十五話 望ト声
「おはよう、ライカ。これあげる」
言葉とともに水筒が弧を描いて飛んでくる。
「おっと、ありがとう。それとおはよう」
水筒を両手で受け取って、蓋を開けて飲む。夜から何も飲んでいなかったので、ただの水がとても美味しく感じた。顔も洗いたいなと思ったが、飲み水は貴重だ。泣く泣く雷華は我慢した。
「はぁ、生き返るわ。で、朝早くからどこに行ってたの?」
屈んでルークに飲むかと眼で訊いたら、彼は嫌そうな顔をして首を横に振った。ロウジュの水筒からは飲みたくないということらしい。雷華は小さく溜息をついて立ち上り、皮袋の中からルークの水筒を取り出して飲ませてやった。
「町の様子を見に行ってた。ライカも見てみるといい。きっと驚く」
含みのある言い方をして具体的なことを何も言わないロウジュに、珍しいこともあるものだと内心首を傾げながら雷華は頷いた。
草を食べている璃寛と木蘭にもう少し待っててねと声をかけてから、ロウジュの許へ駆け寄る。ルークもすぐ横についてきた。
太陽に照らされたリーレグランの町は、建物と呼べるものは何一つなかった。元々倒壊していたのか、夜の地震が原因かは分からないが、ともあれ全ての建物は原形を留めていない。夜には見えなかったその全貌を見て、雷華は眉根を寄せた。
「地震が起きたのがすでに滅んだ町だったというのは、不幸中の幸いというべきなのかしらね」
かつては家だったであろう瓦礫の隙間から生えている雑草を見て呟いた声は、誰の耳に入ることなく宙に浮かんで消えた。
時折吹く乾いた風で砂礫が舞い上がる。雷華は外套で顔を庇いながら先を行くロウジュの後を追った。
「着いたぞ」
「着いたって、ここ城よね、え? えええぇっ!? な、何がどうなってるの!?」
ロウジュが向かった先は城があった場所だった。今は倒壊して、あるのは瓦礫だけのはず……だと思ったのだが、雷華は眼前に広がる光景を見て眼球が飛び出るほど驚いた。
「これは……」
ルークも二の句が継げないほど驚いている。すでに一度見ているロウジュだけが、冷静に目の前の驚くべき光景を見ていた。
五十年前までリーレグランの領主が住んでいた、そしてつい数時間前まで嘲狼が塒として住みついていた城。その城跡から止めどなく水が溢れていた。このままではそのうち町が湖に変わるのではないかと思うくらいの勢いで。実際すでに巨大な水溜りが出来つつある。
「俺も驚いた。ライカに渡した水筒の水もここから汲んだのもだ」
朝日が反射する水溜りを眩しそうに眺めながらロウジュが言った。
「地下水が溢れてるってこと? でもどうして急に……あ、そうか、もしかして地震で……?」
地震によって地盤が動き地下水が溢れ出したのだろうか。可能性として限りなく低い気もするが他に思い当たることもない。
「嘲狼の奴らは頭が起こした奇跡だとか叫んでたけど」
「そう……そうかもしれないわね」
嘲狼たちの考えに顔がほころぶ。現実にはあり得ないけれど、素敵だと思った。
「レヴァイアが望んでいたこととは違うけれど、でもこのリーレグランが甦ったらいいのにね」
「そうだな。このまま水が湧き続けるのなら、またここに人が住みだすかもしれんな」
雷華の言葉にルークが頷く。水がなければ人は生きていくことができない。だからこの水がこれからイシュアヌの人たちを支えていく新たな礎になってほしい。五十年前突然涸れてしまった水、今度は涸れることがないようにと雷華は願った。
「あ、そうだ。せっかくだから顔洗おうっと」
「俺も洗いたい」
雷華とルークは乾いた地面にしみ込むように流れていく水ではなく、水溜りが出来ている場所まで近づき顔を洗って水を飲んだ。
「ふー、冷たくって気持ちいい! ルークもそう」
――異ナル世界ノ人ノ子ヨ
「えっ?」
突然声が聞こえた。男、女、老人、子供、一人、複数、そのどれもであってどれもでないような不思議な声が。水を掬っていた手を止めて辺りを見渡すが、誰の姿も見えない。
「ライカ?」
言葉を途中で止め、弾かれたように顔を上げてあたりをきょろきょろする雷華にルークが声をかける。
――異ナル世界ノ人ノ子ヨ、我ノ声ヲ聴ケ――――
「うっ……!」
また声が聞こえたと思った次の瞬間、強烈な眩暈に襲われ視界がぐにゃりと歪む。雷華は立っていられずに傍の瓦礫に手をついた。しかし、眩暈はさらにひどくなり、どさりと地面に倒れ込む。
「ライカ!?」
「ライカっ!」
ルークとロウジュが自分の名を呼ぶ声をうっすらと聞きながら、雷華は意識を失った。




