序章 ~炎となりて~ その3
「かはっ……うげぇ、げほげほっ」
落ちた先は光のない小さな空間。背中から落ちた洸兵は涙目になって咳き込む。
と、そこへローブの女がためらいなく飛び降りてきた。
「……###」
「はぁ、はぁ。ちょ、おいっ」
洸兵は息を整える間もなく無造作に押しのけられる。
落下した場所はどうやら座席になっているらしい、女はそこに座ると、また何事か呟いた。
頭上から僅かに差し込んでいた月明かりが消えてゆく。
「なぁおい、何やってんだよっ」
洸兵達は光が全く無い暗闇へ閉じ込められてしまった。一人焦る洸兵だが、その眼前で思いもよらない異変が起きて、彼は盛大に驚くこととなった。
彼の目の前の空間がおぼろげに光を放ったかと思うと、それは像を結び、瞬く間に外を映し出したのだ。
そして最初に見えたのは、虫の巨大な爪が突き出され、眼前に迫る光景だった。
「#!」
「ひいいいいっ」
女が、二本の操縦桿らしきものを操作する。
その途端に火花が舞い散り、重い金属音が耳を打つ。見れば分厚い盾が、虫の爪を再び受け止めていた。
「ぁ……凄えっ」
間髪入れず振り下ろし、突き、薙ぎ払い――幾度も繰り返される虫の攻撃を、巨大な腕が弾き、払い、受け流してゆく。
視界の隅に映るのは、女が操縦桿を動かし、足元で何かを踏む動き。
「おおおおっ。ってこれ、もしかして」
直面した命の危機がとりあえずは去り心に余裕ができたのか、洸兵は今頃になって、自分が何処にいるのかを考え始めた。
今いる場所は、あの騎士みたいなロボットの胴体の中だ。
暗くて狭い空間の中に座席が一つあり、その前には外の景色が映し出されている。操縦桿が左右から突き出し、足元にはペダルらしきものもある――つまりここは、人型ロボットのコクピット。そうだ、間違いない!
「む……ふむ、おぉ……なるほど」
洸兵はいつしか状況も忘れ、眼前の光景と女の操作をすり合わせることにのめり込んでいた。
彼のロボゲーマー魂が、ここに火を噴いたのである。
「うん、よし、だんだんわかってきた」
「####!」
大上段から左右の巨腕を同時に振り下ろす虫に対して、ロボットは両腕を頭上に掲げ、盾を右腕で支えて防御する。
膨大な質量同士の激突は、強烈な衝撃と轟音を発生させ、あたりをこれでもかと揺さぶった。
「##……!」
「うわあああっ……あ、おい、ちょっとやばくないか?」
映像を見れば、今まで状況を見守るがごとく佇んでいた後方の二匹が、何時の間にやら二手に分かれて回り込もうとしている。
正面の虫はこちらを押さえ込んだまま、これはまさしくピンチと言うに相応しい状況だ。
女が慌てた様子で操縦桿を動かし、それに従ったロボットは、受け止めた巨腕を左に流して回避しようと試みた。
しかし、それは手遅れだった。右から回り込んできた虫に背後から強打され、
「っだああああああっ!?」
「#####!」
避けようとした勢いそのままにロボットは頭から地面へ倒れ込んだ。
洸兵達を激しい揺れが襲う。
座席の後ろから覗き込む姿勢になっていた洸兵は、背もたれで胸を強打してしまった。
「げぇっ、げほっ……くっそ、畜生ォ」
虫達は周囲を取り囲み、その巨大な爪を代わる代わる突き立て始めた。
鈍い音と衝撃が中まで浸透してくる。洸兵達を守る分厚い鎧はいずれ破壊され、彼らは虫に喰い殺されるだろう。そんな死に方はいくらなんでも嫌すぎる。
彼は、一つの決意を固めた。
「……おい」
今の戦闘で女が操作しているのを見て、洸兵にはわかったことがある。
彼女は、洸兵から見れば致命的なまでにヘタクソだった。
「そこ、代われよ」
もうすでに洸兵は操作方法をほぼ覚えていた、あとは戦いながら補えばいいのだ。
自分にはそれが、できる。
敵の動きも、今まで見た通りならシェルガンナーのほうが速く、多彩だったと思えた。自分なら絶対に対抗できる自信がある。
このまま彼女に任せていれば、確実に俺達は死ぬ。だったら!
