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第10章 115万人の衝撃(6)2028年12月24日 クリスマスイブ 午後8時

◆ 2028年12月24日 クリスマスイブ 午後8時


◇ 東京 六本木 高級レストラン


片瀬、伊勢野、石森の三人は、密かに祝杯を上げていた。


「118万人」伊勢野がグラスを掲げた。「談話の効果は予想以上だった」


「でも」片瀬は複雑な表情だった。「これは談話の効果。我々のエンカウント政策は、まだ始まってもいない」


「来年4月にようやく施設がオープン」石森が確認した。「効果が出るのは早くても再来年」


石森が頷いた。「施設運営、職員研修、そして段階的な認知フレームの変更。すべてが計画通りに進めば...」


「2032年までに年間出生数150万人を維持できれば」伊勢野が続けた。「日本の未来に希望が見える」


片瀬が計算を示した。「150万人が平均80歳まで生きれば、総人口1億2000万人。今の日本の人口規模を維持できる最低ラインです」


「出生率で言えば1.8程度」石森が補足した。「総理は2.4や3.0という数字を掲げたが...」


「あれは理想値だ」伊勢野が苦笑した。「ショック療法として高い目標を示す必要があった。でも現実的には、まず1.8を安定的に維持することが重要」


片瀬がタブレットを操作しながら呟いた。「面白いことに気づきました。150万人を維持し続けるだけで、2040年には出生率2.2になる」


「どういうことだ?」石森が眉をひそめたが、すぐに表情が変わった。「あ、待てよ...合計特殊出生率の定義は...」


厚労省で何度も見た計算式が頭に浮かぶ。出生数を15歳から49歳の女性人口で割る。


「そうか、分母が...」石森が呟いた。


「そうです」片瀬は画面を見せた。「単純な算数。出産可能年齢の女性が、今の2400万人から1800万人まで減る。150万人を維持さえすれば、率は自然に上がる」


「でも」片瀬は声を落とした。「その150万人を維持することがどれだけ大変か。女性が減る中で同じ数を産むには、一人一人がより多く...」


片瀬は言葉を止めた。


石森が苦笑した。「20年前、『産む機械』発言で柳沢厚労大臣が辞任に追い込まれた。あの時、俺は厚労省の若手だった。省内は大混乱だった」


「私も覚えている」伊勢野が続けた。「東大のキャンパスでは大騒ぎだった。その後、警察庁に入ってからも、人口統計の扱いには異常なほど神経を使っていた」


片瀬は二人を見つめた。「私は9歳でした。もちろん直接の記憶はありません。後に文献で知っただけです。当時のネット記事、国会議事録、社会学の論文...」


片瀬は言葉を選んだ。29歳の女性として、「機械」という表現への嫌悪感は理解できる。でも同時に、研究者として数理的真実も理解している。


「確かに表現は最悪でした。でも、問題の本質から目を背けさせる結果になったのも事実」片瀬は眼鏡を押し上げた。「だから私たちは、数字ではなく...」


片瀬は言葉を探した。


「人生の選択肢を、その結果を含めて見せる。家族に囲まれた老後と、そうでない老後。どちらもありのままに」


石森が補足した。「成功例ばかり見せられてきた若者に、失敗例も見せる」


「いや」片瀬は首を振った。「失敗ではなく、選択の結果。なりたい姿となりたくない姿、両方を冷静に見つめてもらう」


石森と伊勢野は顔を見合わせた。当時を知らない世代だからこそ、冷静に本質を見抜いている。


伊勢野が皮肉な笑みを浮かべた。「数字を語れないから、感情を操作する。これも皮肉な話だ」


三人は、グラスを合わせた。カチンという音が、静かなレストランに響いた。


外では、雪が降り始めていた。ホワイトクリスマス。街は、幸せそうなカップルと、赤ん坊を抱いた家族で溢れていた。


そして、妊婦の姿も。来年生まれる135万人の命を宿して。



◆ 2028年12月31日 大晦日 午後5時


◇ 首相官邸


石原総理は、執務室で年内最後の報告を受けていた。


