三十八話 世
山に入ってからおよそ一刻、二時間ほど経過したころ、雷華たちは木のない開けた場所に着いた。王都やセンティードへと続いている川が近くにあるようで、水の流れる音が聞こえてくる。
雷華たち三人と一匹は少し休憩を取ることにし、馬からおりて岩や草の上など、思い思いの場所に腰を下ろした。生い茂る木が太陽を遮る薄暗い山道を進んできたので、陽の光がとても心地良く感じられた。
「馬で移動するのは歩くより楽だけど、お尻が痛くなるのが難点だわ」
草の上に寝転がった雷華は、うーんと背伸びをして上体を起こした。立ち上って自分の尻をとんとん叩く。すると、岩の上に座って水筒に口を付けていたディーが、にやりと笑い、口を開いた。
「おっさんが」
「結構です」
ディーの言葉をぴしゃりと遮る。何を言おうとしていたかは、彼のにやけた顔を見れば一目瞭然だった。
「まだ最後まで言ってないのに」
「聞かなくても分かるわよ。『おっさんが揉んであげようか、ぐふふふふ』とか言うつもりだったんでしょ」
大げさな身振りでディーの真似をした。もちろんこんな笑い方をしているところを見たことはない。もししていたら本気で軽蔑する。
「ちょっと、ライカちゃん! 俺はそんな変質者みたいな笑い方しないわよ!」
「最低だな」
「最も低い」
雷華に突っ込みを入れるディーに向かって、ルークとロウジュが同時に冷たく言い放った。軽蔑の眼差しでディーを見る。
「最も低いとか言わないでくれる!? 犬っころも蔑んだ眼で見ないでちょーだい! 事実無根なのに。もう、ライカちゃんのせいだからね」
「と、言われても。実際言ってそうだしね、綺麗なお姉さんとかに。勝手な想像だけど」
肩をすくめて首を振る。彼と話していると、ついからかいたくなってしまう。本当は油断のならない相手だと分かってはいるのだが。
「うわ、ひどい! 傷ついた、すごい傷ついたわ」
「さて、木蘭を川に連れて行かないと。あ、岩塩もあげた方がいいかな」
胸を押さえて叫んでいるディーを無視して、美味しそうに草を食べている木蘭に近づく。草の上に伏せて、寄ってくる小さな虫を前足で追い払っていたルークも、立ち上って後を追ってくる。背中にくくりつけてある荷物から岩塩を取り出そうとすると、ディーが座っているのとは違う岩に凭れかかっていたロウジュが、岩から離れて雷華の傍にやってきた。
「俺が連れていく。ライカは休んでて」
「え、でも」
「俺は疲れてないから」
「そう? じゃあお願いするわ、ロウジュ」
「うん」
取り出した岩塩をロウジュに渡す。受け取った彼は頷いて、璃寛と木蘭の手綱を引き、水音が聞こえる森の中へと入っていった。すぐに姿が見えなくなる。
「ディーは? 馬に水を飲ませてあげなくていいの?」
「……行く」
振り返ってディーを見ると、彼はしょんぼりしながら自分の馬に向かって歩いていった。元気いっぱいの黒翔馬を元気なく引いて森の中へ消えて行くディー。彼の逞しい背中が完全に森の中に消えたのを確認すると、雷華は懐から眼鏡を出してかけた。
「さてと、目的地はどこかしら」
ディーに案内を頼んだものの、彼が悠久の理を探していた場所に行きたいわけではない。そこは単なる目安、目印でしかないのだ。最終の目的地、永劫の園は、黒い光が示す場所。見つけることが出来るのはただ一人、雷華のみ。
ディーにここだと言われたところで見られれば一番良いのだが、今のように都合よく彼がどこかに行ってくれるとは限らない。見れるときに探すしかないのだ。
「ここからだと全体を見渡せないから期待薄かな」
自分たちが通って来た方には何もない。左――方角でいう西――を見ても変わったところは見つからなかった。
「どうだ?」
「もう少し待って。山を俯瞰出来れば早いのだけど、無理な話よね。ん? あそこ黒く光ってるかも」
北東に位置する右上に、濃い緑に紛れて黒く光る箇所があった。眼鏡をずらして裸眼で見ると何も光っていない。どうやら間違いなさそうだ。
「あったわ。あの辺りね。距離は、多分リムダ山の入り口からここまでと同じくらいじゃないかしら」
「そうか」
ルークに光の位置を教えながら雷華は不安に駆られる。これまでは完璧とまではいかなくても道が整備されていて、馬で楽に登ってこれた。しかし、このまま最後まで馬で行けるのだろうか。それとも、ヴィブゾール山のときのように、命懸けの登山をしなくてはならないのだろうか。
「楽して行けるところなら誰かがとっくに見つけてるわよ、ね」
不安は的中するのだろうなと、雷華は深々と溜息を吐いて項垂れた。




