国境の都にて その1
月明かりの中、異臭を漂わせて燻る気味の悪い肉片。
木々は粉砕され、草は巨大な足で踏み荒らされ、燃え残った死体が奇怪な醜い姿を晒している。
ここはアクタシャールが虫達と死闘を演じた草原の、成れの果てだ。
いくつか転がっている鉄筋コンクリートの塊は、アクタシャールの転移に巻き込まれてこの世界に現れた、異物。
その異世界から来た瓦礫の影で、弱弱しく動く何かがあった。
「……あ……ぁ……」
倒れ伏したまま助けを求めるように手を伸ばす。
全身血と泥にまみれ、手足が折れ曲がって潰れているせいで一見そうとは見えないが
「……がはっ」
まるで内臓をそのまま口から吐き出したかに思えるほど大量の血を地面にぶちまけたのは、紛れも無く人だった。
周囲をよく見れば、他の瓦礫の影にも同じような人々がいた。
胴が裂け、臓物が傷口から溢れ出している男。
半身が瓦礫に潰され一体化してしまっている女。
頭が半分崩れてそれでも生きている者、虚ろな目で何かを呟いている者、小刻みにかすれた息を繰り返している者。もう二度と動かないであろう者も幾人か、いた。
そんな彼らの頭上にある異変が訪れた。
幻覚でも見ているかのような奇怪な光と、時同じくして周囲を見たす暴力的な音。
しかし彼らがそれを、ようやく来た助けだと信じてもなんらおかしいことはない。
彼らはただ生きたかったからだ。たとえ悪魔にすがりついてでも……。
朝日が昇った時、彼らの姿はそこから消え去っていた。
残された瓦礫の上を、風が寒々と吹き渡っていた。
まぶたを突き通して眼球を焼くような強烈な日差しに、洸兵は無理やり覚醒させられた。
炙られた肌が、じりじりとした痛みを訴えてくる。
「……っ、なんでこんなに暑いんだよ……」
寝惚け眼をこすりながら起き上がり、ぼんやりと視線をめぐらせる。
周囲は起伏の激しい荒野に囲まれていた。ところどころの砂地に背を寄せ合って低い木が生えている。
右側はずっと遠くに山々が霞んで見えた。標高はかなり高いのだろう、先端は雲に隠されて見えない。
左を見れば、さほど遠くない距離にきらきらと光を反射する長い帯――あれは川だ、かなり幅が広いように見える。その向こう岸には城壁に守られた街らしきものも確認できた。
後ろはどうかと振り向いて――そうか、そうだった。
「やっぱり……夢じゃなかった」
自分を見下ろしていた巨大な顔――アクタシャールを見つめて呆然と呟く洸兵。
視点が妙に高いのを不思議に思っていたが足元を見て納得した。アクタシャールが広げた手の上で彼は寝ていたのである。
そこにはもう一人、まだ寝ている人物がいる。昨晩のおぼろげな記憶を脳裏から手繰り寄せて、なんとかユディーラという名前を思い出した。
曲げられた指に寄りかかって彼女はすやすやと寝息を立てている。その半身に落ちる影が、彼女の魅力を不思議に引き立てていた。そよいだ風に髪が掬い上げられ、光の糸となって踊る。
彼女が寝ているのをいいことに眺め回していた洸兵だが、はたとその表情が固まった。どうやって起きてもらえばいいんだろう?
