六十三話 秘ニ務2
「絶好の機会だと思ったよ。これで陛下の眼を覚まさせることができるってな。本当に悪かった」
心底申し訳ないといった表情でクレイが頭を下げてくる。雷華は慌てて彼に頭を上げてくれるよう頼んだ。自分の意思で引き受けたのだ。どんな過去を見たとしてもクレイが責任を感じる必要はない。それに、もし立場が逆だったとしても自分も同じことをしただろう。
「違うわ、謝らなければならないのは私の方よ。本当に短慮だった。私のせいでますます問題の解決が難しくなってしまったんじゃないの?」
後先考えずに飛び出し、自分の感情を撒き散らすなど、なんと浅はかなことをしてしまったのか。しかも、知らなかったとはいえ極秘裏な作戦が進行していた。二人の話を聞いて、雷華は自分がした愚かな行為がどれだけ問題だったのかを悟り、顔を青くして唇を噛みしめた。身体が震えてくる。
過去は変えられない。この言葉を今ほど恨めしく感じたことはなかった。
「いや、それがそうでもないんだ」
クレイが優しさを滲ませた声で言った。まあ水でも飲めよとグラスを渡され、雷華は震える手で受け取る。冷たい水が喉を通っていく感触に少しだけ落ち着きを取り戻した。
「どういうこと……だって私、王様にあんなことを」
「確かにライカが控えの間から出てきたときは驚いたけどな。だけど、ライカが去った後、ヒューゼヴェールト陛下はこう仰ったんだ。“現実と真実は同じではないのか”ってな」
「ヒューゼヴェールト王は滅多に城から出ることがない。民がどんな生活をして貴族がどんな振舞いをしているのか、実際に眼にしたことはないに等しいだろう。宰相の言葉を鵜呑みにして、それが真実だと信じてしまっていても不思議はない」
「彼にとっての真実はゼヤフなんだ。ゼヤフがもたらす言葉を、全て無条件に真実として受け入れてきた。だが、ライカが現実を見ろと言ったことで、初めて真実が現実ではないかもしれないことに気付いたんだ」
「じゃあ、私が言ったことを彼は信じたの?」
ヒューゼヴェールトにとって自分は、突然現れた正体不明の怪しい女だ。そんな人間の言葉を信じるなど、俄かには信じ難かったが、クレイはにやりと笑って頷いた。
「ライカは特別な占い師だって言ったのさ。絶対に外さない、俺も助けてもらった、ってな。どれだけ耳を塞ぎたくなる言葉でも、彼女が告げたことは実際に過去に起こったこと。他に知りたいことがあれば、また来ればいい。そう言ったら陛下はしばらく黙りこんだあと、小さな声でわかったと呟いて帰ったよ。もちろんライカのことは内密にしてくれと頼んである。ここにはゼヤフにも黙って来ていたはずだから、おそらく大丈夫だろう」
「そう……でも軽はずみな行動だったことは間違いない。結果的には良かったのかもしれないけど、あんなことはするべきじゃなかった。子供に怒鳴るなんて、恥ずべきことだわ」
俯いて安堵と後悔が入り混じった溜息を吐く。するとルークが肩を抱いて引き寄せた。
「もう気にするな。全てはゼヤフが元凶なのだ。ライカは悪くない」
「…………ルークは私に甘すぎるわ」
優しい言葉に苦笑する。ルークだけではない。ロウジュもクレイも、この世界の人はどうにも自分に甘い気がしてならない。それがこそばゆくて、心地よくて、不覚にも涙が零れそうになった。
「あー、それでなんだけど」
ごほんごほんとわざとらしい咳払いに、雷華は慌ててルークから離れた。瞬きを繰り返して涙を引っ込める。隣からもの凄い舌打ちが聞こえてきたが、気のせいだと思うことにした。
「な、何かしらクレイ」
平静を装って訊ねる。ルークはこれでもかというほど、眉間に皺を寄せていた。そのうち皺がとれなくなってしまうのではないかと心配になるほどだ。そんな雷華たちを面白そうに見ていたクレイだったが、彼は組んでいた足を戻すとにやけた顔を止め、真剣な表情で訊いてきた。
「ヒューゼヴェールト陛下が来られたら、また過去を見てもらってもいいか?」
「ええ、もちろんよ。私に出来ることなら何でもするわ。もう何を見ても取り乱したりしないから」
力強く頷く。夢にまで見たあの凄惨な虐殺風景。人を人とも思っていない残虐な行為。絶対に何としても止めさせなければならない。軽く扱っていい命などただの一つもないのだと、ゼヤフとかいう宰相に分からせてやりたかった。
「そうか、すまない。感謝する。ロウジュの成果次第では必要ないかもしれないけどな」
「え……じゃあ、私に辛い思いさせたくないって、そういうこと?」
「ライカにこれ以上過去を見させるくらいなら俺が証拠を見つけてくる、と言っていた」
宰相の悪事の証拠を掴むことが、何故自分のためなのか、ここに来てようやく理解した。ロウジュは自分がもう過去を見なくてすむように、危険を承知で城に行ったのだ。
「ロウジュ……」
優しすぎる元暗殺者がどうか無事に帰ってきますように。組んだ両手に額を当て、雷華は同じ言葉を心の中で何度も繰り返した。




