第13章 国会の修羅場(7)2031年9月10日 水曜日 午後3時
◆ 2031年9月10日 水曜日 午後3時
◇ 国会議事堂 衆議院本会議場
厚生年金減免法案の採決が行われようとしていた。1ヶ月にわたる激しい審議を経て、ついにこの瞬間が訪れた。
志茂野は政府席に座り、議場を見回していた。野党席の議員たちの表情には、既に諦めが見えていた。
議長が発言した。
「採決に先立ち、附帯決議案が提出されています。神崎龍馬議員より説明をお願いします」
神崎が登壇した。疲れが見えるが、目には決意が宿っている。
「本法案の審議を通じ、政府から一定の理解を得ました。しかし、弱者への配慮が不十分であることは明らかです」
神崎は一呼吸置いた。
「そこで、以下の附帯決議を提案します。一、政府は本法の運用にあたっては、子どもを持つことが困難な人々、病気や障害により働くことが困難な人々、その他社会的弱者の立場に最大限の配慮を行うこと」
与党席からも頷く姿が見える。与党の厚労委員と神崎が一瞬目を合わせた。
志茂野が立ち上がった。「政府として、附帯決議の趣旨を尊重し、運用にあたっては十分な配慮を行うことを約束いたします」
神崎が小さく頷いた。政治的妥協が成立した瞬間だった。
議長が採決を宣言した。
「まず附帯決議案について採決を行います」
附帯決議は全会一致で可決された。
「続いて、厚生年金保険料出生数連動減免法案について採決を行います」
「賛成298票、反対152票。よって本法案は可決されました」
議長の声が議場に響く。与党席から拍手が起こり、野党席からは怒号が飛び交った。
法案は可決された。
野党席からため息が漏れた。1ヶ月間の攻防は、志茂野の勝利に終わった。
志茂野は立ち上がり、深く頭を下げた。
「本日、厚生年金保険料出生数連動減免法案が衆議院を通過いたしました。参議院での審議に向け、引き続き丁寧な説明に努めてまいります」
志茂野は一呼吸置いて続けた。
「また、神崎議員をはじめとする野党の皆様の委員会での真摯な議論に感謝します。特に神崎議員の弱者への配慮を求める情熱的な訴えが、本日の附帯決議として実ったことを、重く受け止めています」
神崎は自席で複雑な表情を浮かべた。敗北の中にも、わずかな誇りがあった。
記者席のフラッシュが一斉に光った。
石原総理が志茂野に歩み寄った。
「お疲れさまでした。見事な答弁でした」
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◇ 同日 午後6時 SNS総括配信
法案可決から1時間。YouTubeの「政治のツボ」チャンネルでは、配信者が興奮を隠せずにいた。
「厚生年金減免法、298対152で可決です!」画面に採決結果を映し出しながら、配信者の声が上ずる。「志茂野大臣の数字の論理が完璧すぎて、野党も反論できませんでした」
コメント欄が激しく流れ始めた。『月6千円発言で多子家庭が報われた』という支持と、『氷河期世代見捨てられた』という怒りが交錯する。配信者は両方の意見を拾い上げながら、深夜まで議論を続けた。
「今国会の志茂野答弁は」と、疲れた声で締めくくる。「政治史に残るでしょうね。良くも悪くも、数字で政治を語った瞬間として」
一方、反対派の「エコノ解説」。同時視聴者2万人。配信者が深いため息をカメラに聞こえるようについた。
「はい、皆さん…完全に論破されました」肩を落としながら画面を見つめる。「感情論では数字に勝てない。政治討論として完敗です」
スーパーチャットの音が鳴る。5,000円の投げ銭、『先生お疲れ様』。配信者は苦笑いで返す。「ありがとうございます…でもね」
手元の資料をめくる音がマイクに入る。「これで本当に少子化が解決するんですか?5人産むって現実的なんですか?」
少し表情が和らぐ。「ただ、さっきの附帯決議は評価できます。神崎議員の委員会での執念が実りましたね。財産権の話で志茂野大臣を追い詰めた時は見事でした。『土地を預けたら勝手に現金にされた』という例え、あれは効いてました」
コメント欄を見ながら続ける。「完全敗北じゃない、一矢は報いた。志茂野大臣も神崎議員への謝意を述べていました」
配信終了ボタンに手をかけながら、最後に絞り出す。「合理性では勝てませんでした。でも人間の感情を無視していいのか…せめて附帯決議が実効性を持つことを祈ります。今日はここまでにします」
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###子育て系「3児ママゆりこ」の本音
キッチンから配信する3児ママゆりこ。スマホを固定して、視聴者1.5万人に向かって話し始める。
「こんばんは〜!今日も見てくれてありがとう」後ろで子供の声。「あ、ごめん、ちょっとうるさいかな」洗い物をしながらカメラに笑顔を向ける。でも表情がすぐに真剣になる。「正直、うちは3人でも手一杯なのに、5人って…」
スマホの電卓アプリを視聴者に見せる。「ちょっと計算してみるね」指が震えているのが配信に映る。「年間46万円の減免が退職まで…えっと…」画面に数字を打ち込む音。「30年で1,380万円!?」
コメント欄が爆速で流れる。配信者は目で追いながら読み上げる。「『うちも3人だけど悩む』…わかる〜。『夫が5人欲しがってる』…うちもです!」
画面の向こうから赤ちゃんの泣き声。「あ、ちょっと待って」カメラに向かって手を振る。「政府の思う壺かもしれないけど…この制度、効果ありそうよね」
深夜の追加配信。子供たちを寝かしつけた後、疲れた顔でカメラをオン。「さっきの続きだけど…制度は魅力的だけど、5人育てる現実を考えると…複雑です。今日はここまで〜」
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###TikTok「投資女子みゆ」の分析
TikTokでは若い投資女子みゆが、1分動画で鋭い分析をアップしていた。
「志茂野大臣の戦略、完璧でした!」
「①数字で攻めて反論不可能に」
「②段階的減免でゲーム感覚に」
「③『選択の自由』で批判を封じ込め」
「これ、行動経済学の応用ですね。人間の心理を完全に計算してる」
コメント欄:
「みゆちゃん鋭い!」
「政府も頭いいなあ」
「でも子育て大変だよ」
「計算されてるの怖い」
各インフルエンサーの反応は、国民の複雑な心境を如実に表していた。合理的だが人情に欠ける制度。効果的だが負担の大きい政策。
2031年の日本政治は、SNSで消化され、拡散され、そして次の選挙に向けて動き始めていた。
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