秘書官が12月第3週までのデータを持ってきた。


「出生数の速報値です」


「どうだ」


「12月20日時点で115万8千人。月末までの推計を含めると、118万人を超える見込みです」


石原は、深く息を吐いた。去年の75万人から、実に58%増のペース。談話から約1年8ヶ月、まさに奇跡的な数字だった。


「そして、来年の見込みは?」


「妊娠届の数から推計して、135万人前後になるでしょう」


石原は立ち上がった。「談話効果の持続と、新たな同調圧力。そして...」


「『クリア』という概念の定着ですね」秘書官が続けた。「それに節約系YouTuberたちの影響も。まさか一般人のインフルエンサーがここまで効果を上げるとは」


「最近のトレンドは興味深い」秘書官がタブレットを見せた。「『5人兄弟ママが語る!一人っ子と兄弟持ちの決定的な違い』という動画が400万再生です」


石原は画面を覗き込んだ。元々5人の子持ちだった主婦系YouTuberが、談話前から発信していた育児動画が、今になって爆発的に伸びている。


「コメント欄も見てください」秘書官がスクロールした。「『3人目迷ってたけど決心つきました』『兄弟がいないと社会性が育たないって本当だったんだ』『一人っ子にしたら子供が可哀想かも』」


「恐怖と希望の両輪か」石原が呟いた。「一人っ子への不安を煽りつつ、多子家庭の楽しさを見せる」


「他にも『兄弟ケンカが協調性を育てる科学的根拠』が250万再生、『3人育児の方が実は楽!規模の経済を活用した子育て術』が180万再生」秘書官が続けた。「談話とは無関係に多子家庭だった人たちが、急に注目を浴びています」


「みんな産みたがっている時に、具体的なハウツーを提供する」石原は理解した。「需要と供給が完璧に噛み合った」


秘書官は報告書を閉じた。「他に何かございますか」


「いや、もういい。君も早く帰って家族と過ごしなさい」


「ありがとうございます。それでは失礼いたします」


秘書官は一礼して執務室を後にした。


石原は執務室の窓から外を眺めた。霞が関のビル群も、今日ばかりは明かりが少ない。官僚たちも家族と大晦日を過ごしているのだろう。


しばらく一人で考えを巡らせた後、石原は公邸に向かった。



◆ 2028年12月31日 午後9時


◇ 首相公邸


公邸のリビングには、家族が集まっていた。長男の健一(45歳)と妻(43歳)、その子供たち(15歳と12歳)。次男の雄二(43歳)と妻(41歳)、その息子(8歳)。大家族での年越しだ。


「お父さん、おかえり」健一が立ち上がった。


「遅くなってすまない」


石原は孫たちの頭を撫でた。「今年もみんな元気だったか?」


「うん、おじいちゃん!」8歳の孫が飛びついてきた。


次男の妻が嬉しそうに言った。「実は、もう一人家族が増えます。5月に生まれる予定です」


石原は驚いた。「本当か?」


「はい。総理談話の後、もう一人欲しくなって」雄二が照れくさそうに言った。


石原は複雑な表情を浮かべた。自分が始めた政策の波に、息子たちも乗っている。それは喜ばしいことなのか、それとも...


「お父さん、どうしたの?」健一が心配そうに聞いた。


「いや、何でもない」石原は微笑んだ。「新しい命が生まれることは、素晴らしいことだ」


テレビでは、カウントダウンが始まっていた。10、9、8...


「あの三人の若者に、日本の未来を託すことになる」石原は心の中で呟いた。「彼らが成功すれば、この子たちの未来も明るい」


午前0時の鐘が鳴った。2029年が始まった。


「明けましておめでとう」


家族みんなで新年の挨拶を交わした。石原は次男の妻のお腹をそっと見つめた。5月に生まれる4人目の孫。来年の135万人の一人として、新しい日本を生きていく命だった。


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(第10章 完)


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