二話 行ク先
国境では王都に入るときと同じような検問があったが、リオンが用意してくれた身分証と通行証のおかげですんなりと通れた。聖師の名はやはり伊達ではないのだと感心したものだった。
砦の兵士に礼をしてイシュアヌに進もうとすると、少し離れたところにいた騎士が近づいて来て雷華たちに忠告してきた。何でも最近イシュアヌでは、裕福な家や貴族の子供が行方不明になるという事件が頻発しているということだった。子供が行方不明……漠然とした不快感を抱きつつ、まだ見ぬ国に足を踏み入れた。
イシュアヌに入ってから雷華が感じたこと、それは乾きと荒れ。国境を越えてしばらくはなんとも思わなかったが、進むにつれ景色が明らかに変わっていった。少ない緑、乾いた風、ひび割れた大地、マーレ=ボルジエでは見なかった光景だ。
「どうしてこんなに荒れているのかしら」
「数年前に任務で訪れたときはここまでひどくはなかったのだが……」
イシュアヌで初めて立ち寄った村は、サルテという名だった。あまり大きな村ではなかったが、村の外よりは緑があり活気があった。宿の主人に滅んだ町のことを聞いたところ、北西に進み森を越えた先にあると教えてくれた。何故そんなことを訊くのか不思議がられたが、古城に興味があるなどと言ってごまかした。
「最近雨が降らなくてねえ。このままだとこの村も危ないかもしれない」
「この村、も?」
「お客さん方が行きたがっている町、リーレグランが滅んだのは水が枯渇したからなんだよ」
「雨が降らなかったからですか?」
「いや、なんでも突然井戸が涸れたとか。町中の井戸が全て涸れるなんて信じられないけど、このまま雨が降らなければこの村の井戸もそうなりそうだよ」
宿の主人のぼやきとも愚痴ともとれない話をしばらく聞くことになった。
翌日はひらすら北西に進み、森に入る手前で太陽が姿を隠した。乾いた冷たい森だった。風が吹いて葉と葉が触れ合う音ですら乾いていた。どこまでも寂しい森だと思った。
雷華たちは森に入ってすぐのところで野宿の用意を始めた。といっても、焚き火をするための枯れ枝を集めるだけだったが。
「ん?」
何か音が聞こえたような気がして、雷華は辺りを見渡した。
「どうした、ライカ?」
足元でルークが怪訝そうに見上げていた。
「今何か……気のせいかな」
「そろそろ戻るぞ」
「そうね、戻ってご飯にしましょう」
音の正体が気になったものの、この時はルークに従ってロウジュが待つ場所に枯れ枝を抱えて戻った。
火を囲んで簡単な夕食を取り、明日のことを話し合ったあと、いつものように交替で火の番をしながら寝ることになったのだが――そこからの記憶が曖昧だった。気がつけば身動きが取れない状態で荷台に転がっていた。
(睡眠薬でも嗅がされたかな……二人は無事かしら)
これまでのことを思い出していた雷華は、ルークとロウジュのことが心配になった。自分より遥かに強い二人だが、もし睡眠薬が使用されたのだとすれば。最悪の結果が頭に浮かび、ぎゅっと眼を瞑ってその考えを振り払った。
(大丈夫、きっと大丈夫。あの二人に限ってそんなことあるはずがない。まずは、どうにかして逃げ出す方法を)
「おぉっ……ったいっ!」
ふわりと身体が浮いたかと思うと、次の瞬間荷台の床に叩きつけられた。もう何度目になるか分からない衝撃だが、慣れるはずもなく痛みで目尻に涙が浮かぶ。
どれだけの距離を走ったのだろう。身体中に痣が出来たと確信を持ったころ、ようやく荷馬車は止まった。すぐに御者台にいた男が荷台にやってきて、雷華を肩に担ぎあげた。長時間激しい揺れに晒された身体は疲労困憊で、抗う体力は残っていなかった。
「ここはどこなの」
少しでも情報を得ようと、男に話しかける。本当に言いたいことは別にあったが、それはここを逃げるときだと我慢した。
「嘲狼の塒さ。死にたくなきゃ、大人しくしてるんだな」
男はあっさりと教えてくれた。ありきたりな脅しも付け加えられたが。
(長老の塒? 村ぐるみで誘拐してるってこと!?)
一体どんな村なのかと雷華は驚きを隠せなかったが、男が歩を進めるにつれ自分の考えが間違っていたことに気付いた。担がれているため視界には地面しか入ってこないが、星の明かりに照らされて見えるものはどれも朽ちている。とても人が住んでいるとは思えない。風が吹くと砂埃が巻き上がり、雷華は思わず眼を閉じた。
「着いたぜ」
男の声で眼を開ける。相変わらず地面しか見えなかったが、首に力を入れて頭を上げると雷華は息を呑んだ。
「リーレグラン……」
眼の前にあったのは、崩れかかった城だった。無意識に口から零れた。自分たちが目指していた場所、なぜこんなところに連れて来られたのか。この町は五十年前に滅びたのではなかったのか。様々な疑問が頭の中を飛び交う。
「今は違う。ここは世界の全てを嘲り笑う、人を捨てた狼が集う場所――嘲狼の塒だ」
男の声には、怒りと誇り、そして悲しみが含まれていた。