十六話 疑ウ現
気がつくと雷華は見たこともない場所にいた。白と黒が入り混じる、二色だけの現実ではあり得ない空間。どちらが上でどちらが下なのか、広いのか狭いのか、暑いのか寒いのか。何も分からない……自分の存在さえ不確かに感じる、そんな場所だった。
「なにここ……夢を見てる、の?」
まばたきをくり返し、ありきたりではあるが頬をつねって痛みを感じるか確かめてみようして、驚いた。
「触ってる感触が……ない」
確かに頬に触れているはずなのに、その感触が感じられないのだ。自分の手をまじまじと見つめる。握ったり開いたりしてみるが、やはり何も感じない。
(やっぱり夢なの、よね? 倒れた記憶があるし。でもそれにしては意識がはっきりし過ぎているような)
『異ナル世界ノ人ノ子ヨ、汝ハ何ヲ望ム』
「この声っ!?」
唐突に声が聞こえてきて、手に落としていた視線をはっと前に向けると、不思議な空間に相応しい不思議な人……のような存在があった。何故“のような”なのかといえば、まず顔がない。それに身体が透明に透けている。
(それだけじゃない。この意識を失う前にも聞いた声、人間ではあり得ないわ)
人の形をした人とは異なる何か、それが眼の前の存在に対する雷華が出した結論だった。では、何かとは何なのか。これが夢でないとするならば、考えられるものは一つしかない。
「《色のない神》!」
やっと逢えたと思わず大きな声が出る。ここが現実とはとても思えないけれど、それでもずっと捜していた存在なのだ。雷華は近づこうとして足を動かした。だが、何故か距離が縮まらない。
「なんで……?」
前に進んでいるはずなのに、その感覚もあやふやで、自分が動いているのかそうでないのかすら分からなくなり、雷華は近づくことを諦めた。
『異ナル世界ノ人ノ子ヨ、汝ハ何ヲ願ウ』
また声が聞こえてくる。誰かの声に似て、誰の声にも似ていない、人では決して出すことのできない声が。
『異ナル世界ノ人ノ子ヨ、汝ハ何ヲ思ウ』
「何を……思う?」
一体何の話をしているのだ? 眼の前の存在が《色のない神》だとするならば、願うものも望むものも一つしかない。《色のない神》そのものだ。だが、思うとは? 三つ目の言葉を聞いて雷華は眉を顰めた。何かがおかしい。今自分が体験していること全てがおかしいと言えばそれまでなのだが、この眼の前の存在は……。
『彼ノ地ニテ我ニ示セ、異ナル世界ノ人ノ子ヨ――』
言い終わると同時に眼の前にいた透明の存在が消える。直後、雷華は再び強烈な眩暈に襲われた。白と黒だけの世界がぐるぐる回りながら形を歪めていく。
「待ってっ、貴方は……っ!」
消えた存在に向かって叫ぼうとするが、上手くいかない。白黒の空間から強制的に追い出されるような感覚を味わいながら雷華の意識は遠のいていった。
――永劫ノ園ハ北ニ……
「っ!?」
「ライカっ!」
「ライカ!」
頭の中に響く声にはっと眼が覚め、勢いよく起き上がる。すぐ傍で雷華を心配そうに見守っていたルークとロウジュが驚きの声を上げた。
「ルーク、ロウジュ……えっと、私って倒れたんだよね?」
二人の顔を見て、現実に戻ってきたのだとほっとなる。額に手を当て小さく首を振りながら、雷華は自分の身に起きたことを確認した。
「そうだ。辺りをきょろきょろしたかと思ったら突然倒れて……心臓が止まるかと思った」
「俺……このままライカが死んだらどうしようって、そればかり考えて……」
昨日から二人には心配をかけてばかりだ。雷華は両脇にいる黒髪と黒毛を撫でて、謝った。
「二人とも心配かけてごめんね。でも別に体調が悪くなったりしたわけじゃないの」
「じゃあ、どうして?」
ロウジュが水筒を差し出しながら訊いてくる。受け取って一口飲んで喉を潤してから雷華は口を開いた。
「声がしたのよ」
「声?」
「そう、言葉では言い表せない声が聞こえたと思ったら急に眩暈がして、それで意識を失ったの。気がついたら不思議な空間にいたわ」
訊き返してきたルークにこくりと頷いて雷華は説明を続けた。夢のような、不思議な出来事。しかし、夢ではないのだと何故か確信があった。
「そこで声の主と会って、その存在を見て初めは《色のない神》だと思った」
「《色のない神》だと!?」
雷華の言葉にルークが色めき立つ。それはそうだろう。元の姿に戻るためにずっと捜している存在に会ったと言われて興奮しないほうがおかしい。雷華も似たような気持だった。だが、今は違う。
「うん、透明だったからね。だけど……」
そこまで言って雷華は視線を落とした。
――汝ハ何ヲ望ム 何ヲ願ウ 何ヲ思ウ
あの問いかけは何だったのだろう。それに、透明の存在は“彼の地にて我に示せ”と言った。これではまるで待っているみたいではないか。《色のない神》は姿を隠しているのではないのか。
(私たちの旅の目的はルークを元の姿に戻すこと……だと思っていたんだけど)
もしかするとそれだけではないのかもしれない。雷華の心に疑いの石が投げ入れられた。それは小さな石だったが、それでも確かに波紋は広がっていった。




