第9章 地方の変貌(2)10月19日(火)
◆ 10月19日(火)午前10時
◇ 福井新聞社 編集局
公示日の朝。北川は、選挙特集の打ち合わせに参加していた。
編集長の松田が、ホワイトボードに各党の公約を書き出していく。
「与党3党は、『総理婚支援の継続・拡充』が目玉だ。母親手当の増額、3世代同居減税の恒久化、結婚支援金の創設まで打ち出している」
政治部長の田中が補足した。
「現有議席は民自党186、創世党52、衆政党48の3党連立で286議席。総理談話前は支持率25%まで落ちていたが、今は60%を維持している。この追い風で、与党3党合計で300議席超えを狙っている」
「一方、野党はどうだ」
「共立党は89議席の第一野党。『個人の自由と多様性の尊重』を前面に出して、独身税反対、結婚の強制反対を訴えている。ただ、総理談話以降の世論の流れには逆らえず、苦戦が予想される」
「その他の野党は?」
「改革党が31議席、新緑党が28議席、憲政党が15議席、市民民主党が15議席、あとは無所属が1議席。小政党の乱立状態だ。今回の選挙では、総理婚を巡って野党再編の動きも出ている」
北川は、地方記者の視点で発言した。
「福井では、総理婚ブームで実際に結婚が増えているから、与党への追い風は強い。ただ、独身の中高年男性からは共立党への期待も聞こえてくる。衆政党は母親手当で子育て世代には人気があるが、財源問題で批判もある」
松田がうなずいた。
「地方の視点は重要だ。北川、街の声を丁寧に拾ってくれ。特に、政策の恩恵を受けている人と、取り残されている人、両方の声を」
◆ 10月21日(木)午後5時
◇ 福井駅前
北川は、福井駅前の街頭演説を取材していた。
与党候補(民自党・衆政党推薦)が、駅前広場で声を張り上げている。新幹線で金沢や東京へ向かうビジネスマン、えちぜん鉄道の高校生、タクシー待ちの年配者。平日の夕方にしては、人は少ない。
「子供の声が聞こえる福井を作りましょう!」
それでも、タクシー乗り場に並ぶ若い夫婦や、送迎の車を待つ主婦たちが足を止めていた。
◆ 10月21日(木)午後6時
◇ アピタ福井店 駐車場
1時間後、北川は大型スーパーの駐車場に移動した。こちらの方が、明らかに人が多い。
与党候補(民自党・衆政党推薦)が、買い物客に向かって声を張り上げている。車から降りてきた家族連れが、カートを押しながら足を止める。
「子供の声が聞こえる福井を作りましょう!」
駐車場には候補者の選挙カーと、支援者の車が並んでいた。買い物を終えた若い夫婦が、車に乗り込む前に演説を聞いている。後部座席のチャイルドシートが、夕日に照らされていた。
1時間後、場所を変えて、共立党の山崎候補が市民プラザの駐車場で演説を始めた。しかし、夜7時を過ぎて、人はまばらだった。
「個人の尊厳を守る!独身税は憲法違反だ!」
車のヘッドライトが時折、候補者を照らす。立ち止まるのは、コンビニ帰りの中年男性くらいだった。
◆ 10月26日(火)午後7時
◇ 福井放送 スタジオ
北川は、地元テレビ局の候補者討論会を取材していた。
「それでは、独身税について両候補のご意見を」
司会者の問いかけに、福井1区の与党候補・西村健太(民自党・54歳)が身を乗り出した。
「誤解があるようですが、独身税ではありません。社会保障負担の公平化です。子育て世代が次世代を育てているのに、独身者と同じ負担では不公平でしょう」
共立党の山崎明が反論した。
「それは差別です。結婚は個人の選択。経済的理由で結婚できない人もいる。そこに追い打ちをかけるのですか」
「経済的理由?」西村が畳みかけた。「だからこそ3世代同居加算や育児支援を充実させている。言い訳ばかりでは少子化は止まらない」
山崎の顔が赤くなった。
「あなたには3人のお子さんがいる。恵まれた環境だったからでしょう。皆が同じ条件ではない」
「私も苦労しました」西村の声に感情がこもった。「でも子供は未来への投資。その認識が共有できないなら、この国に未来はない」
スタジオの空気が凍った。カメラが回り続ける中、二人の候補者は睨み合っていた。
討論会後、スタジオの外で北川は視聴者の反応を聞いた。
「西村さんの言うことも分かる」若い母親が言った。「子育ては本当に大変。でも山崎さんの言う通り、みんながみんな結婚できるわけじゃない」
50代の男性は首を振った。「俺は独身だけど、西村さんに入れる。このままじゃ国が潰れる」
その横で、30代の女性が呟いた。「どっちも極端。もっと柔軟な方法はないのかな」
◆ 10月29日(金)午後3時
◇ イオンモール福井前
ショッピングモールの入口前で、与党候補が演説していた。
週末の買い物客で賑わう中、候補者の声が響く。
「来年から始まる3世代同居加算、月3万円!お孫さんと一緒に暮らす幸せを、政府が応援します!」
妊婦たちが足を止めて聞いている。その表情は真剣だ。
野党候補は、少し離れた場所で街宣車から訴えていた。