「死にたくなかったら今すぐ操作代われよ、このヘタクソっ!」
言い放つなり、洸兵は座席を回り込んで操縦桿を奪うべく女の手を掴み、顔を覗き込む。
しかしそこで洸兵は凍りついた。
女は、泣いていた。先程まで果敢に戦っていた彼女が、恐怖に肩を震わせ、大粒の涙を零して泣いていた。
フードは外れ、陰に隠れていた顔があらわになっている。
手を引いてくれた時の、助けてくれた時のあの力強さは儚く消えて、今の彼女は眼前に迫った死に絶望している、ただのか弱い少女に見えた。
「あー……その、ごめん」
洸兵の顔に、涙が落ちる。
掴んだままの彼女の手、そこから伝わってくる震えが、洸兵を戸惑わせる。
「ぁ、あのさ。俺に、やらせてもらえないか?」
涙をたたえた琥珀色の瞳が、驚きに見開かれる。
「うまく言えないけど……俺、こういうのは得意なんだ。後ろから見てて操作はだいたい覚えた。あいつらの動きも遅いし、きっとやれる」
爪が打ち付けられる音に、何かが軋み、砕ける音が混じった。
「だから……信じられないかもしれないけど、信じてくれ」
不安と、疑念と、そして期待――様々な色を浮かべた瞳は一度閉じられ、彼女は何かを振り払うように首を振る。
洸兵がじっと見ていると、彼女はゆっくりとまぶたを開き、洸兵を正面から見据え、
「……信じて、よいのですね」
縋り付くような、祈るような声色で、そう言った。
「ああ、大丈夫だ」
震える彼女を元気付けるように、ぎごちない微笑みをむける。
「わかりました。お任せ、します」
小さく頷いた彼女は、体を固定していたベルトを外すと座席の後ろへ回りこんでゆく。
洸兵はそれを見ながら、俺はロボゲーの天才だからな、と自分を励ますように呟いた。
巨人がうつ伏せになっているため下を向いている座席に、苦労して体を押し込み固定する。
何時の間にか言葉が通じていることが少し気になったが、意識してそれを頭から追い出す。
この場を切り抜けさえすれば、いくらでも考える時間はあるのだから。
操縦桿にゆっくりと手を伸ばし、掴む。足元を探り、ペダルに足を乗せて踏ん張る。
「さあ、反撃開始のお時間……って何だ!?」
突然視界が切り替わり、周囲の音が聞こえなくなる。
心地よい浮遊感と燃えるような光で、洸兵は包まれてしまった。
「……っておい待てちょっと待て、今からいい所なんだぞっ!」
――そう焦るな、異邦人よ。
声が、心に直接響くような感覚。
「な、だ、誰っ!?」
――我はこの巨人に封ぜられし魂。我が力を貸さねば、汝は勝利無きものと知れ。
「何だって?」
――我は汝を見ていた。臆病者かと思っていたが、汝が我の内で見せた気迫、自信。我は気に入った。
「それって、どういう……」
――汝の自信、汝の記憶にありしモノが事実なれば、我を使いこなすに足るであろうと我は信ずる。故に我は、汝が炎となろう。汝は、我が炎となるがよい。
つむがれる声は、まるで謡っているようで。
「え、炎になるって何?」
――答えよ。汝の名はなんと?
「名前? 洸兵、穂坂洸兵」
――我が名を呼べ。我が名はダウティア。火と光こそ、我が力。
「だう、てぃあ……ダウティア?」
言われるがまま、誘われるがままに、言葉を口にすれば、
――よかろう、契約は成立した。我が名はダウティア。コーヘイ・ホサカ、汝と契約せし、巨人騎士アクタシャールの魂なり。我は汝に望む。我と共に戦場を駆け抜け、頂点へと到達せんことを――!
