺の捜している女ではなかったからな」
つまり、何とかいう伯爵――バルロイだったか――の家で使用人をしていた女以外に興味はないということか。人攫いの真似までしてレヴァイアが捜す“ライカ”という女。一体どんな目的で捜しているのか、雷華は少し気になった。だから訊いてみることにしたのだ。
それが彼の抱える死よりも深い闇に触れることになるとも知らずに。
「……ねえ、そのライカという人にどんな用があるの?」
「お前には関係のないことだ」
「ひとを攫っておいて、関係ないはないと思うけれど」
この男から感じる死の空気の正体を知りたかった。根拠はないがもしかしたら“ライカ”を捜すことに関わりがあるのかもしれないと思ったのだ。
「……仇敵」
「え?」
一瞬レヴァイアが何を言ったのか分からなかった。聞こえなかったのではない。彼の声はけして大きくはないが、火が燃える音だけがする静かな部屋でよく響いた。雷華が聞き返したのは言葉の意味が理解出来なかったからだ。
(きゅう、てき……ライカは仇だってこと?)
「ライカはフェリシア……俺の娘を死に追いやった。だから同じ苦しみを味わわせる」
同じ苦しみ……見つけ次第殺すということか。レヴァイアの纏う死の空気が一段と濃くなった気がして、喉の奥から悲鳴がこぼれそうになる。依然として声には一切の感情が含まれていなかったが、そのことが逆にとても恐かった。もし彼の声が怒りや悲しみに満ちていたらそんな風には思わなかっただろう。
「なぜ……どう、して?」
これ以上聞いては駄目だと全身の細胞がざわついて警告している。しかし雷華の口から零れたのは拒絶ではなく疑問。逃げたしたくなるほどの恐怖を感じつつあったが、それでも罪の告白を聞いた以上知らぬ振りは出来なかった。ああ、どこの世界にいてもやはり自分は刑事なのだなと、そう実感して内心苦笑した。もしこの場にルークやロウジュがいればきっと怒られていただろう。自分の身の安全を優先しろ、と。
「そんなに知りたいか。さっさと立ち去ればいいものを……まあいい、知りたいのならば教えてやる。奴等がフェリシアにしたことをな」
そう言ってレヴァイアは眼を閉じ足を組んで、自身の瞳と同じ輝きを失った椅子に深く身を沈めた。そしてつかの間の後、眼を開け再び濁った瞳を雷華に向けると、徐に口を開いた。
「お前はこの国の人間ではないと言ったな。ならば知らぬだろうが、このイシュアヌでは貴族は絶対の力を持っている。それこそ人を殺めても罪に問われないほどの、な」
人を殺して罪に問われない? そんな馬鹿なことがあるのか。クレイの館で会った極悪非道の伯爵がそうであったように、証拠さえあれば貴族であろうと裁かれるのではないのか。思わず口を挟みそうになったが、とにかく最後まで話を聞こうと、雷華は開きかけた口を閉ざした。
「フェリシアは王都リムダエイムの孤児院で働いていた。俺は賞金稼ぎとして国中を駆け回っていたから共に過ごす時間はそう多くなかったが、それでも早くに妻を亡くした俺にとってフェリシアは唯一と言っていい宝だった」
どこからともなく風が吹いてきて、部屋の灯火がゆらゆらと揺れる。それに合わせて雷華とレヴァイアに落ちる影も形を変えていった。
「……だが一年前のある日、俺はその宝を永遠に失った。いつもの様に賞金首を捕まえて王都に戻った俺を出迎えたのは、フェリシアの笑顔ではなく孤児院の子供の泣き叫ぶ声と変わり果てた姿の彼女……そして数枚の金貨だった」






