三十四話 知
「……わかった。お前も動くな」
「え、何で何で?」
「うるさい。動くな」
緊張感のないやりとりを聞きながら雷華はディーに意識を集中させる。首に剣を当てられ一瞬焦ったが、これは絶好の機会なのだ。今ならば何の言い訳をせずとも過去を見ることが出来る。
(人の過去を無断で見るのは気が引けるけど)
雷華は心の中で謝りながら、ディーの後ろに見える半透明の光景をじっと見つめた。
最初に映し出されたのは、ディーと可憐な女性の姿。二人は寄り添っていてとても幸せそうな顔をしている。女性は恋人か妻なのだろう。
次に見えたのは広い部屋で跪いているディーの姿。彼の視線の先には、豪奢なドレスに身を包んだ違う女性がいた。ディーの服装も違っている。
(あれと似た服装をどこかで見たような……ああ、そうかエルさんが着てたんだわ。ルークの言ったとおりのようね)
かっちりとした黒っぽい服を着た過去のディーは無精髭もなく、真剣な表情をしており騎士だと言われても違和感はない。
今の彼の姿からはあまり想像できないが。
「お前ら、そこを動くんじゃねえぞ。一歩でも動いたらこの女を殺すからな」
カダリはルークたち二人と一匹を睨みながらゆっくりと後退りし始める。柵に繋がれた馬のところに行こうとしているようだ。
「ねえ、馬に乗られると厄介なんだけど」
「そんなことにはならない」
「何で分かるわけ? 兄さんはライカちゃんが心配じゃな――」
「それ以上一言でも喋ればあの男よりお前を先に殺す」
脅しではない殺気をロウジュに向けられ、ディーは肩を竦めて口を閉ざした。
また場面が変わる。今度は最初に見た女性がベッドに横たわっていた。眠っているのかと思ったが、そうではなかった。彼女は帰らぬ人となっていた。動かない彼女に縋ってディーが啼いている。聞こえないはずの慟哭が聞こえてくる気がした。それほど彼は哀しんでいた。
(私が見たいのはこんな場面じゃないのに。さっき見えたのはどこなの)
カダリに引きずられながら、雷華は焦り始めた。首筋に痛みが走る。どうやら皮膚が切れたらしい。だが、今はそんなことはどうでもいい。早く見つけなければ。
次々に変わる場面を早送りのようにして見ていく。また誰かがベッドに横たわっていた。ディーを含めた大勢の人間に囲まれている。死んでいるわけではなく、病気か何かで臥せっているようだ。女性だということは体型から分かったが、光は見えなかったためそれ以上詳しく見ることなく次の場面に移った。
「ライカ、まだなのかっ」
ルークが低い声で唸る。雷華自身に止められたとはいえ、いつまでも彼女の首に刃が当てられているのを見ているだけなど苦痛でしかない。今すぐこの手に取り戻したい。しかし彼女からの合図はまだない。ルークはカダリに飛びかかりたいという衝動を、地面に爪を突き立てることで何とか抑えていた。
「黒翔馬じゃねえか。売れば金貨一枚にはなる……が、こいつは主と認めた人間以外に操られるのを嫌うらしいからな。ちっ、仕方ねえ、自分の馬で行くか」
馬の傍まで来たカダリは、黒毛の馬を未練がましく見ながら、隣に並ぶ栗毛の馬の手綱を柵から解き始めた。
これ以上は見続けるのは無理だと思い、カダリの拘束から逃れようと、雷華は身体に力を入れた。
そのとき、
「あっ!」
半透明の光景に光るものが見えた。小さな光だが間違いなく雷華が探し求めていたものだ。
(場所は……山かしら。でもどこの? 何か目印は、ん? あの建物は……そうか! ここはリムダエイムの後ろにある山だわ)
光とは反対の方角に見える町。その中央に建つ、空にまで続いているのかと思うほど高く、そして細く尖った塔には見覚えがあった。あれはイシュアヌの王城だ。
そこまで確認すると雷華はディーから眼を離した。