「……い、今のは……幻覚?」
燃える光は消え失せて、浮いていた意識は戻り、虫達が装甲に爪を打ちつける不快な音が再び聞こえ出した。
まだ自分は五体満足で生きている。そんなに時間は経っていないようだ。
――幻にあらず。
「ぉおうっ」
――コーヘイ、汝の記憶より引き出せし”しぇるがんなー”なるモノの操作形態を我は習得した。存分に戦うがよい。
ダウティアの声が聞こえた途端、コクピット内が暖かい光に包まれ、変形を始めた。
肘掛けが腕を包み込んで自由に動く形状となり、その先に操縦桿が配置される。親指、人差し指、中指にそれぞれ対応したボタンがそこに追加された。
足元のペダルは二つから三つになり、洸兵の位置に合わせて調整されている。
前方の狭い範囲しか映さず視界の悪かった外部映像は上下左右に広がり、座席の前方を半球状に覆った。正面左上にHP(体力)とENのゲージ、中央には二重の円と三つの三角が組み合わさったロックオンマーカー、それを取り囲むように距離計などのモニタ表示が現れた。嬉しい事に左下にはレーダーがしっかり表示されている。
光が収まる頃には、コクピットの中はすっかり様変わりしていた。その内装の配置は、洸兵がさんざんやり込んだアーケードゲーム――
「シェルガンナーと同じ!?」
「そんな、信じられないっ」
後ろからは、女が驚く声が聞こえてきた。
洸兵だって信じられないが、信じられないことなら先程から巻き込まれ続けているのだ。今更それが一つ増えたところで気にしてなどいられない。
それに本当にゲームと同じ操作で動くなら、むしろ大歓迎というものだ。
「ははっ、凄っげぇな! アニメか何かみたいだ!」
――文字までは再現できかねる。承知されたし。
「そんなの雰囲気だ、雰囲気!」
――そういうモノか。
洸兵は地面しか見えない外部映像をきっと見据え、気合を入れて操縦桿を握りなおした。
ひとまずこの状況をなんとかしなければ、勝利も何もあったものではない。
「まずは脱出だ!」
操縦桿を前に押し込み、力強くペダルを踏む。
ただそれだけで、アクタシャールは前方の敵を跳ね飛ばし、地面を削りながら水平に跳躍した。
充分に離れたところで地面を叩き、空中に飛び上がる。体勢を入れ替え、着地。
乗り込む前の見た目とこれまでの戦いからは想像も出来ないほどの軽やかな動きは、ゲームと比べても遜色の無いものだった。
「意外と機動性があるな!」
――汝の記憶に合わせたと言った。今の我が動きは汝が記憶の巨人騎士と同一なり。
「そうか、それならやりやすい!」
――剣がある、使え。
ダウティアが言うと同時、アクタシャールは左手に持つ盾を胸の前で構え、右手でそこから剣を引き抜いた。
その柄から鍔が展開され、何かが噛み合う音がしたかと思うと、炎が激しく噴き上がり刀身を覆う。炎は輝きを維持したまま刀身の周囲に形を固定し、剣は赤く輝く光剣へとその姿を変えた。
その手に炎を携えて、白き巨人が立ち上がる。
輝く剣の照り返しを受け、紅く染め上げられたその姿は、まるで怒れる戦神のよう。
深く暗い眼窩の奥から瞳が現れ、光を放った。目を見開き、敵を威嚇するように。
体中に熱い力が駆け巡り、高揚感が湧き上がる。
巨大ロボを操縦するなんて初めての事だが、それに対する気後れなど洸兵には少しもなかった。
どんな敵が来ようとも、どんなピンチになろうとも、今なら負ける気がしない。
洸兵は敵を睨みつけ、操縦桿を動かす。
操作に合わせてアクタシャールが腰を落とし、右脇に剣を引きつけた。
それは、シェルガンナーでいつも使っていた自機の構えだ。
大きく息を吸い、洸兵は叫んだ。
「穂坂洸兵、アクタシャール! 出撃っ!!」