三話 謎ト涙
しばらくここに入っていろ。そう言われて連れて行かれたのはやけに広そうな部屋だった。手と足を縛っていた縄を解かれどんと部屋の中に押し込まれる。振り返って閉ざされた扉に手をかけたが、やはり開きはしなかった。雷華はちっと舌打ちをして扉から手を放した。
「それにしても、まさか目指していた城に連れてこられるとは。嘲狼の塒、か」
何という偶然なのか。しかし探す手間が省けたとはいえ、けして喜べる事態ではない。自分が誘拐された理由も、ルークとロウジュが今どうしているのかも分からないのだ。何としてでもここを脱出して彼らを見つける。縄の痕がくっきり残った手首をさすると、雷華は皮膚に爪が食い込むほど掌を強く握りしめた。そして冷静になれと自分に言い聞かせた。
(何でもいい、まずは情報を集めないと)
真っ暗にしか見えなかった部屋の中がぼんやりと見えだしてくる。ようやく眼が慣れてきたようだ。何か役に立ちそうな物がないか調べようと一歩踏み出したとき、部屋の奥でかたりと音がした。
「誰っ!?」
はっとして音のした方へ鋭い声を投げかける。まさか自分以外にも人がいるとは。もしかしてさっきの男の仲間かと、雷華の身体に緊張が走った。
「あ、あの……」
しかし、返ってきたのは幼さの残る少年と思われる声。雷華の声に驚いたのか、ひどく怯えているようだ。
(子供? どうしてこんなところに……)
「ごめん、驚かせたわね。そっちに行ってもいいかな?」
怯えさせてしまったことに罪悪感を抱きながら、出来るだけ優しい声で話しかける。
「は、はい」
「ありがとう。じゃ少し待っててね」
眼が慣れたとはいえ暗いことに変わりはない。一歩一歩慎重に足を動かして、声の主に近づいていく。ふと、こんなとき髪が光ればいいのにと思ったが、一人のときならいざ知らず、見知らぬ人間がいる前でそんなことになれば気味悪がられること確実だ。雷華は浮かんだ考えをすぐに振り払った。
「よっ……と。ふう、やっと着いた。ごめんね、さっきは驚かせちゃって」
乱雑に倒された椅子――ぼろぼろに朽ちていてとても座れそうになかった――を跨いでようやく目指した人物の顔がぼんやりと分かる距離まで近づくことが出来た。
「だ、大丈夫です」
そう答えた人物はやはり最初に感じたとおり十代半ばと思われる少年だった。中性的な顔立ちをしている。良く言えば可愛らしい、悪く言えば気が弱そうといったところか。可愛らしいというのが少年にとって褒め言葉になるのかは微妙なところだが。
雷華がどういう立場の人間か判断が出来ずにいるのだろう。緊張しているのが、声からも強張った顔からも伝わってくる。
「そんなに怯えないで。私は貴方の敵じゃないわ。無理矢理連れて来られたのよ」
目線を合わせるために少し屈んで少年の方にそっと触れた。一瞬びくっと震えたが、すぐに身体の力が抜けていくのが触れた場所から伝わってきた。
「私の名前は雷華。貴方の名前を聞いてもいいかな?」
「は、はい。ロベルナ・クルツといいます。僕も、その、貴女と同じで……」
「攫われてきた、と」
「はい……」
ロベルナは服の裾をぎゅっと掴むと、くしゃりと顔を歪めた。泣くのを必死に堪えているようだ。
「そう……恐かったね、心細かったよね。我慢せずに泣いてもいいんだよ」
そう言って優しく頭を撫でてやると、ロベルナの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。一度流れた涙は止まることをしらず、後から後から零れてくる。雷華はそっと彼を抱きしめた。そうして彼が泣き止むのを待ちながら、これからどうするべきかを考えた。
(こんな子供を攫うなんて……ん、子供? そういえば、国境砦で騎士の人が言ってたわね)
裕福な家や貴族の子供が誘拐されている。そのことを思い出した雷華は、自分にしがみついて嗚咽しているロベルナの服を見た。あちこち汚れてはいるが、上質な布で出来ている気がする。それに、彼の話し方はとても洗練されていた。こんな異常な状況にも拘わらず、あのような丁寧な言葉で話すということは、よほど徹底した教育を受けていたのだろう。
(ということはこの城にいる集団が誘拐犯ということになるわけだけど、目的は何なのかしら。一番考えられるのはお金だけど……って、ちょっと待った。ここにいる奴らが子供誘拐犯だとして、じゃあ私は何故連れて来られたの? 裕福でも子供でもないのだけれど)
どうにもしっくりこない。もう少し情報を得なければ、これ以上思考は先に進みそうになかった。ロベルナが落ち着けばもう少し話が聞けるだろうかと思い、彼の背中をさすっていると、服をくいっと引っ張られた。
「ん?」
「あ、あの……もう、大丈夫です」
どうしたのかと、身体を離してロベルナの顔を覗き込むと、彼が消えそうなほど小さな声でそう呟いた。
「そう?」
「はい、その……すみませんでした」
小さな子供のように泣いてしまったことを恥ずかしく思っているのだろう。気まずそうに顔を背ける彼の仕草はとても可愛くて、思わず笑みが零れた。