五十三話 船ガ要
日当たりのよい二階の部屋に置かれた一対の長椅子。脚と肘掛の部分には猫が彫られている。片側の長椅子に座るのは雷華、ルーク、ロウジュ。もう片側にはフィエマ一家が腰を下ろしている。間にある、やはり脚に猫が彫られた机の上には人数分のグラスが置かれていた。中身は言うまでもなくリムゾ水だ。
フィエマ一家が並ぶ長椅子の後ろの窓からは下層区画が一望できた。
「申し訳ない。ジーレィとアムジットの知り合いだとは知らず、失礼な態度をとってしまった」
簡単な自己紹介を終えたところでアリーシャが頭を下げてきた。
「あ、いえ。誤解が解けてよかったです」
顔を理由に貴族の使いだと決めつけられたときはどうしようかと思ったが、アムジットとジグレイドが帰ってきてくれて本当によかった。あのままでは雷華がどんな弁明をしてもおそらく聞き入れてもらえなかっただろう。
「アリーシャ、ドレスを縫ってて苛々してたんでしょ。思い込みが激しいのはいつものことだけど、苛々すると人の話も聞かなくなるんだから」
「すみません、ライカさん。母様は少し、その、人と接するのが苦手でして」
「大丈夫よアムジット、気にしてないから。少し驚いたけどね」
眉根を下げて謝るアムジットに笑いかけてから、ちらりと彼女の両隣に座るアリーシャとジグレイドに眼を向ける。アリーシャはルークほどではないが、女性にしては鋭い眼をしている。それに話し方も男らしい。優しい眼をして女性よりも女性らしい口調で話すジグレイドとは正反対だ。
「それで、何か用だったんじゃないの? ただ私たちに会いに来てくれた、って風には見えないものね」
正反対の二人が結婚するに至ったきっかけはなんだったのだろうなどと考えていた雷華は、ジグレイドに用件を促され慌てて居住まいを正した。
「すいません、お訊きしたいことがありまして」
「なになに? 何でも訊いてちょうだい」
「ジーレィさんはクルディアに行かれたことがありますか?」
クルディアという言葉を聞いた途端、アリーシャの表情が僅かに曇った。すぐ元に戻ったのでジグレイドとアムジットは気付かなかったみたいだが、雷華たちは彼女の表情の変化に気付いた。
(アリーシャさん、クルディアに行ったことがあるのかしら)
「クルディア? 何回か行ったことあるわよ。といっても、国境から一番近い町のリュネーだけだけどね」
「そのリュネーという町には商売で?」
「もちろんよ。本当は他の町にも行きたいんだけど、あの国ってすごい寒いのよね。リュネーはイシュアヌ寄りだからそうでもないけど。私、寒いの苦手なのよー。それに北に行けば行くほど恐ろしい獣が出るって聞くし。怖くて行けないわぁ」
己の両肩を抱きしめてぷるぷる震えるジグレイド。隣のアムジットが呆れた眼で父親を見ていた。
「ライカはクルディアに行きたいのか?」
クルディアという言葉に反応したあと、腕を組んで何かを考えている様子だったアリーシャが口を開いた。真っ直ぐ雷華を見つめてくる。
「はい」
「何故」
「探しものをしているとしか」
「そうか。ではクルディアのどこに行きたいの?」
「それは……私たちも分からないんです」
行くべき場所の呼び名は分かっている。だが、それがどこにあるのかはクルディアに行ってから情報を集めるより他ない。地道な作業になりそうで、今から雷華は気が重くなった。
(ジーレィさんがクルディアの色んなところに行ってたら冷獄の楔を知ってるか訊こうと思ったのだけど。そんなに都合よくはいかないわよね)
「随分と変わった探しものみたいだね。込み入った事情がありそうだ。でも詮索はしないでおこう」
そう言ってアリーシャはグラスを取り、中身を一気に飲み干した。飲み方も実に男らしい。
「すみません、ありがとうございます」
「気にしないでいいのよ。そうねえ、リュネー以外の町に行きたいなら遠回りになるけど船で行った方がいいんじゃないかしら」
「船、ですか?」
ジグレイドの意外な言葉に首を傾げる。ふと横に座るロウジュを見れば、彼は窓の外で飛んでいる鳥を眼で追っていた。あまり真剣に話を聞いているようには見えない。
「リュネーまでは問題なく陸から行けるんだけどね。その先に行こうとすると、深い森を通らないといけなくて、そこが難所らしいのよ。通り方を知らないと、どれだけ気を付けていても迷って出られなくなるんですって」
リュネーの民に道案内を頼もうとすれば、高額の報酬を請求される。その金額が妥当なのか、それとも法外なのかは森を通ったことがないから分からない。そう言ってジグレイドは肩を竦めた。
「そうなんですか。じゃあ船は」
わざわざ危険と分かっている道を選ぶ必要もない。さっそく港がある場所を訊こうとすると、アムジットがジグレイドの膝を叩いた。
「待ってジーレィ」
それだけでアムジットが何を言いたいか理解したらしい。ジグレイドは顔の前で両手を合わせて、そうだったわ、うっかりしてたと零した。
「もうすぐ生誕祭だったわね」
「何か問題でもあるのか」
自己紹介のときに一言喋ってから今まで、ずっと黙って雷華たちの会話に耳を傾けていたルークがようやく口を開いた。ロウジュは時折リムゾ水を飲むとき以外は相変わらず窓の外を見ている。
「生誕祭に出席する他国の賓客を乗せた船が港に集中するのよ。その受け入れのために一般の船は生誕祭が終わるまで出航停止を命じられるの」
「生誕祭は何日後に行われるのですか?」
「十七日後ね。でも出航停止が解かれるのは、多分それからさらに七日後くらいになるんじゃないかしら」
「そ、そんなに!?」
せいぜい十日くらいだと勝手に考えていた雷華は、予想を遥かに上回る日数に、額に手を当て天井を仰いだ。