「よし、馬に乗れ」
「お断りします」
「お前いま自分がどういう状況なのか分かってんのか」
「もちろん。完璧に、理解、してるわよ!」
言葉と同時にカダリの足を思い切り踏み、剣を持つ手を掴んで腹に肘鉄をくらわせる。力が緩んだ一瞬の隙をついて不快な腕を振りほどき、地面に転がりながら雷華は叫んだ。
「ルーク、ロウジュ!」
「ライカ!」
「すぐに」
名を呼ばれた一人と一匹は一瞬で距離を詰め、もう一度雷華を捕まえようとするカダリに容赦のない蹴りを入れた。
「うぎゃあぁっ」
後ろに吹っ飛ぶカダリ。彼は受身を取ることもなく、背中から地面に落ち、四、五回転がってようやく止まった。かなりの衝撃を受けたと思われたが、意識は失っていないようだ。腐っても賞金稼ぎというべきか。
「ほんと、しぶといわね」
大剣を肩に載せているディーが呆れた顔で、よろよろと起き上がろうとするカダリに近づこうとする。しかし、それよりも前にロウジュが短剣を放った。
「ひぃぃっ!」
短剣はカダリの顔すれすれを通り過ぎ、地面に突き刺さる。少しでもずれていたら、彼の命はなかっただろう。
「ロウジュ、やりすぎよ」
ディーから見えないよう素早く眼鏡を外してフードを取った雷華は、今にもカダリにとどめを刺しそうなロウジュの腕を掴んで止めさせる。
「ライカに怪我させた。殺したい」
「ちょっと皮膚を斬られただけよ。すぐに治るわ。ディーさん、すみませんけどこの人を縛ってもらえますか?」
「はいはい、喜んで。しっかし、ライカちゃんって意外と強いんだねえ。おっさん驚いたわ」
ディーは再びカダリの腹に拳を叩きこんで気絶させ、手際よく彼の手足を縛りあげた。先ほどよりも拳の威力が強いように見えたのは気のせいではないだろう。
「おっさん? え、ええ、まあ。多少の武術の心得はあります。貴方やルー……ロウジュには到底敵いませんけど。ところで、これからのご予定をお伺いしても?」
木蘭に括りつけている皮袋から水筒と布を取り出し、水で濡らした布で首の傷をそっと押さえる。ぴりっと痛むが仕方ない。僅かな傷と引き換えに、欲しかった手掛かりが得られたのだから良しとしなければ。
「ライカ、痛むのか」
「大丈夫、大したことないから」
耳をへにょっと曲げて見上げてくるルークに、にこりと笑って頷く。布を外して傷口に触れてみたが、指に血は付かなかった。
「とりあえずコイツをリムダエイムの手配依頼所に連れて行くけど。そのあとは……なになに、ライカちゃんてばおっさんのことが気になるの?」
「なりません。全く、すぐに話の腰を折らないで下さい。リムダエイムまでご一緒してもいいですか? 道中お訊きしたいことがあるので。あ、先に言っておきますけど、ディーさんの趣味嗜好などにはこれっぽちも興味ないですから」
「そんなに全力で否定しなくてもよくない? おっさんの繊細な心が傷付くわ」
意識のないカダリを乱暴に自分の馬に乗せたディーは、わざとらしく胸を押さえてよろめく。
「俺、こいつ嫌い」
外套を纏い氷よりも冷たく言い放って、地面に突き刺さった短剣を回収しに行くロウジュ。「珍しく意見が合ったな」と足許でルークが呟くのを聞いた雷華は、やはり二人はよく似ていると苦笑まじりの溜息を吐いた。
「男に嫌われても別に何とも思わないし。ライカちゃん、一緒に来るんだったらちょっと急ぐよー。手配依頼所が閉まる前に着きたいからね」
「あ、はい、分かりました」
むさい男と一晩過ごすのは勘弁と言って大剣を馬に括りつけたディーは、さっと騎乗する。雷華も慌てて柵から手綱を解いてルークを皮袋に入れ、木蘭によじ登った。ロウジュを見ると、彼はいつの間にか璃寛に跨っていた。
「じゃあ、出発っと」
黄金色の草原を背に、三頭の馬は一斉に駆け出した。




