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十九話 岩ノ陰

 ぴぃるるるるる、ぴぃるるるるる。抜けるような青空の下、雲のように白い鳥がさえずりながら優雅に飛んでいる。


「うーーん、日陰は涼しいわねえ」


 雨が上がった後とあって、時折吹く風はいつもの乾いたものではなく、適度に湿度が含まれていてとても気持ちよかった。また雨が長い間降らなければすぐに乾いた風に戻ってしまうのだろうが。

 見渡す限りの平原の中、巨大な岩の陰で昼ご飯を食べながら、雷華は昨日のことを振り返った。


 おばさんに「厨房にいる人、随分忙しそうですね。どうかしたんですか?」と訊ねると、夜の営業に向けての準備だという答えが返ってきた。


「いつもは見習いの子がいるんだけどね。今日に限って休みなんだよ」


「今日に限って? 何か特別な日なんですか?」


「特別って……雨が降ってるからに決まってるじゃないか」


 なに当たり前のこと訊いてるんだいとおばさんに不思議な顔をされてしまった。しかし雷華にはその当たり前のことが分からない。


「すいません、私この国のことよく知らなくて。雨が降ると忙しくなるってことですか?」


「なんだい、あんたよその国の人間なのかい。それじゃあ知らなくても仕方ないか。この辺りは滅多に雨が降らないんだよ。だから雨が降るとお祭り騒ぎになるのさ。もうすぐ仕事を終えた男たちでここは溢れかえることになる。それだってのに、料理をする人間が旦那しかいないんだ」


 雨が降ると人は家から出たがらないものだと思っていたが、この辺りの町や村の人間は違うらしい。理由を聞いてなるほどと納得した。確か今日の雨は半年振りだとか。それだけの間降っていなかったのであれば町の人間が狂喜乱舞してもおかしくはない。厨房の男性――どうやらおばさんの旦那だったようだ――が危機迫る形相になっているのも分かる。


「それは……大変ですね。貴女は料理をしないんですか?」


「私? 私は駄目なんだよ。料理の才能が皆無でねえ。どんなに忙しくてもお前は手伝うなって旦那に言われてるのさ」


「そ、そうですか」


「ヘプカが病気じゃなきゃすぐに来させるんだけどねえ。ほんと困ったもんだよ」


 ヘプカというのが今日休みだという見習いの子なのだろう。おばさんは困り顔で頬に手を当て溜息を吐くと、何かを期待するような眼で雷華を見た。


「ところで……あんた料理は出来るのかい?」


「え、ま、まあ出来なくはないですけど」


 雷華の答えにおばさんの眼がきらりと光った。


「やっぱりそうかい! そんな感じがしたんだよ! どうだい、私たちを助けると思って少しばかり手伝っちゃくれないかい。もちろんお礼はするよ」


 がしぃっと両肩を掴まれ、雷華は持っていた盆を落としそうになった。


「おおっとぉ、危ない危ない。いや、でもそんなに料理が上手というわけでもないですし……」


「大丈夫大丈夫。味付けは旦那がするから。おーーい、あんた! このお嬢さんが手伝ってくれるってさ」


「え? いや、私まだ手伝うって言ってない……」


 雷華の呟きはおばさんの耳には届かなかった。お盆を取り上げられ厨房に連れて行かれて包丁を渡される。拒否することはもはや無理だった。ルークたちに事情を説明しに行くことも出来なかった。おばさんが代わりに説明してくれたようだが。お茶を貰いに来ただけなのに何故こんなことに……雷華はがっくりと肩を落として芋の皮を剥き始めた。


 結局、夜遅くまで手伝うことになってしまい、寝不足気味になってしまった。油断するとすぐに欠伸がでる。まあ、おばさんと旦那にもの凄く感謝され、うちで働かないかとまで言われたので悪い気はしないが。

 手にしていたパンをかじる。自分で作ったものだ。我ながら上出来だと思った。

 芋の皮を剥きながら思い出したのだ。ロウジュとの約束をまだ果たしていなかったということを。ゾール村から王都まで連れて行ってくれる交換条件に彼が出したのは雷華の手料理だった。何故そんなものが食べたいのか分からないが、約束は果たさなければならない。そこで旦那に明日の朝厨房を使わせてほしいと頼んだところ、こころよく許可を出してくれたので、雷華はお昼に食べるものを作ったのだった。

