二十三話 ガ
「二人ともしばらく反省してなさい!」
勢いよく扉を閉める。どすどす大きな足音を立てて廊下を歩くと、すれ違う人間は皆、びくっとなって雷華に道を譲ってきた。よほど自分は怖い顔をしているらしい。そう自覚しながらも、なかなか怒りを収めることは出来なかった。
ルークとロウジュが部屋で言い争いをした。いつものことだ。いちいち目くじらを立てるようなことではない。しかし、言葉の争いが力の衝突に移行し、その結果、花が活けてあった花瓶が割れ、破片が雷華の立っていたすぐ横の壁に突き刺さったところで、彼女の中の何かが弾けた。
二人を止めるために壁を思いきり叩いたせいで、まだ手が痺れている。さぞ、他の客の迷惑になったことだろう。
いつの間にか町の中央を流れる川の前に来ていた。怒りにまかせて歩いていたため、どこを通ったのかよく覚えていないが丁度良い。しばらくここで気持ちを落ち着かせようと、雷華は川に架かる橋の手摺りにその身を預けた。せせらぎが耳に心地良い。陽はまだ高い位置にあったが、川の上にいるせいか、それほど暑さは感じなかった。
「はぁ」
特大の溜息が口から自然と零れる。
厚い友情を育めとは言わない。酒を酌み交わす仲になれとも言わない。が、一緒に旅をしてるのだから、もう少し節度のある対応をしてほしいと思うのは、高望みなのだろうか。
「全部私のせい、ってことになるのかしらね」
「全部生まれのせい、なんだよね」
「え?」
自分の声に被さるようにしてすぐ近くから声が聞こえ、雷華は川から視線を上げた。
「あら、貴方はさっきの」
いつの間にか隣に人がいた。雷華と同じような体勢で、同じように溜息を吐いていたのは、町の入口で色々教えてくれた青年だった。やわらかそうな赤茶色の髪が風で揺れている。
「さっきの旅の人。どうしたの、こんなところで。恋人は?」
「ちょっと色々ありまして。彼は恋人ではないです。貴方こそどうかしたんですか? 生まれがどうとか言ってましたけど」
「僕もちょっとね。恋人と、というか恋人の親と上手くいかなくてさ」
一瞬哀しげな表情を見せた青年は、「よっ」と言って手摺りから離れ、雷華の方を向いた。
「そういえば名乗ってなかったな。僕はヴォロン。地竜の世話係をしてるんだ。君は?」
「雷華といいます。職業は旅人、です。多分。地竜ってなんですか?」
雷華も手摺りから離れ青年と向き合った。二人の横を馬車や人が通り過ぎていく。
「普通に喋ってくれていいよ。僕はそんな言葉を使われるような人間じゃないし、なんかこそばゆい。地竜を知らないってことは、ライカはよその国から来たの? へえ、マーレ=ボルジエから。イシュアヌではそんなに珍しくない獣だよ。野生がほとんどだけど、貴族が馬の代わりに馬車を引かせたりもする。ちょっと顔が恐くて馬より大きいけど、人懐こくて大人しいんだ」
ただし怒ると獰猛になるけど、とヴォロンは爽やかな笑顔を見せる。
馬より大きく顔の恐い人に懐く大人しい、しかし怒ると獰猛になる獣というものを頭の中で想像してみる。が、どうしても上手く形にならない。馬の身体を倍に膨らませて顔を虎に置き換えたところで、雷華は諦めた。
「まだしばらくはイシュアヌにいるから、そのうち見ることがあるかもしれないわね」
「そうだね。見せてあげたいけど、旦那様に見つかったら怒られるから……ごめん」
「謝る必要なんてないわよ」
申し訳なさそうにするヴォロンに雷華は首を振って微笑んだ。心の優しい人だ。
「そうだ、ヴォロンは永劫の園って聞いたことないかしら」
リーレグランの北に位置するこの町でなら、何か情報が得られるかもしれないと淡い期待を込めて訊く。
「永劫の園? うーん、初めて聞く言葉だね。どういう意味なの?」
ヴォロンは腕を組んで考え込む仕草をする。
「私にもよく分からないのだけど、どうしても行かないといけないのよね」
「大切なものがあるとか?」
「そんなことは……いえ、そうね」
否定しかけて頷く。他の人間にとっては何の意味も成さないもの。だが、雷華とルークにはかけがえのないもの。元の姿に戻り、元の世界に帰るための、ただ一つの道標。
「そっか。悠久の理って名前の花なら知ってるんだけど、きっとそれとは違うよね。ライカが探しているのは場所みたいだし」
悠久。永劫と同じくとてつもない刻を表す言葉だ。
「そんな名前の花があるのね」
「どんな病や怪我にも効く万能薬になるっていう花。伝説では不老不死にもなれるらしいよ。まあ、それはさすがに嘘だと思うけど。この世界に咲くどんな花よりも美しいって言われてる。でも本当に見たことのある人なんていな――くもないか。誰かが手に入れたって少し前に噂になってたな」
