六十四話 世ヲ変
活動報告におまけ話を載せています。よろしければお読み下さい。
こんこんこん。部屋の扉が叩かれる音で雷華は眼を覚ました。
「おはようございます、ライカ様。お目覚めになられていますでしょうか」
扉の外から聞こえる控えめな女性の声に、慌ててベッドから出る。窓から見える太陽はそれなりに高い場所にあった。かなり眩しい光りが差し込んでいるのにも拘らず起きなかったとは。そんなに疲れていたのかと、雷華は首を傾げた。
「ライカ様?」
「あっ、はい! 起きてます! どうぞ入って下さい」
返事すること忘れていた。入ってきたのは初めて見る年配の侍女だった。彼女は一礼して手に持っていた水差しを脇の机に置くと、抑揚の少ない落ち着いた声で話しかけてきた。バルーレッドと雰囲気が似ている。後でクレイに訊いたところ、なんとバルーレッドの妻であることが判明した。似た者夫婦という言葉がぴったりだと、雷華は一人笑みをこぼしたのだった。
「失礼致します。お水をお持ち致しました。それと、入浴の準備も整ってございます。よろしければご案内致しますが、いかが致しましょうか」
「お願いします。あ、でも顔を洗いたいので少し待ってもらっていいですか?」
「畏まりました。では廊下でお待ちしております」
侍女は深々と一礼をして静かに部屋の扉を閉めた。おそらく、なかなか起きないことを心配してか、それとも急ぎの用でも出来たのか、クレイが彼女を差し向けたのだろう。起きたらベッド脇にある呼び鈴を鳴らせば侍女が来ると、寝る前に教えてもらっていた。貴族の館では当たり前のことらしく、バルーレッドが変な顔になったのはこのことだったのかと眠りに落ちる前に思った。
(人を呼び付けるなんて何だか気が引けると思ってたから、来てくれてよかったわ)
水差しから洗面用の器に水を移し顔を洗うと、ルークとロウジュが宿に取りに行ってくれた荷物の中から服を取り出し、廊下に出た。
案内された豪華で落ち着かない風呂に、侍女の手伝うという申し出をきっぱり断り、さっぱりした雷華は、髪を拭きながらはぁと溜息を吐いた。身体はさっぱりしても心は穏やかになってくれない。ロウジュが帰ってこないからだ。何かあったのではないか、捕まってしまったのではないか。ついそんなことばかり考えてしまう。
(大丈夫、ロウジュは無事に帰ってくる。絶対に……絶対に帰ってくるわ)
何度も自分に言い聞かせ、雷華は頬を叩いて沈んだ気持ちを浮上させた。
浴室を出て次に案内されたのは、食堂だった。片側に十人は座れるであろう長い食卓で、クレイが一人お茶を飲んでいた。
「よお、起こして悪かったな。そこにあるのはライカの分だから遠慮しないで食べてくれ」
「おはようクレイ。起こしてくれて助かったわ」
朝の挨拶をしてクレイが指で示した場所に座る。とても一人分には見えない量の料理が並べられていて、とりあえず雷華はグラスを手に取った。
「ロウジュのことが心配だとは思うが、しっかり食べろよ」
「分かってる。そういえばルークの姿が見えないけど」
湯気が立っているスープを飲む。薄すぎず濃すぎず、丁度よい上品な味だった。
「あいつならレイグ様のところに行っている。もうすぐ戻ってくるだろう」
「確か、ルークのお兄さんだったわよね。その人も生誕祭に出席するために?」
「陛下の名代としてな。マーレ=ボルジエからはレイグ様と俺、それにあと三人の貴族が来ている。本来なら俺は他国の王の生誕祭なんかに招かれる身分じゃないんだけどな。二年前にレイグ様が送ったソルドの花を、ヒューゼヴェールト陛下はいたく気に入られたらしく、去年から特別に招待されてるんだ」
昨日ヒューゼヴェールトが来たのは父親の墓にソルドの花を供えたいと思ったからだったのだ。それを聞いて、雷華は胸が痛くなった。
「私、本当にひどいことをしてしまったわ」
「昨日ルークも言っていたが、ライカが気にすることはない。冷たい言い方だが、肉親が死んで哀しい思いをしているのは彼だけではないんだからな。もっと辛い思いをしている人間がこの国には大勢いる。それを彼は知らなくては駄目なんだ」
しゅんと項垂れていると、クレイがいつになく厳しい口調でそう言った。
彼の言っていることは正しい。どこの国でもどこの世界でも、辛い思いをしている人間は必ずいる。どんなに平和でも、けして零になることはない。人間は完璧ではないからだ。だが、その数を減らすことは出来る。上に立つ人間が己の国をより良くしようとたゆまぬ努力をすればいい。そのためにはまず、己の国を知らなくてはならない。
「……ええ、そうね。そしてこの国を良くしていってほしいわね」
ヒューゼヴェールトは家族を失う哀しみを知っている。だから、彼には分かるはずなのだ。子を亡くした親の気持ちが、親を亡くした子の気持ちが。宰相の言葉に惑わされず、己の意思でこの国を導いていってほしい。藍色の髪の少年の無邪気な笑顔を思い返しながら、雷華は心からそう願った。




