二十六話 世
センティードを出たその日の夜、偶然にも雷華は地竜を眼にすることが出来た。雷華たちと同じく、センティードから王都に向かう親子が、馬車を地竜にひかせていた。親子は王都で商会を営んでいるといい、ここで会ったのも何かの縁だと、売り物である果物水を振舞ってくれた。
「あ、美味しい。初めての味だわ」
木苺に近い味のする赤色の液体は、喉越しがよく程よい酸味があってとても美味しかった。
「ありがとうございます。このリムゾという実を使ったリムゾ水は、フィエマ商会の人気商品の一つなんです」
アムジットと名乗った女の子が嬉しそうに頭を下げる。くりっと丸い茶色の瞳。二つに分けて括っている蜂蜜色のふわふわした髪。とても愛らしい出で立ちをしているが、話し方はすでに立派な商人だ。十歳だと言っていたが、とてもしっかりしている。
「そういえば、お父さんは? さっきから姿が見えないけど」
雷華たち二人と一匹とアムジットは、王都から流れる川のそばでおこした焚き火を囲んで座っている。アムジットの父親だけがこの場にいなかった。
「ジーレィなら馬車で新しいドレスを描いています。ライカさんを見て何か思いついたみたいで」
「ジーレィ? お父さんのこと、名前で呼んでいるの?」
彼女の父親の名はジグレイド。自己紹介のときにジーレィと呼んでほしいと言われたが、娘のアムジットまでがそう呼んでいるとは。親を名前で呼ぶ習慣のない国で生活していた雷華は、少し驚いた。
「父からそうするように言われているんです」
「へえ、そうなの」
家庭の事情というやつなのだろうか。確かにジグレイドに“お父さん”は似合わない気がする。なにせ彼の第一声は「まあ! まあまあ! 貴女、なんて綺麗な髪と眼をしているのかしら! 素敵! 素敵だわぁ!」だったのだ。雷華はもとより、ロウジュまでもが眼を点にして固まった。
「ライカさんは、どこから来られたのですか?」
ぱちぱちと焚き火が爆ぜる。
ルークは雷華の隣で身体を伏せ、ロウジュは焚き火の反対側で武器の手入れをしていた。
「マーレ=ボルジエよ」
「マーレ=ボルジエ! 私、一度だけ行ったことがあります。とてもいい国だと思いました」
「あら、そうだったのね」
後ろから新たな声が加わり、雷華が振り向くとジグレイドが立っていた。いつの間にか馬車から出て来ていたようだ。
アムジットと同じ髪と眼の色の、三十代半ばの男。細身ではあるが、性別に戸惑うことはない。だからこそ、彼の女性よりも女性らしい言動には心底驚いた。
「アムジットの言うとおり、あの国はいいわよー。ここと違って貴族が平民を虐げてないし。国王様の眼が行き届いているからでしょうねえ」
羨ましいわぁと頬に手を当てて溜息をつくジグレイド。
「イシュアヌの国王は違うのですか?」
興味が湧いたので少し訊いてみることにした。雷華はほとんどこの国のことを知らない。まあ、マーレ=ボルジエについても詳しいとはとても言えないが。
「まだ少年でしょう? 宰相の傀儡なのよ。傍には宰相の息のかかった人間しかいないんじゃないかしら。貴族はやりたい放題ってわけ」
「少年? 王様は少年なのですか?」
雷華の問いに、ジグレイドは地面に腰を下ろしながら頷く。アムジットが用意したグラスを受け取ると、彼は中のリムゾ水を一口飲み、再び口を開いた。
「そうよ。御年十四、いえもうすぐ十五歳になられるわね。ヒューゼヴェールト陛下が国王の座につかれておよそ三年になるわ。といっても、先代の国王様は別に病弱だったわけじゃないの。視察に向かわれた先で馬車の暴走してね。それが原因で亡くなられた――と公には発表されたけれど、本当は宰相が国王様を弑逆したんじゃないかってもっぱらの噂なのよ。尤も、誰も表立って言ったりはしないけれど」
もしかして、イシュアヌでは少年が王になるのが普通なのかと思ったが、そのような事情があったとは。三年前ということはつまり即位したとき彼は十一歳。時期国王としての教育を受けていたとしても、全てを理解出来ていたとはとても思えない。実際に政を行うのは、周囲の大人ということになるだろう。その頂点が――ジグレイドが言うには――宰相ということか。
「それが本当なら、許せないですね」
きゅっ、とリムゾ水が入ったグラスを握りしめる。事実であれば、レヴァイアの娘フェリシアが死んだのは、宰相のせいだと言えなくもない。雷華は、会ったこともない、そしておそらくこれからも会うことはないであろう宰相という人物に、微かな怒りを覚えた。
「ごめんなさい、つまらない話をしちゃったわ。話を変えましょう」
雷華の表情を見たのか、ジグレイドが明るい声で言った。
「そうだわ、マーレ=ボルジエでは今どんな服が流行っているのかしら」
「ライカさんはどんな服がお好きですか?」
話題を変えることに異論はなかったが、フィエマ親子の質問はどちらも答えにくいもので、雷華は救いを求めてルークに視線を向ける。しかし、彼は耳を曲げて、すっと視線を逸らした。役には立てないという意思表示らしい。
ロウジュはといえば、いつの間にか手入れを終えており、すでに横になっていた。予想はしていたが、会話に加わる気はさらさらないようだ。
「え、ええと……」
ルークとロウジュの頬をつねりたい衝動にかられつつ、好奇心旺盛な親子の終わることのない質問に答え続けた雷華だった。




