五十四話 橙ト紺
陸から行くか船で行くか迷った挙句、雷華は船で行くことを選んだ。リュネーやその先の森の地面が凍ることはないとジグレイドが言ったからだ。では、どこに行けば地面が凍るほど寒いのか。
クルディアのほぼ中央にある、王都エクタヴァナ。そこより東なら常に雪に覆われているらしい。イシュアヌとクルディアを結ぶ定期船が着く港が、エクタヴァナまで数日のところにあるというのも、決め手の一つだった。
定期船が出る港があるナシーラの町は、リムダエイムから馬でおよそ六日の距離。余裕を持って七日前に出発するとしても、まだ十七日もの日数が残ることになる。旅に必要になりそうなものを買いに行かなくてはならないが、それもせいぜい一日か長くても二日だろう。
残る十五日をどうやって過ごすか。ルークとロウジュは嫌がるだろうが、孤児院の手伝いでもしようかと雷華が考えていると、提案があるんだけど、とジグレイドがずいと身を乗り出してきた。それはもうにこやかな笑みを浮かべて。
「はぁ、ジーレィさん、端からこれが目的で船を勧めてきたんじゃないでしょうね」
嬉しくて仕方がないといった顔をしたアムジットが持ってきた服に着替えながらぼやく。橙色の長袖のワンピースだ。ご丁寧に共布で作られた髪をしばる飾り布まである。雷華は長い髪を飾り布で一纏めにすると、鏡で自分の姿を確認してから部屋を出て一階に下りた。
「ライカ、似合っているぞ」
「可愛い」
「そう? ありがとう二人とも。ロウジュも似合ってるわよ」
一階にいたロウジュは、白いシャツに濃紺のズボンを身に纏っていた。左の太腿には白い布が巻かれていて洒落ている。普段の恰好のときでさえ人目を引いているのだ。これは大変なことになりそうだと雷華は、苦笑を禁じ得なかった。自分のことは完全に棚上げにしている。
ジグレイドの提案とは、生誕祭が終わるまでの間フィエマ商会で働かないか、というものだった。人手が足りなくて困っているのだという。もちろん賃金は払う、クルディアで必要になる防寒具も用意するからと言われ、アムジットからもお願いされた雷華は、まあいいかと軽い気持ちで引き受けた。頼まれごとに弱いというのもあったが、十五日もの日数を無為に過ごすよりはいいだろうと思ったのだ。
だが、ジグレイドが必要としていたのは、ただの働き手ではなかった。
明日からお願いねと言われ、『星狩り』に戻って一夜を過ごし、朝三の刻を少し過ぎたころにフィエマ商会に来てみれば、開口一番にルークはどうしたと訊かれた。足元にいる黒犬が彼ですと言うわけにもいかず、急用で王都を出たと告げれば、ジグレイドは目に見えて落胆した。しかし、すぐにいつもの調子に戻ると、店頭で売り子をしながら一日三回、服を着替えてこんな服も売っていると宣伝しろと言い、有無を言わさずロウジュの腕を引っ張って一階の奥へと消えていった。雷華もアムジットに引っ張られ、二階にある衣裳部屋のような部屋に連れて行かれた。
そして、今に至る。
「二人とも素敵だわー! もう最高っ!」
ジグレイドが両頬に手を当てて黄色い声を上げながらくるくる回り始めた。それを雷華とロウジュ、それに黒犬の姿に戻ったルークが白い眼で見つめる。
「ジーレィの頼みを聞いてくれて感謝する。私は客の相手をしないから、分からないことがあればアムジットに訊いてくれ。これからよろしく頼む」
流石と言うべきか、夫がおかしな行動をしてもアリーシャは全く動じなかった。雷華に軽く頭を下げると踵を返して奥の部屋へと去っていく。センティードの宿でジグレイドが似たような動きをしたとき、アムジットが何の反応も示さなかったのと同じで、彼がおかしな動きをすることに慣れているのだろう。
「よろしくお願いします。ライカさん、ロウジュさん」
「うん、まあ、引き受けちゃったしね。頑張るわ。よろしく、アムジット。それにしても……よく断らなかったわね」
アムジットに笑いかけたあと、雷華は隣にいるロウジュに目を向けた。彼が素直にジグレイドの言うことを聞くとは。かなり意外だった。
「断る隙がなかった」
すっと目線を逸らしてぽそりと呟くロウジュ。雷華は堪え切れずに吹き出した。
「ぷっくくっ、そう、流石のロウジュもジーレィさんには勝てなかったのね。くくくっ」
「ライカ……」
「ぷふっ、ごめんごめん。一緒に頑張ろう」
じとーっと睨むロウジュの肩を謝りながら叩く。しかし、笑いは中々おさまらなかった。
「ライカさん、そろそろ店を開けますが大丈夫ですか?」
アムジットに言われてようやく、笑いの波が引いていった。目尻に浮かんだ涙を指で拭い、深呼吸をする。
「ごめん、もう大丈夫よ。あら、ジーレィさんは?」
先ほどまでくるくる回っていたジグレイドの姿がいつの間にか消えていた。ルークが呆れた眼をして見上げてくる。雷華以外は全員、彼が体をくねらせながら店を出て行ったのを見ていた。
「ジーレィは隣の二号店に行きました。二号店は貴族専用なんです」
庶民と一緒の空間で買い物をしたくないという貴族の要望で二号店がつくられた。アムジットは困った笑みを浮かべて溜息を吐いた。イシュアヌの貴族は自分勝手で傲慢な人間しかいないのだろうか。笑っていたときとは打って変わって真剣な表情で、雷華はそんなことを考えた。