寝ている美女を起こすという生まれて初めてのミッションを達成するまでに、それから彼はかなりの時間を費やした。
太陽は容赦なく照りつけ、アクタシャールの手の上をオーブンのように加熱する。
どちらからともなく降りようと言い出し、二人は巨体が作る影の下へと移動することにした。
「ああ、やっぱ異世界なんだ」
二人を乗せて下がってゆく右腕を見ながら、洸兵は改めて実感していた。
アクタシャールは片膝をついて座り込んだ姿勢になっている。立っていれば全高は10mを超えるのではないだろうか。
そんな大きさでしっかり二足歩行し、それどころか剣を振り回すことができるロボットが地球上に存在するという話は聞いたことがない。
フィクションの世界でならいくらでも存在したし、そういう話は大好物なのだが――だからといって実際にフィクションの世界に放り込まれるのはまた別問題である。
「こんなの妄想だけでいいのに」
「お疲れ様でした、少しお休みになっていてね」
呆れるほどに非常識なそれを見て呟いていたのが聞こえたかどうか。ユディーラはアクタシャールにねぎらいの言葉をかけていた。
跪いたアクタシャールの装甲に手をついて見上げていた彼女が、振り返って柔らかな笑みを見せる。彼女もこの世界の、すなわち洸兵にとっては異世界の人間なのだ。
そこまで考えてふと気付いた。なぜ自分は彼女と言葉が通じているのだろう?
「……なんでわかるんだろ」
「何がでしょう?」
何時の間にか口に出してしまっていたのを聞かれたらしい。彼女の笑みが、怪訝な表情へと取って代わる。
「ああいや……どうして言葉通じてるんだろう、って」
「それは……」
どうやらユディーラもわからないようだ。口元に手をあてて少しうつむいている。
彼女はしばらく考え込んだあと、記憶の糸を手繰るようにゆっくりと話し始めた。
「確か、アクタシャールの中にいる時でした。コウヘイ様の言葉がわかるようになったのは」
そういえばそうだ。コクピットに放り込まれる前は通じていなかった。
おぼろげな記憶を引っ張り出して頷く洸兵を前に、ユディーラは続ける。
「わたくしの手を取って操縦を代わってほしいと、大丈夫だと仰った時にはもうわかるようになっていて――これではないでしょうか」
「手を取ってってところ?」
「はい。その直後だった気がするのです」
「でもそれで通じるようになるって……」
確かに、思い返してみれば代われと言った際に手を取っていた。我ながら大胆な事をしたものだと、心の中で苦笑する。
しかし、そんな行動だけで言葉が翻訳されるなどということが、ありえるのだろうか?
――我を通して、汝らのマナが同調したのだ。
「っだ、ダウティア?」
「……っ!」
突然ダウティアの声が脳裏に響き、洸兵は驚いてアクタシャールを見上げる。
機体の中ならともかく、外では聞こえないと思っていたのだ。
隣ではユディーラが同じく見上げて目を丸くしていた。
――コウヘイは知らぬだろうがな、我ら巨人騎士は単独ではほとんど動けぬ。戦の時は操者を通して注がれるマナを体に循環させることで動いているのだ。我の中で汝らが触れ合った時、我をめぐるマナが汝らを通り同調した。それだけのことだ。
「で、では、わたくしとコウヘイ様のマナがあの時に混ざり合ったと?」
――我と汝らは今波長を同じくしている。故に我の声も聞こえるであろう? 汝らもだ。言葉ではなく、思念が通じ合っているのだ。
言っている意味がよくわからないことだらけで混乱する洸兵だが、一つだけ理解できた。
二人は口にした言葉ではなく、テレパシーのようなもので理解しあっていたらしい。
しかしそれなら――
「あのさ、他の人と話したらどうなるんだ?」
――そのままでは通じぬだろう。
あっさり言いのけられ、洸兵はがくりと肩を落とす。
危険な怪物がいる異世界で、言葉が通じるのは一人と一機だけ。それとて何時までも一緒に居てくれる保障はない。もし離れてしまったら即座に野垂れ死に――いやまて、確か今”そのままでは”と言わなかったか?
「通じる方法はあるの?」
――その娘子と触れ合っていればよい。そうすれば娘子を通じて会話ができるであろう。
「へ……触れ合うって」
「つまり、わたくしとコウヘイ様が……手を、取り合っていればよいと?」
――その通りだ……何を迷っている?