「独身税は人権侵害です!結婚は個人の選択です!」
しかし、買い物客の多くは素通りしていく。街宣車の前で立ち止まっているのは、数人の中年男性だけだった。
◆ 10月29日(金)午後7時
◇ 福井市 与党選挙事務所
総理婚解散から2週間。選挙戦は最終盤を迎えていた。
与党候補の事務所は、支持者で溢れかえっていた。北川は、取材ノートを片手に、その熱気を記録している。
「この流れを止めるな!」
候補者の声が、スピーカーから響く。
「福井でも、婚姻数が3倍に増えた!街を歩けば妊婦さんを見かけるようになった!マタニティマークをつけた女性が増えた!来年の春には、この福井に赤ちゃんの泣き声が響き渡る!この希望の流れを継続させるのは、我々の使命だ!」
拍手と歓声が上がった。支持者の多くは、子連れの若い夫婦だ。
北川は、隅で一人座っている男性に気づいた。50代、独身のようだ。居心地悪そうに、缶コーヒーを飲んでいる。
「選挙、どう思います?」
北川が声をかけると、男性は顔を上げた。建設会社の作業服を着ている。
「...どうせ決まってるんでしょ。独身税も」
苦い表情で、男性は続けた。
「俺みたいなのは、もう用なしってことだ」
北川は何も言えなかった。この男性の言葉が、胸に突き刺さる。
◆ 10月29日(金)午後8時30分
◇ 福井市 野党選挙事務所
北川は、同じ建物の3階にある野党候補の事務所も訪れた。
こちらの雰囲気は対照的だった。支持者は少ない。だが、その分、一人一人の表情は真剣だ。
「皆さん、我々は負けていません!」
野党候補の山崎明(58歳・元高校教師)が、声を張り上げた。
「総理談話以降、この国は狂っている!結婚しない自由、子供を持たない自由、それは基本的人権だ!」
拍手は少ないが、力強い。聴衆の多くは、独身者や高齢者だった。
「独身税は憲法違反だ!個人の生き方を、国家が強制することは許されない!」
山崎の隣に、一人の女性が立っていた。田辺恵子(45歳・福井大学准教授)。シングルマザーで、社会学が専門だ。
「皆さん、騙されないでください」
田辺が静かに、しかし力強く語り始めた。
「今の『ベビーブーム』は作られたものです。同調圧力で子供を産むことが、本当に幸せでしょうか?」
会場がしんと静まった。
「私は15年前、一人で娘を産み、育ててきました。それは私の選択でした。誰かに強制されたわけではない」
田辺の声に、感情がこもった。
「でも今は違う。『3人産め』『結婚しろ』という空気に、皆が押し潰されそうになっている。特に若い女性たちが」
北川は、両陣営の主張を聞きながら、この選挙の本質を理解した。これは、日本の未来の形を決める選挙だ。
多数派による「正しい生き方」の強制か、それとも個人の自由か。
だが、北川は記者として知っていた。個人の自由を尊重し続けた結果が、出生率1.2という数字だ。その「自由な選択」の集積が、年金崩壊という形で跳ね返ってくる。田辺准教授の主張は美しい。しかし、その美しい理想は持続可能なのか。
一方で、与党の「産め増やせ」も、恐怖と同調圧力で作られた脆い土台かもしれない。
どちらも、完全な答えではない。
◆ 10月27日(水)午前11時
◇ 敦賀市 ハローワーク
北川は、別の取材で敦賀を訪れていた。
ハローワークの前で、見慣れない光景を目にした。いつもより、中年男性の列が長い。その多くが、疲れた顔をしている。
「最近、相談が増えてます」
職員の話では、独身の中年男性からの相談が急増しているという。
「独身税の話が出てから、将来の生活設計を見直したいという相談が多くて。特に非正規の方は、税金が増えたら生活できないって不安がっています」
別の職員が付け加えた。
「あと、職場で肩身が狭くなったという話もよく聞きます。『なんで結婚しないの』『相手を紹介しようか』って、毎日言われるそうです」
北川は、その列を見つめた。
50代の男性が書類を握りしめている。その隣で、30代らしき男性がスマホの婚活アプリを見ていた。画面をスクロールする指が、どこか焦っているように見える。
半年前なら、この光景はなかった。
ふと、若い女性がハローワークの様子を観察しているのに気づいた。黒縁眼鏡、グレーのスーツ。手元のタブレットに、何かを熱心に記録している。調査員のような雰囲気だ。
「すみません、何か調査を?」
北川が声をかけると、女性は振り返った。
「東京大学社会科学研究所の片瀬です。地方の行動変容を調査しています」
片瀬朔実、29歳。杉浦研究室の助教。総理談話後の社会変化について、独自の理論研究を進めているという。
「どんな調査を?」
「人々の行動変容についてです。特に、経済的インセンティブと社会的圧力の相互作用を」
片瀬の答えは学術的だった。まだ政府のプロジェクトには関わっていない、純粋な研究者の視点。しかし、その熱心なデータ収集の姿勢に、北川は何か特別な使命感を感じた。




