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五十五話 鬱デ暴

「リムゾ水を三本下さいな」

「はーい、ありがとうございます!」

「こっちは葡萄酒を二樽だ。店に頼む」

「ありがとうございます、夕方までにお届けにあがります!」

「貴女の着ている服、それも売っているの?」

「はい、色違いもございます」

「あ、あの……よかったら後でお茶でも」

「興味ない」

「貴女のために買ってきたんです。この花受け取ってくだ、さああぁっ!? いっ、犬が花を蹴ったぁっ!?」

「す、すいません! この犬、花が苦手で……」

「一緒に食事を」

「私が先よ!」

「いいえ私よ!」

「俺に笑いかけてくれたんだ」

「はぁ? お前じゃねえよ。俺に決まってるだろ――」


「はあぁぁぁぁっ、疲れたーーー」


 フィエマ商会一階の奥にある、従業員の食堂兼休憩室。今は誰もいないその部屋で、一度に十人は食事出来る長い食卓に、雷華は勢いよく突っ伏した。

 働き始めて十日が経つ。噂が噂を呼び、連日客が店に押し寄せ、フィエマ商会は大繁盛だ。ジグレイドをはじめとした従業員全員が毎日遅くまで、配達や仕入れ、服の縫製に追われていた。それだけならよかったのだが、ここ数日は品物を買うためではなく、雷華とロウジュ目当てで来る人間も増えており、その盛り上がりぶりには皆、閉口気味だった。

 当人である雷華は、精神と体力の限界がそろそろ近づいていることを自覚していた。期限はあと五日。あと五日で終わる。そう自分に言い聞かせて額に血管を浮かべながら、今日も一日を乗り切った。


「大丈夫か、ライカ」


 ルークが食卓の上に飛び乗り、雷華に顔を近付ける。顔だけ動かして焦点の定まらない眼でしばらくの間眼の前にいる黒犬を見ていた雷華は、突然がばっと身を起こすと両手でルークを抱きかかえた。


「なっ!?」


「癒しぃぃ、私に癒しをちょうだいぃぃ」


 驚いてじたばた暴れるルークに構わず、雷華は彼のふさふさの毛並みを堪能する。


「はっ放せ!」


「却下」


「ライカ!」


 ルークが人間の姿であれば、まず敵わないが、今は小さな黒犬だ。逃れようとするルークを力尽くで押さえこみ、触り心地抜群の毛に顔をうずめた。いつもの雷華であればこんなことはしない。だが、毎日顔に笑みを張り付けて休む暇もなく接客をしていれば、癒しを求めたくもなる。すさんだ心の前では、ルークの本来の姿など些末さまつなことだ。少なくとも今の雷華にとっては。


「あーー、気持ちいい、うわっ!?」


 上体に重みを感じ、ルークを抱えていた腕の力が弱まる。その隙を逃さずルークは雷華の腕から抜け出した。雷華に触れられることは嫌ではない。むしろ逆なのだが、限度というものがある。もう少しで理性が飛びそうだったと、荒い息を吐いてルークは距離をとって雷華を見た。そして、盛大に顔を顰めた。


「ライカ、疲れた」


 雷華が感じた重みはロウジュだった。胸の開いた深緑色のシャツを着た彼が、背後から凭れかかるようにして腕を回してきたのだ。普段であればすぐに離れてもらうのだが、今日は何も言わない。手を伸ばしてロウジュの頭を撫でる。


「お疲れ様。今日もよくお客さんを刺さずに我慢したわね」


 一般的な労い方とはかなり異なっているが、ロウジュは嬉しそうに頷いて雷華の首もとに顔をうずめた。雷華もロウジュも、様々な方法で言い寄って来る客に辟易へきえきしていた。しかし、まがいなりにも相手は客で、強引に追っ払うことは出来ない。ロウジュがこの十日の間に懐に忍ばせている短剣に手を伸ばした回数は、優に両手の指の数を超えていた。実行に移さなかったのは、雷華がけして客を傷つけるなと止めていたからに他ならない。


「うん。でも限界かも」


「まあ気持ちはよく分かるけどね」


 鬱陶しい客の顔を何度も殴りそうになった雷華は、ふぅと息を吐いて椅子から立ち上った。首に回っているロウジュの腕を軽く叩いて彼から離れると、二階に上がる階段に向かう。


「お腹も空いたし、早く帰ろう」


「……そうだな」


「着替える」


 雷華も着替えようと階段を上りかけると、店の方から誰かの声が聞こえてきた。営業はもう終了しているが、アムジットがまだ残って在庫確認などをしていた。彼女の姿を見て、まだ開いていると勘違いした客かと思い、止めていた足を動かした雷華だったが、声が名乗った名前を聞いて慌てて階段を下りた。駆け足で廊下を移動する。すぐあとをルークとロウジュが追ってきた。ルークは信じられないといった顔をしている。


「どうして、貴方がここに!?」


 店に繋がる扉を開け、アムジットの前に立っていた人物を見た雷華は、分かっていたにも拘わらず驚きの声を上げた。


「これは、ライカ様。このような場所でお目にかかるとは。お久しぶりでございます」


 店にいた人物は、突然扉が開いて雷華たちが姿を現したことに一瞬面食らったようだったが、すぐに平静を取り戻し前に見たのと変わらない完璧な仕草で頭を垂れた。


「バルーレッド……何故お前が」


 ルークが焼け焦げた苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。

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