些細な事だとでもいうように軽く言い放つダウティアに、できるわきゃねええだろおおお、と叫びそうになったのを洸兵はすんでのところで我慢した。
ユディーラに視線をちらりと向けて、すぐに顔をそらしてしまう。こんなかわいい子と人前で手を繋いだままなんて俺にできるわけがない。あまりにも羞恥プレイすぎる。
第一、今この子に拒否されてしまったらそこで終わりじゃないか。
すっかり狼狽し、考えの淵に沈みこんでしまう洸兵。一方彼を赤面しながら見ていたユディーラだが、少しうつむいた後、その表情から羞恥心は消え去っていた。
洸兵に歩み寄り、震える右手をそっと両手で包み込む。
「ぁ、わっ!?」
情けない声を上げる洸兵にユディーラは優しく微笑みかけた。
「わかりました、わたくしはコウヘイ様に協力いたします」
「な、ななな何を」
「コウヘイ様がここに居るのはわたくしの所為でもあるのです。無下に放り出すことはできません。それに……コウヘイ様はアクタシャールの力を引き出せる騎士なのですから」
「き、騎士? 俺が?」
「はい。この子、アクタシャールは並の巨人騎士よりも遥かに優れた力を持っています。ですが今まで誰が乗ってもアクタシャールは、ダウティアは力を貸しませんでした。それを異世界から来たコウヘイ様が難無く成し遂げてしまった。これは女神イリシアのお導きかもしれません」
「い、イリシア?」
自分が神に選ばれた騎士なのだと、ユディーラはそう言っているらしい。
そんなことないだろうと突っ込みたくなったが、彼女の纏う雰囲気がそれをさせてくれなかった。
「コウヘイ様、わたくしと共に戦っては下さいませんか? 不躾なお願いだとは存じておりますが……お願いします」
「た、戦うって何と」
「昨晩の大きな蟲、覚えていらっしゃるでしょう。この世界は奴らに侵蝕されているのです。人を、生き物を無差別に襲って喰らう悪魔の蟲……剣や槍、法術などは通用しません。巨人騎士だけが奴らと対等に戦えるのです」
「あれと……俺が?」
「お願いします、コウヘイ様のお力をわたくし達に貸して下さい。このままでは人も生き物も奴らに喰らい尽くされて滅んでしまう――」
何時の間にか目尻に涙を浮かべていたユディーラは、洸兵の右手をきつく、痛いほどに握って離そうとしない。
彼女の顔は真剣そのもので、冗談を言っている雰囲気は少しもなかった。
頭の中がぐるぐると回り、思考がまとまらない。どうして俺なんだ、何故俺なんかに頼るんだ。昨日のあれはただの偶然だ。そんな力が俺にあるわけないのに。
彼女の涙はいつしか溢れ、洸兵の胸元を濡らし始めていた。
「――お願いします、お力を……わたくしに出来る事ならなんでも致します。お望みでしたらわたくしをどう扱って下さってもかまいません! 覚悟はできております、ですから、どうか……っ!!」
突然話がとんでもない方向に転がり、洸兵は目を白黒させてうろたえる。
自分をどう扱ってもいい。それを女の子に、しかもこんな美人に言われるなど尋常なことではない。確かに嬉しいことではあるし、少しだけ頭に邪な映像が浮かびもしたがすぐにそれを振り払う。
今まで生きてきた中でならそんな妄想はいくらでもしたが、しかし現実にそれを言われて残ったのは虚しさと、そんな欲望を彼女に対し少しでも懐いてしまったことに対する罪悪感だけだった。
そして同時に思い至る。
そこまで言うほどの。そこまでの覚悟が必要なほど彼女は追い詰められていたのだと。
たまたまアクタシャールを動かせてしまっただけの、どこの誰ともわからないこの俺に縋り付き、自らの運命を託せてしまう程に――
「お願いします……お願い……」
溜め込んでいたものが遂に決壊したように、ユディーラは洸兵に寄りかかり泣き崩れている。
そんな彼女の儚げに震える肩に恐る恐る手を置き、声をかけた。
「あ、あのさ。とりあえずその……」
