12月初旬 告白
【十二月初旬:鈍色の痛みと、戻れない境界線】
十二月の教室は、冷え切った空気が床から這い上がってくる。
放課後、部活動の喧騒が遠くから響く中、
僕と九瀬明の二人だけが、夕闇に沈みかけた教室に取り残されていた。
窓の外では、血のような色をした夕日が、
校庭の隅々まで不気味なほど赤く染め上げている。
「……なぁ、冬也。
お前、最近おかしいぞ」
明が机に腰掛け、不機嫌そうに口を開いた。
彼はいつも、僕と美咲先輩を引き合わせるための「共犯者」だった。
僕が由綺という最高の恋人を持ちながら、
背伸びをして高校生の輪に混じるのを、面白がって手助けしてくれていた親友。
「明。
……僕、由綺と別れたんだ」
その言葉が、凍てついた空気の中にポツリと落ちた。
明の動きが止まる。
彼は一瞬、僕が冗談を言っているのだと信じたがっているような、
奇妙に歪んだ笑顔を見せた。
「……は?
別れた? あの芦田由綺と?
お前、寝言は寝て言えよ。
あんなに可愛くて、日本中の男が憧れてるアイドルの彼女を、
自分から振ったっていうのかよ」
「……本当なんだ。
もう、昨日、ちゃんと話した」
「なんでだよ……」
明の声が、低く震え始める。
彼にとって、由綺は単なる「友人の彼女」以上の、
ある種の聖域だったのかもしれない。
僕たちが背伸びして触れていた、キラキラした夢の象徴だった。
「理由は……」
僕は視線を落とした。
足元に伸びる自分の影が、酷く小さく、頼りなく見える。
「……美咲先輩が好きだからだ。
由綺と一緒にいても、僕は、あの人のことばかり考えてしまうんだ」
「…………なんだって?」
「僕は、最低だよ。
由綺がどれだけ寂しさに耐えて、僕に尽くしてくれていたか、
分かってたはずなのに。
でも、十月のあの夜から……
舞台裏で先輩を抱きしめたあの瞬間から、もう嘘はつけなくなった」
その瞬間だった。
乾いた音が教室に響き、僕の視界が大きく揺らいだ。
――痛い。
頬にめり込んだ明の拳の感触。
僕は床に崩れ落ち、冷たいフローリングに顔を押し付けた。
口の中に鉄の味が広がる。
「お前……ふざけんなよ!
何が美咲先輩だ、何が『嘘はつけない』だ!」
明が僕の襟首を掴み、無理やり引き起こす。
彼の瞳は怒りと、そしてどこか深い悲しみで潤んでいた。
「由綺ちゃんがどれだけ努力して、
スキャンダルのリスクを背負ってまでお前と会おうとしてたか、
お前が一番知ってるだろ!?
なのに……
あんな優しい由綺ちゃんを捨てて、
あのお節介なだけの女子高生に乗り換えるのかよ!」
「……乗り換えたんじゃない。
僕は、もう戻れないだけだ」
僕は、明の手を振り払わなかった。
ただ、殴られた頬の熱さを、自分への罰のように受け止めていた。
「美咲先輩は……
お節介なんかじゃない。
あの人は、一人で震えているんだ。
僕がいないと、壊れてしまいそうなほど、脆いんだよ。
由綺は一人でも輝ける星だけど、美咲先輩は、
僕が手を握ってないと暗闇に消えてしまう……!」
「……黙れよ、ガキのくせに」
明が吐き捨てるように言った。
その言葉は、僕たち二人がまだ十二歳だという、
逃れようのない事実を突きつけてくる。
「勝手にしろ。
美咲先輩だって、お前みたいな小学生と本気で付き合うわけないだろ。
……お前は、いつか絶対、後悔する」
明はそれ以上、僕を見ようとはしなかった。
彼はカバンを掴むと、一度も振り返ることなく教室を出て行った。
開け放たれたドアから、冷たい冬の風が吹き込み、カーテンを乱暴に揺らす。
僕は一人、床に座り込んだまま、血の混じった唾を飲み込んだ。
頬の痛みは、少しずつジンジンとした痺れに変わっていく。
親友を失い、
日本一のアイドルを傷つけ、
僕はもう、何一つ持たない「ただのガキ」になった。
それでも。
美咲先輩の名前を心の中で呼ぶだけで、僕の凍えた心臓は、確かに熱を帯びるのだ。
窓の外では、もう日は沈み切り、世界は濃い藍色に包まれていた。
これからやってくる、残酷なほど美しいクリスマスの予感に、
僕はただ一人、震えながら立ち上がった。