 作ったのはサンドイッチ。鶏肉と緑色の葉――レタスみたいな見た目だが味はルッコラに近かった――をえて挟んだだけの簡単なものだったが、おばさんと旦那に絶賛された。というのも、


 (マヨネーズがこの世界になかったとは)


 宿の厨房で調味料を漁っていたとき、マヨネーズがないことに気が付いた。どうしよう困ったなと思ったが、酢のような味のする調味料を発見したので、思い切って自分で作ってみることにした。分量や作り方を記憶の彼方から呼び出し、二度ほど失敗したあと、ようやく完成にこぎつけることができた。さっそく具材と混ぜたところ、予想以上に美味しい。が、この世界の人たちの口にも合うのかは分からなかったので、おばさんと旦那に試食をお願いしたところ、「何だこれは!? 美味すぎる、作り方を教えてくれ!」と二人に眼の色を変えて迫られたのだった。


 (確かにマヨネーズは美味しい。美味しいし、二人が気に入ってくれたのも良かったと思うけど……)


 最後の一口を口の中に入れて、視線を移動させる。視線の先には奪い合うようにサンドイッチを食べ続けている元暗殺者と王子。雷華は眉尻を下げて溜息をついた。


「ライカ、もうないのか?」


 サンドイッチを入れていた箱の中が空になると、ルークが漆黒の瞳をきらきらさせて傍に寄ってきた。


「ないわよ。ってどれだけ食べるつもり? 食べ過ぎだってば」


「これ美味すぎる。いくらでも食べられる」


 ロウジュがいつもより柔らかい表情になっている。マヨネーズの力は雷華が思っているより偉大なようだ。


「ありがとう、ロウジュ。でももうないからね。まったく、私だってもう一つ食べたかったのに」


 食べ物の恨みは恐いのよ。ルークの前に蓋を開けた水筒を置いてやりながら、雷華は彼の耳をぴんと指で弾いた。


「ん? 何か言ったか?」


「ううん、何にも」


 はあっと特大の溜息をついて立ち上る。うーんと、背伸びをして身体をほぐすと、窪みに溜まった雨水を飲んだり申し訳程度に生えている草を食べたりしている璃寛りかんと木蘭に近づいた。雷華たちが昼ご飯を食べるときに与えた岩塩は、全部食べてしまったようだった。二頭をよしよしと撫で、璃寛にくくりつけてある荷物から地図を取り出し、元いた岩陰に戻り座って地面に広げる。


「気を取り直して……ええっと、今私たちがいる場所は……大体この辺り?」


 雷華はシュロ―グランから左上の空白の地帯を指差した。

 町の名前とおおよその地形しか書かれていない大雑把な地図だが、まあこんなものだろう。この世界に精巧な地図がある方が驚く。ロウジュからこの地図が銀貨一枚だったと聞いて高いとは思ったが。


「シュローグランを出ておよそ一刻半……そうだな、ライカが指している場所辺りにいるだろう」


 水を飲んで満足げな顔をしているルークが頷く。


「これからこのキトゥガって村に行くのよね。今日中に着くかしら?」


 指をすすすっと左上に動かし、キトゥガ村と記されている箇所をとんとん叩く。イシュアヌに入って最初に寄った村、サルテはあるがリーレグランの場所が地図に載っていないので、縮尺がどれほどのものなのかがいまいちよく分からない。


「多分無理。今日は野宿することになる」


「そっか、しょうがないわね……じゃあ今日の晩御飯は犬ごはんにしようかな」


 ロウジュの言葉に頷き、地図を畳みながら雷華はさらりと言った。自分の分までサンドイッチを食べたせめてもの仕返しだ。


「え!?」


 ルークが眼を限界まで見開いて驚く。その姿を見て早くも頬が緩みそうになるが、ここはぐっと我慢しなければならない。同じようにロウジュにも仕返しがしたかったからだ。


「ロウジュが食べるのよ」 


 真面目な顔をして、さも当たり前ように言ってみる。間違いなく「嫌だ」「無理」「あり得ない」などの否定の言葉が返ってくると思った。のだが……


「わかった」


「えぇ!?」


 まさかの肯定に雷華が驚くはめになってしまった。    


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