第7章 総理婚ラッシュ(2)午後3時 ハッピーマリッジ新宿
◆ 午後3時 ハッピーマリッジ新宿
佐藤美咲の結婚相談所「ハッピーマリッジ新宿」は、新宿の雑居ビル3階にある小さな事務所だった。
スタッフは美咲を含めて3人。エクセルで会員管理をし、マッチングは基本的に手作業。アプリがダウンしている今、こうしたアナログな相談所に人が殺到していた。
待合室で、一組のカップルが書類を記入していた。
女性は岩崎香織(35歳)、男性は中村健太(37歳)。1時間ほど前にこの事務所で初めて会った二人だった。
「本当にいいんですか?」
美咲は確認せずにいられなかった。
香織が顔を上げた。少し緊張した様子で話し始める。
「会社でも話題になっています。『婚活始めた』って人が急に増えて。私も35歳だし、そろそろ本気で考えないとって」
健太の手が、膝の上でゆっくりと組まれた。指先が微かに震えているのを、美咲は見逃さなかった。
「僕も似たような感じです。37歳で、仕事ばかりしてきて。昨日の談話を聞いて、『このままじゃまずい』って初めて実感しました」
二人は少し照れたように微笑んだ。初対面から1時間。でも、年齢も価値観も近く、話は弾んでいた。
美咲は二人の様子を見守りながら、書類を整理し始めた。
「それでは、また連絡を取り合ってください。何かあればいつでもサポートします」
二人は礼儀正しくお辞儀をして、それぞれ帰り支度を始めた。健太が先にドアに向かい、香織も後に続く。
そして、ドアの前で—
「あの!」
「この後って—」
二人の声が重なった。お互い驚いて、そして笑い出した。
「すみません、どうぞ」と健太。
「いえ、そちらから」と香織。
健太が顔を赤らめた。視線を逸らしながら、言葉を絞り出す。
「もし良かったら、この後お茶でも...同じこと考えてました?」
香織の顔に、小さな笑みが浮かんだ。肩の力が抜けたように、自然に。
「ええ。せっかくですし、もう少しお話ししたいなって」
美咲は微笑みながら見送った。昔なら遠慮したかもしれない二人が、今は素直になれている。それが悪いことだとは思えなかった。
◆ 午後5時 「恐怖婚」「計算婚」「諦め婚」
美咲は、今日一日で見た「結婚」を分類していた。
恐怖婚:老後の不安に駆られての結婚
- 朝一番で来た38歳男性のようなケース
- 年金崩壊への不安が主な動機
計算婚:経済的計算に基づく結婚
- 岩崎・中村カップルのようなケース
- データマッチングで「効率的」に相手を選ぶ
諦め婚:理想を諦めての妥協結婚
- 「この人でいいや」という消極的選択
- 時間がないという焦りから
でも、中には純粋な決意もあった。
◆ 午後6時 決断の連鎖
「美咲さん、電話です」
由美が受話器を差し出した。
「お世話になっております。実は、今朝こちらで登録させていただいた山田です」
朝の慌てた男性の声だった。美咲は覚えていた。
「あの後、実は...」
山田の声が少し明るくなった。
「会社の同僚と話してたんです。総理談話のことで。そうしたら、実は彼女も同じこと考えてて」
「同僚の方と?」
「はい。5年一緒に働いてきた人です。お互い、ただの同僚だと思ってたんですが...今日、初めてそういう話をして」
美咲は微笑んだ。
「それで、相談所は必要なくなったということですか?」
「いえ、逆です。二人で話し合って、やっぱりプロのアドバイスが欲しいって。明日、一緒に伺ってもいいですか?」
「もちろんです」
電話を切ると、由美が苦笑していた。
「今日だけで、似たような電話が20本以上。『実は身近にいた』って」
「総理談話が、気持ちを伝えるきっかけになってるのね」
美咲は窓の外を見た。通りには若いカップルが歩いている。いつもより手を繋いでいる人が多い気がした。




