二十四話 為
「ライカ!」
名を呼ばれゆるゆると顔を上げる。いつの間にか空は茜色に変わっていた。
「どうした、何かあったのか!?」
「ルーク……どうしてその姿に?」
人間の姿をしたルークが焦った顔で眼の前にいる。何故彼はこんなにも焦っているのだろう。雷華はぼんやりと考える。そもそも自分はここで何をしていたのだったか。
「お前が帰って来ないからだろう!」
思い出そうとしていると、ルークが雷華の肩を掴んで怒鳴った。
「そう、そうだったわね。ごめん、迷惑かけた。じゃあロウジュも私を捜してくれているのね」
「迷惑など……ライカ、無事で良かった」
ルークにぎゅっと抱きしめられる。彼の体温を肌に感じ、ぼうっとしていた頭が徐々に覚醒してくる。橋を通る人の冷やかしの声が耳に入ってきたところで、雷華は恥ずかしくなり、ルークの胸を押して離れた――いや、離れようとしたのだが、後ろに引いた右足で石ころを踏んでしまい、大きく体勢を崩してしまった。
「わっ」
「危ない!」
ルークが素早く腕を掴み、雷華を自分の方へ引き寄せる。
距離をとろうとした相手に助けられ、密着した体勢に戻るとは。ずっと同じ姿勢で佇んでいたせいで思うように足が動かなかったからとはいえ、間抜けすぎる。
「あは、あはははは」
もう笑うしかない。雷華は心の中で泣きながらルークから離れ、彼に背を向けて歩き始めた。
「さ、帰るわよ。途中でロウジュに会えるといいのだけど」
「……俺より奴に見つけて欲しかったのか」
「どうしてそうなるの? 誰もそんなこと言ってないでしょう」
後ろから聞こえてきた地面を這いずるような低い声に、溜息を吐いて振り返る。
「不安なのだ。お前の姿が見えないだけで、呼吸の仕方も忘れそうになる。お前の口から奴の名が出るだけで、心に黒い感情が渦巻く。マーレ=ボルジエは俺の誇り。だが、地位や身分を捨ててでもお前と共に在り続けたいと思う自分がいる。俺は、俺は――それほどにお前を愛しいと思っている。そして、お前にこの想いに応えて欲しいと」
ルークの胸の内を聞かされ、雷華は言葉に詰まる。何と答えればよい? 簡単だ。先ほどヴォロンに告げたのと同じことを言えばいい。身分どころか生きている世界が違う人間同士、上手くいくはずがないと。
「私は――」
口を開いたものの、それ以上言葉を紡ぐことが出来ない。たった一言、「否」と言えば済む。それが最良の選択だと頭では分かっているのだ。
なのに、口の中が乾くばかりでどうしても言葉を紡げない。他人にはあんなに簡単に言えたのに。いま言えないのは何故なのか。
理由は一つ。
心のどこかで応えたいと思っているからだ。共に在りたいと願う気持ちがあるからだ。
「……宿に帰りましょう、暗くなってしまったわ」
ルークの手を取り雷華は歩き始める。肯定も否定もしないのは卑怯だと思う。だが、今はまだ答えが出せなかった。
心は最善の道を探し、当てもなく彷徨い続ける。どうか見つかりますようにと叫びながら。
繋いだ手は、切ないほどに温かかった。
「ライカ!」
「うわっ」
無言のまま人気の少なくなった通りを歩き、欠けた月を見上げていると、突然誰かに抱きしめられた。と言っても、そんなことをする人間に心当たりは二人しかなく、うち一人とは手を繋いでいる。ということは、必然的に残りの一人になるのだが、そんなことをいちいち考えるまでもなく、誰なのかは声で明白だった。
「ロ、ロウジュ、苦しい。は、放して」
雷華が空いている手で身体を叩くと、ロウジュは腕の力を緩めた。
「ごめん、つい、嬉しくて」
「ううん、私も心配かけてごめんね」
しゅんとなるロウジュの頭を撫でると、彼は僅かに表情を綻ばせた。そこに、ルークの怒気を含んだ声が降ってくる。
「お前、どういうつもりだ」
「どうしたのルーク、ってロウジュ! 貴方何やってるの!」
視線を動かし、隣にいるルークを見てぎょっとなる。彼の首元には短剣が押し当てられていた。つまり、ロウジュは片手で雷華を抱きしめ、もう片方の手でルークの動きを止めていたのだ。器用だと感心するべきなのか、危ないと怒るべきなのか。
「ロウジュ、その物騒なものを仕舞って」
ルークの手を離し、ロウジュの腕を掴む。黒髪の元暗殺者は素直に短剣を下ろした。
鈍色に光る刃を見つめ、ふと考える。自分が仲裁に入らなければ、また昼間のようなことが起きるのだろう。しかし、止めることによって二人の中に怒りや憤りが蓄積されていっているのだとしたら?
