三十七話 ハ
兵士の姿が見えなくなって大分経ってから、雷華は徐に口を開いた。
「あんな嘘言って大丈夫なの?」
「うん? 嘘って何のこと?」
ディーが振り向いて首を傾げて訊き返してくる。その態度が白々しいと感じた雷華は少し苛立った。
「公爵に頼まれたとか、完全に嘘じゃない。確認に行かれたらどうするつもりだったのよ」
「奴らの顔見たでしょ。そんな危険なことするわけないって。この国の貴族はほんとに容赦ないから」
「それは、知ってるけど……」
山道の脇の木に生っている黄色い実を視界の隅に捉えながら、雷華は思考を巡らせる。イシュアヌの貴族がどれだけ非道かは知っている。確かに不興を買えば厳しい処罰が待っているのだろう。しかし、それは裏を返せばディーも処罰を受ける可能性があるということになるのではないか。もし、あの兵士が処罰を受けるのを覚悟で公爵に確認に行っていれば、ディーの言葉は嘘だとすぐに知れる。その危険を承知でのはったりだったのか。それとも、知られても罰を受けないという確信があったのか。
そもそも、一体彼は何者なのだろう。賞金稼ぎだと身分を偽る理由は何なのだろうか。
次々と疑問が現れ、雷華の思考を埋めていき、意識は答えを求めて記憶の海を彷徨う。
「誰か来る」
「え?」
ロウジュの声で、雷華は意識を現実に戻した。後ろを振り返ると、ロウジュが馬を止めて右前方の山道ではない森の中を睨んでいる。雷華には分からなかったが、ルークとディーは気配を感じたようだった。ディーが馬を止め、続く木蘭、璃寛の足も止まる。三人と一匹は、森にいる誰かが出てくるのをじっと待った。
「……さいしょ……も……趣味……るよな」
「ああ……あれの面倒を……にもなって……いぜ」
「次はいつ…………祭のすぐ……か?」
「……そうだ。どっかの町の……が来る……」
葉が擦れる音で途切れ途切れにしか聞こえないが、どうやら二人の男が会話をしながら歩いているようだ。だんだん声がはっきりと聞こえてくる。
「あんなの見て何が楽しいんだ?」
「さあな。っと、ようやく戻ってきた、なっ、なんだ貴様らは!? どこから入った!」
「不法侵入者か!?」
森から出てきたのは兵士だった。彼らは山道にいた雷華たちに驚き、腰に下げていた剣を抜いて片手で構えた。それぞれ反対の手には、黒い染みが付いたかなり大きい灰色の皮袋を持っている。袋を置いて両手で構えたほうがいいのでは? と剣を向けられた全員が思ったが、誰も口には出さなかった。
「ちゃーんと許可取ってるわよ。じゃなきゃこんな堂々と通らないでしょ」
ディーが許可証が入った筒を兵士に向かって放り投げる。突然飛んできた筒をわたわたしながら受け止めた兵士は、剣を鞘に収めてから中身を取り出した。もう一人の兵士は剣を雷華たち、というかディーに向けたままだ。
多少は驚いたものの、何も悪いことはしていないので慌てたりはしない。それよりも気になるのは兵士たちだ。彼らは道なき道を通って何をしてきたのだろうか。皮袋に付いている黒い染み、あれはもしかすると――
「本物のようだ。おい、剣をしまえ」
「わかった」
許可証を確認していた兵士がもう一人に声をかけた。
「非礼を詫びる」
「いいっていいって。それよりあんたら、どこ行ってたの?」
兵士から返された筒を受け取りながらディーが訊くと、彼らの顔色がさっと変わった。
「お前たちには関係のないことだ。ではな」
それだけ言うと兵士二人は雷華たちの脇を通り、足早に山を下りていった。詮索するなということだろうが、あんな会話を聞いた後だ。気にならない方がおかしい。それに気掛かりなこともある。兵士が横を通り過ぎたとき、微かに臭ったのだ。鼻につく、独特の臭い。あれは間違いなく、
「血の臭い」
雷華の言葉にルークとロウジュが頷く。
「ライカちゃんも分かったみたいね。臭いの出処は皮袋かな」
「そうね。今は空みたいだったけど……何が入っていたのかしら」
今度は雷華がディーに頷く。皮袋に付いていた黒い染み。最初に見たときは半信半疑だったが、臭いで確信した。あれはやはり変色した血だったのだ。
「確認する?」
ロウジュが微かに首を傾げて訊いてきたが、雷華は首を振った。
「……ううん、いいわ。気になるけど、今はやるべきことがあるもの」
兵士二人が何をしていたのか確かめたいと思う気持ちは確かにある。だが、寄り道してこの山にいる時間を延ばしたくないというのが本音だった。山を見て感じた何とも言えない嫌な感じは、入ったあと、より一層強く感じるようになった。
「そうだな。永劫の園を探そう」
「ディーはどうするの? 行く?」
「行かない。だって野郎の行動に興味なんてないし」
「そう。じゃ、早く行きましょ」
兵士が現れた道なき道の先にあるのは驚愕の真実。それを雷華たちが知るのはまだ少し先のことだった。