ユディーラはゆっくりと顔を上げた。泣きはらした赤い目は、ふくらむ期待に揺れている。
覚悟を決めるしかないか。こんな顔を見せられて、あれだけの事を言われて、今更戦えないなんて言えるわけがない。
今まで周囲からヘタレだと言われ続け、彼自身そう思い込んでいたが、それでも洸兵は男なのだ。胸の内に滾る何かが、今がその時だと叫んでいる。
緊張でがちがちになった顔の筋肉を無理やりに笑顔に作り変える。少しでも彼女の不安を取り除けるようにと、そう願いながら。
「戦う! 戦うから……身分とか食べ物とか、そっちをなんとかならない、かな?」
洸兵を見上げたままのユディーラがつかの間目を見開いたあと、涙を湛えたままこぼれるような笑みを見せる。
それはほんの一瞬、女神かと錯覚するような愛くるしくも清らかな笑顔だったが、すぐにそれは隠されてしまった。
「ありがとうございます……ありがとう、ございます……っ!」
ユディーラが洸兵の胸に顔をうずめて、また泣き出してしまったからだ。
こんな時に何も出来ない自分がうらめしい。気の利いた言葉一つかけてやれずに、ただうろたえている情けない自分が。
アイツならこんな時どうするんだろうか……もう逢えないだろう親友を思い出しながら、洸兵は泣きじゃくるユディーラを見守る。
葛藤を表すかのようにふらふらと所在なげに彷徨っていた両手が、ゆっくりと持ち上げられた時――
くう、と可愛らしい音がやけに大きくその場に聞こえた。
どちらの体から出たものか定かではないその音にはっと我に返り、二人はあたふたと距離を離す。
顔が燃えるように熱い。今俺は何をしていた、どんな体勢だった? どさくさに紛れて何をするつもりだったんだ、俺は。
傍から見ていたらきっと、微笑ましくも甘ったるい光景だったのだろう。誰かに見られてなくて本当に良かった。ここにあるのはアクタシャールだけ……そうか、ダウティア!
お前見ていたな、とアクタシャールを見上げて軽く睨みつける。しかし、無機質な巨人は揺らぎもせず、ただ無表情にそこに在るだけだ。
ユディーラをちらりと横目で見る。彼女もその頬を朱に染め、挙動不審になっていた。
「と、とりあえず、街に行こう」
「そう! そうですね、見えておりましたし」
相手を直視できず目をそらしたまま呟いた洸兵に、ユディーラがやけに語気を強めて返事をした。
彼女もこちらを見られないらしい。あちらこちらへ視線を彷徨わせているが、時折意識されているのを感じる。
「ダウティア、乗せてくれ!」
――上は暑いが、よいか?
照れ隠しに叫べば、どこか笑っているような返事が脳裏で響いた。
差し出されたアクタシャールの右手を見ながら、やっぱり見ていたなこいつ、と心の中で毒づく。
「手の上じゃなくて、中だよ」
――しょうのない操者だ。
呆れたような返事と共に、アクタシャールの胸元が開いてゆく。さあ行こうか、と巨大な手のひらに片足をかけて、ふと後ろを振り向いた。
何かを期待するような眼差しで洸兵を見るユディーラがそこに居る。何を期待しているんだ、俺は何をしたらいいんだ?
――コウヘイ、そういう時は手を差し出すものだ。汝は騎士なのだろう?
戸惑っていたらダウティアに助言されてしまった。そうか、俺は彼女の騎士なんだ。そうなることを今決めたんだ。
自分の手のひらを見る。少し土で汚れているそれをシャツの裾でぬぐい、差し出した。
「ありがとう」
ユディーラは輝くような笑顔を見せて、洸兵の手に自分の手を重ねる。
悪くない。この子と一緒に居られるなら、この笑顔が見られるのなら、戦うのも悪くないな。
わけのわからない異世界だけど、これならやっていけそうだ。
彼女を引っ張り上げて息をつき、アクタシャールを振り返る。
相変わらず感情を見せない巨大な鎧。
最初は違和感しか感じなかったそれが、今はとても頼もしい姿となって彼の目に映った。