(良くない、わよね)
「ルーク、あとどれくらい人間の姿でいられる?」
短剣から目を離し、隣にいるルークを見上げる。
「急にどうしたのだ? そうだな、半刻より少し短いといったところだと思うが」
唐突な問いに眉を寄せながらも怒気を消し、ルークは答えた。
「丁度いいくらいね。二人とも町の外に行くわよ。ほら急いで」
雷華は満足げに頷くと、夕二の刻を告げる鐘が鳴る中、走り出した。
「どこへ行く?」
「ライカ?」
事情の呑み込めない黒髪の二人は、一瞬顔を見合わせたが、すぐに舌打ちをして視線をそらし、同時に地面を蹴った。
建物から漏れる灯りと空の明かりを頼りに、三人はセンティードの町を駆け抜け、外の平原に出る。
「はあっ、はぁっ、さ、さすがにずっと全速力はきついわね」
一番体力のない雷華は、倒れ込むように地面に片膝をついた。深呼吸を繰り返し呼吸を整える。そうして早くなった心臓の鼓動を落ち着かせると、立ち上がり、全く息の乱れていない黒髪の二人を軽く睨んだ。
「じゃあ、好きにやってちょうだい」
「やる、とは?」
「何を?」
ルークとロウジュは首を傾げて雷華を見返す。
「だから、好きに闘いなさいって言ってるの。ここなら誰にも迷惑がかからないでしょうから。あ、でも武器は禁止よ。骨を折ったりするのも禁止。分かった? 分かったらさっさと始める。ルークが犬の姿に戻ったら止めるからね」
一方的にそう言うと、雷華は二人から距離をとった。
思う存分やり合えば、二人の中に溜まったものが、全てとはいかなくともある程度は消えるだろうと思ったのだ。それにもしかすると、拳を交えることで友情が芽生えるかもしれないとも――可能性は限りなく低いだろうが。
殺し合いに発展されては困るため武器の使用は禁じたが、闘うのに支障はないはずだ。
「…………」
「…………」
雷華の思惑を理解した黒髪の二人は、まばらに生える草原の中で、つかの間睨み合った。またとない機会。身体の中から闘志が湧いてくる。全力でもって相手を叩き潰せと心が囁く。
風が吹いた刹那、二人は後方に跳び、次の瞬間には攻撃を繰り出していた。
がんっ、とルークの拳とロウジュの足がぶつかる。互いに相手を押し返すべく、力を籠める。先に引いたのはロウジュ。後ろに跳び、もう一度、今度は上に高く跳ぶと、空中で身体を回転させながら、ルークの頭めがけて踵を落とす。強烈な一撃。当たれば致命傷になりかねない。しかし、ルークは避けずに頭上で交差させた両腕で受け止めた。その状態から蹴りを繰り出す。
「っ」
ルークの長い脚がロウジュの髪をかすめる。ロウジュは片手を地面につき、身体を捻って回し蹴りを仕掛けたが、ルークに弾かれたため、舌打ちをして距離を取った。
「どっちの攻撃も、まともに食らえば骨が粉砕しそうな威力ね」
平原に転がっていた石に腰を下ろし、雷華は膝に片肘をつく。眼の前で繰り広げられる二人の攻防。けしかけたのは自分だが、予想以上に激しい闘いに、ただただ驚くばかりだ。もっと早くに気付いていればよかった。彼らがこれ程に感情を抑え込んでいたとは。
「これからはもう少し二人の意思を尊重したほうがいいのかしら。でも、これがきっかけで、いがみ合わない程度の仲になってくれればいいのだけど……無理、なんでしょうね」
仄明るい夜空の下で、拳を突き出し、蹴りを放つ二人の姿を見ながら、雷華はため息交じりの笑みを零した。
力はルークが上、だが素早さではロウジュに分がある。一進一退を繰り返す二人の闘いは、ルークが人間の姿でいられる限界がくるまで続いた。
「どう? 少しは相手を認められるようになった?」
黒犬の姿に戻り荒い呼吸をしているルークと、額に汗を滲ませているロウジュ。さすがに疲れたらしい。
「……ふん」
「嫌い」
一人と一匹は雷華の顔を見、互いの顔を見、そして示し合わせたように顔を背けた。
「まあ、そうだろうと思ったけどね。町に戻りましょうか。お腹ぺこぺこだわ」
「同意見だ」
「腹空いた」
歩いてセンティードに戻る。誰も何も言わなかった。疲労のせいでも、空腹のせいでもない。交わす言葉を持ち合わせていなかったのだ。
聞こえるのは草が揺れる音と虫の鳴き声だけ。静かで、優しい夜。
いつまでこうして並んで歩けるのだろう。いつか終わりが来る。だが、もう少し、もう少しだけこのままいさせてほしい。雷華は頭上で静かに瞬く星に願った。