「そうなの?」
雷華は少し驚く。聞いている限り、実在しそうにもない花だと思ったのだが。
「うん。えっと、確か、カダ……そう、カダリって名前の賞金稼ぎ」
「へえ、賞金稼ぎが」
「偶然迷い込んだ夢のように美しい花園に咲いてたとか、なんとか。もしかして、ライカの探している永劫の園ってその花園のことなのかな」
「どうかしら。でも、可能性がないとは言えないし、そのカダリって人に訊いてみるわ。貴重な情報をありがとう」
「どういたしまして。見つかるといいね」
「ええ」
見つけなければならない。ルークのためにも、自分のためにも。
会話が途切れる。どちらからともなく二人は再び手摺りに腕を置き、川に視線を向けた。蒼く澄んだ水が、建物と建物の間を通り、湖へと流れていく。雷華の銀の髪が風でふわりと舞い上がった。
ヴォロンと話したことで大分気持ちが落ち着いた。そろそろ宿に戻ろうか。二人もきっと反省しているだろう。おそらく……多分。それに、宿の主人に花瓶を割ってしまったことを詫びなければならない。
「ねえライカ、身分違いの恋ってどう思う?」
弁償金のことを考え雷華が唸っていると、隣でヴォロンがぽつりと呟いた。
「え?」
どくん。雷華の心臓が大きく脈打つ。頭をよぎるのは自分とルーク、そしてロウジュ。
「ごめん。今日会ったばかりの君にこんなことを訊くのはおかしいと思うけど、君がマーレ=ボルジエの人だって聞いてどうしても訊いてみたくなって。僕の恋人は貴族、旦那様の娘なんだ。結ばれない恋だってことは分かってる。でも、どうしても想いを捨てることが出来ない。僕は、どうしたらいいのかな」
地竜の世話係と貴族の令嬢。確かに身分が違いすぎる。ましてやこのイシュアヌは貴族の力が強いという。ということは、地位に固執する貴族が多いと思われる。よほど寛大な親でない限り、己の娘と平民の男が付き合うことを認めたりはしないだろう。おそらく大抵の親は、己の地位を少しでも高めるために、娘を上位の貴族と結婚させようとするはずだ。
馬鹿馬鹿しい。吐き気がするほど馬鹿げたことだと思うのは、きっとレヴァイアの話を聞いたからだ。マーレ=ボルジエで会った貴族――クレイやディナム侯爵は、多少癖はあったがとてもいい人たちだった。その落差もあるだろう。
だけど、と雷華は思い直す。例えば、ディナム侯爵の息子、騎士エルクローレンが貴族ではない女性と結婚したいと言ったら? その女性の性格や素行にもよるだろうが、多分侯爵は許すのではないだろうか。息子の意志を尊重して。そうして身分の違う二人は結ばれる。
だが――それは果たして幸福へと繋がる道なのだろうか。
「分からない」
定められた場所に流れていく水に視線を落として雷華は答えた。
気持ち良さそうに尾ひれをなびかせて泳ぐ魚が見える。
「身分の壁ってそんな簡単に乗り越えられるものじゃないでしょう?」
喋りながら考える。自分は一体誰のことを言っているのだ。
ぱしゃん、と水しぶきがあがる。
「愛さえあれば、という人もいるけれど、私は難しいと思う。どちらかがどちらかに合わせないといけないのだもの」
ヴォロンとその恋人のことか。もしと考えたエルのことか。
深く潜ったのか、魚の姿は見えなくなった。
「幸せになんてなれないわよ」
いや違う。これは自分のことだ。身分を世界に置き換えれば、全て自分に当てはまる。ヴォロンの問いに答えているのではなく、雷華自身の思いを吐き出しているだけ。心の奥に押し込んでいた感情。
「想いで壁が破れるのなら、きっと今ごろ身分の差なんてなくなってるわ」
「……そう、だよね。やっぱり難しいよね。はは、僕は何を期待してたんだろう。変なこと訊いてごめん。僕、もう行くね」
ヴォロンの声は震えていた。雷華が、はっとなって隣を見ると、彼は背を向けて肩を震わせていた。
「ヴォロン、待って! ヴォロン!」
雷華の静止も空しく、俯いたままヴォロンは走り去って行った。どっ、と後悔の念が押し寄せる。彼は泣いていた。ヴォロンは雷華に肯定してほしかったのだ。身分が違っても大丈夫だと。想いがあれば幸せになれると。なのに、
「最低ね」
彼の気持ちを全く考えずに否定してしまった。希望を打ち砕いてしまった。
橋の手摺りに両腕を載せ、そこに顔を押し付ける。水になりたいと思った。何も考えずとも流れに身を委ねているだけでいい、一粒の雫になりたいと。




