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第11章 認知の罠(2)午後6時

◆ 午後6時


◇ 福井駅前 居酒屋


居酒屋の喧騒が、三人を包んでいた。片瀬、伊勢野、石森。打ち上げと称して集まったが、それぞれの表情には複雑な影がある。


伊勢野がビールを掲げた。「第1期、スタートしました」


石森も杯を上げ、言葉を継いだ。「3ヶ月後に第2期。認知フレームを変更して、効果を測定していきましょう」


片瀬は、グラスの泡を見つめたまま動かない。


片瀬の問いかけは重かった。「本当にこれで良いのでしょうか」


伊勢野の手が止まる。グラスを持ったまま、片瀬を見つめた。「どういう意味です?」


片瀬は言葉を探した。「高齢者を...展示物のように」


沈黙が流れた。隣のテーブルから若者たちの笑い声が聞こえてくる。伊勢野は、ゆっくりとグラスを置いた。


伊勢野の声が穏やかに響く。「毎年正月に、実家に集合した甥や姪に会うんですが、年々その時間が貴重に感じられるようになってきてまして」


片瀬と石森が顔を上げる。45歳独身の政策企画官は、苦笑を浮かべながら続けた。


「若い世代との交流がどれだけ嬉しいか。だから入居者の方々が高校生と接する機会があるのは、本当に良いことだと思うんです」


石森がすかさず補足した。「展示物じゃないですよ。むしろ相互交流。彼らだって実際、良い生活してるじゃないですか」


そして身を乗り出した。「僻地の特養と比べてみたら、身内の見舞いなんて年に数回。でもここは違う」


「そうでしょうか…」片瀬の問いかけに、石森は熱を込めて答えた。


「高校生のバイトが毎日来るし、体験学習で若い子たちと話もできる。身内はいなくても、そういう交流がある」石森は一息ついた。「月3万円でこれだけの環境。その代わり、まあ、立地で貢献してもらってる。お互い様ですよ」


「社会貢献...」片瀬が呟いた。


「出生率の向上」伊勢野が断言した。「彼らの存在が若者の意識を変える。それも立派な社会貢献です」


片瀬は、ため息をついた。自分の理論が、このような形で実装されることへの複雑な思い。


「データは嘘をつきませんからね」片瀬は自分に言い聞かせるように言った。「効果があるなら、それは正しい政策なんでしょう」


「その通り」伊勢野が頷いた。「感傷は不要。我々は日本を救うんです」


店の外では、仕事帰りの若者たちが行き交っていた。彼らは施設の存在を知らないだろう。高校の隣にあるそれは、大人の通勤経路から外れている。


「でも限界もある」片瀬が呟いた。「高校隣接だと、高校生とその親にしか届かない。しかも親世代はもう40代、追加出産は期待できない」


「だから長期戦なんです」伊勢野が苦笑した。「今の高校生が20代、30代になった時が本番」


「現実的には、早くとも5年後か...」石森がため息をついた。


「いや、即効性もある」片瀬が指摘した。「高校生の兄姉で20代の層。『弟が毎日その施設の話してる』という波及効果」


「それに」石森が付け加えた。「高校なら効果測定が容易です。進路調査の一環として『将来の生活設計』を聞ける。学校側も協力的ですし」


「なるほど」伊勢野が納得した。「『キャリア教育の一環』として、理想の家族像や子供の数を調査できる」


「毎年同じ母集団で追跡調査も可能」片瀬が眼鏡を押し上げた。「これほど理想的な実験環境はない」


「そして」伊勢野が締めくくった。「高校で効果が実証できれば、次は商業施設でも交通施設でも展開できる。エビデンスさえあれば、予算も通りやすい」


「パイロット事業としては完璧ですね」石森が頷いた。




◆ 5月15日 水曜日 午前10時


◇ 社人研 片瀬研究室


片瀬は、1ヶ月半のデータを分析していた。


「効果測定の精度を上げました」片瀬が画面を見つめた。


研究助手が覗き込んだ。「どうやって?」


「対照群を設定しました」片瀬はタブを切り替えた。「県内の他の高校、丸岡高校と三国高校で同じ進路アンケートを実施。『将来の家族計画』という項目で」


画面に比較データが表示された。

- 坂井高校(施設隣接):理想子供数2.6人

- 丸岡高校(施設なし):理想子供数2.1人

- 三国高校(施設なし):理想子供数2.0人


「明確な差が出ています」助手が驚いた。


「でも、行動への影響はまだ測定できません」助手が現実的な指摘をした。


「そこでAIインタビューです」片瀬は別のファイルを開いた。「『生活意識調査』として、坂井市民500人に実施。表向きは地域活性化のための調査」


質問項目が表示された。

- Q12:最近、街の変化で気づいたことは?

- Q23:将来の生活で不安なことは?

- Q31:家族計画について考えることはありますか?


「施設への直接言及は42名。その中で『将来の不安』を訴えた人は38名。そして...」片瀬がグラフを表示した。「その38名中、29名が『家族の必要性』に言及しています」


「でも、サンプル数が...」


「統計的有意性は第3期まで待つ必要があります」片瀬は認めた。「これはベースライン。第2期で認知フレームを変えた時、どう変化するか」


ノートPCの画面には、別のデータも表示されていた。入居者たちの満足度調査。


全体満足度:92%

職員の対応:95%

設備・環境:94%

食事:89%


「入居者は幸せです」助手が言った。


「ええ」片瀬は複雑な表情を浮かべた。「それが、この政策の巧妙なところ」


電話が鳴った。伊勢野からだった。


「片瀬先生、第2期の準備を始めます。7月1日から認知フレームを変更。『独居高齢者のための生活支援センター』として広報します」


「分かりました」


電話を切った後、片瀬は窓の外を見た。東京の街並み。どこかで、誰かが結婚を決意し、誰かが出産を決意している。それが自然な選択なのか、それとも...


「先生?」助手が心配そうに声をかけた。


「何でもありません」片瀬は振り返った。「データ分析を続けましょう」


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