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黒犬と旅する異世界 ~人の意思、世界の意思~  作者: 緋龍
人捜しを経て人助けをするに至った理由
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四十一話 ケ

「これは……」


 灰色のごつごつとした崖を前にして雷華はがっくりと肩を落とした。七、八mはあるだろうか。しかし問題は高さより角度だ。ほぼ垂直。とても登れそうにない。ルークやロウジュ、ディーならば可能かもしれないが自分にはとても無理だ。試さなくても分かる。他に上に行く方法はと、崖の周囲に視線を巡らせた雷華は、これ以上ないほど眉間に皺を寄せた。


「ライカ、この木に登って跳び移ればいい」


 崖の周りに生えているいくつもの木のうちの一つに触れながら、ロウジュが天気の話をするようにさらりと言った。 


「私も同じことを考えたけれど、簡単に言ってくれるわね」


 ロウジュが触れている木は立派で、枝も太い。枝の上に立っても折れる心配はなさそうだ。

 木に登るのはいい。経験はないがおそらく登れるとは思う。少なくとも垂直に近い崖よりは簡単だろう。

 だが、問題はその先だ。崖の上にある洞窟と枝は離れていた。距離にして一m強。ロウジュが言ったように跳び移らなくてはならない。

 地面の上で同じ距離を跳ぶのは簡単だが、地上から八mの高さでやれと言われれば、無理と言いたくもなる。

 ーー跳ばなければならないと分かってはいても。


「大丈夫か?」


「大丈夫じゃないけど、やらなきゃいけないんだからやるわよ」


 心配そうに見上げるルークを恨めしげな眼で見返す。


「大丈夫、ライカちゃん? ぴょんって跳べばいいだけだから。それとも俺が抱えて跳んであげようか?」


「……結構です。自分で跳びますから」


 見えない人間を抱きかかえる仕草をしてにやりと笑うディーを、ぎろりと睨んで舌を出した。


「おやまあ、ねちゃって」


「誰も拗ねてません」 


 普段の半分ほどの高さの声で答える。


「照れない照れない、そんなライカちゃんも可愛いけど」


「だから誰が――」


「ところでライカちゃん、いま犬っころと喋ってなかった?」


「っ!」


 完全な不意打ちで心臓がどくんと大きな音を立てる。心拍数が一気に跳ね上がるが、ここで慌てては駄目だと言い聞かせた。


「しゃっ、喋ってないわよ。ディーの耳、老化が始まっているんじゃないかしら?」


 言っている意味が分からない、といった感じで首を傾げる。内心びくびくしていたが、幸いにしてディーには気づかれなかった。


「ひどい! そんなに年寄りじゃないわよ! これでもまだまだ若いつもりなんだから。夜の方だって自信あるもん。何ならライカちゃん試してみ、なぁっ!? ……ごめんなさい、何でもないです」


 顔色を変えて謝るディー。その横を通り過ぎて、ディーの後ろにある木に深々と突き刺さっている短剣を回収しに行くロウジュ。二人を見ながら雷華は安堵の溜息をもらした。もちろん、ロウジュの投げた短剣がディーに当たらなかったことに対する安堵、ではなく、ルークと話していたことを上手く誤魔化せたことに対しての安堵だ。


「ライカ、俺が先に行く。受け止めるから」


「そうね。危なそうだったらお願い」


 短剣を懐にしまって戻ってきたロウジュの言葉に、逡巡した末、雷華は頷いた。一人で出来ることはなるべく他人の力を借りずにするというのが雷華の信条なのだが、今回は特別だ。意地を張らずに助けてもらうべきだろう。さすがにディーの提案は受け入れられなかったが。


「任せて」


 ロウジュは微かに笑って木の上に登っていった。雷華に頼りにされたことが嬉しかったようだ。


「ルークも先に行って」


「……わかった」


 軽々と枝から崖の上に跳び移るロウジュを見て、ルークに声をかける。ルークは一度だけ心配そうに雷華を振り返ってから、ロウジュと同じくらいの速さで崖の上に移動した。


「犬ってあんな動き出来たっけ?」


 ルークを見ながらディーが首を捻る。その疑問はもっともなのだが、出来ないと思いますと答えるわけにもいかない。頑張れば出来るんじゃないですかと適当に流して、雷華は彼に木に登るよう促した。


「頑張りの問題なのかねえ。あ、ライカちゃんが先に登っていいよ」


「でも、私遅いわよ?」


「ゆっくりでいいって。おっさん下でのんびり待ってるから」


「そう、じゃあ先に行くわね」


「ほいほい、気を付けてね」


 ひらひらと手を振るディーに背を向けて、雷華は木に手をかけた。先に行った二人のように跳ぶようには登れない。滑らないよう慎重に一歩一歩時間をかけて登っていく。目標の枝に到達したときには額に汗がびっしりと浮かんでいた。手の甲で汗をぬぐって張り付いていた髪を後ろにやる。予想はしていたが、やはり高い。

 ふぅと息を吐いて視線を前に向ければ、黒と紫の瞳が不安げにこちらを見ていた。下を見ればいつの間に移動したのか、木と崖の間にディーが立っており、それを見て何故彼が先に自分を行かせたのかを理解した雷華は、微かに顔を歪めた。


 (普段はただのお調子者って感じなのにね)


 万が一雷華が跳躍に失敗して落下したとき、ディーは受け止めるつもりでいるのだ。そのさりげない優しさはこそばゆかったが、同時に安心感をもたらしてもくれた。心に余裕が生まれてくる。

 大丈夫だと自分に言い聞かせ、一度だけ深呼吸をして腹にぐっと力を込めると、雷華は思いきり枝を蹴った。


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