表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/103

第6章 メディアと現実(8)NHK - 議論の続き

○ NHK - 議論の続き


杉浦が手元のノートPCを操作し、データを大画面に映し出す。グラフが青白い光となってスタジオを照らした。


「実は若い世代ほど総理談話を支持しています。20-30代の支持率38%」


上原の表情が複雑に変化する。若い女性たちの声を代弁してきたつもりだった。しかし、データが示す現実は違う。彼女は眼鏡を外し、レンズを拭きながら考え込んだ。50年間の研究者生活で培った知的誠実さが、彼女に事実を受け入れることを要求していた。


兼松が身を乗り出した。Z世代の代表として招かれた彼の言葉には、独特の重みがあった。スーツを着慣れていない様子が、かえって彼の言葉に真実味を与えている。


「僕らの世代、もう将来ないと思ってました。でも総理がはっきり言ってくれた。ごまかされるより、ちゃんと教えてもらった方がいいです」


その率直な言葉に、スタジオ内から小さなどよめきが起きた。年長者たちが守ろうとしていた建前を、若者があっさりと否定したのだ。


兼松は続けた。今度は上原の方を真っ直ぐ見つめながら。


「上原先生」


上原が顔を上げた。その表情には警戒心とともに、若者の意見を聞こうとする学者としての誠実さが滲んでいた。


「失礼ですが、あなたたちの世代が問題を放置したから、今こうなってるんじゃないですか?」


スタジオの空気が凍りついた。カメラマンすら息を止めた。


「それに...」


兼松の声が、若者特有の率直さで続く。


「男女は考え方も、体も違うのに、変な風に男女平等を進めたから、こうなってるんじゃないですか?」


上原は一瞬言葉を失った。しかし、すぐに深く息を吸い込んだ。79歳の学者は、若者の批判を真摯に受け止めようとしていた。


「兼松さん」


上原の声は震えていたが、威厳があった。


「その批判は...一部は正しいかもしれません。私たちの世代は、理想を追求するあまり...」


言葉を選びながら、慎重に続ける。


「現実を見失った部分があったのかもしれません」


兼松は杉浦の方に視線を移した。


「杉浦先生だって、ここまで来るまでには多くのものを犠牲にしてきたはずです。家庭か、キャリアか、そんな選択を強いられて...」


杉浦がノートPCから顔を上げた。その表情には、困惑と、そして微かな苦笑が浮かんでいた。


「兼松さん」


杉浦の声は、いつものデータ分析の時とは違う、柔らかな響きを持っていた。


「私、4人います」


一瞬の沈黙。


「え?」


兼松の声が裏返った。


「子供が4人います。学生結婚で」


カメラの向こうで、フロアディレクターが手にしたカンペを落としそうになった。


スタジオが完全に凍りついた。データの海に逃げ込んでいるように見えた人口学者が、実は4人の母親だった。


城崎が一瞬、フロアディレクターの方を見た。続けていいのか?という無言の問い。副調整室では、チーフディレクターが即座に判断を下していた。


「続けろ。少子化の話題だ、関連性はある」


インカムから城崎の耳に指示が入る。彼は小さく頷いて、杉浦に視線を戻した。


杉浦が静かに続ける。学者特有の習性で、つい専門用語が口をつく。


「21歳で第一子、23歳で双胎、26歳で第四子を...」


「そうたい?」


兼松が困惑した声で聞き返した。


「あ、すみません。双子です」


杉浦が小さく苦笑する。


「統計用語が癖になってしまって。23歳で双子を産んで、博士課程の時に4人目を産みました」


上原の表情が固まった。しかし、その目には怒りよりも、むしろ深い困惑と、そして微かな興味が浮かんでいた。自分の理論と矛盾する存在が、すぐ隣に座っていた。学者としての好奇心が、一瞬、イデオロギーを上回った。


「杉浦さん...」


上原が小さくつぶやいた。その声には非難ではなく、純粋な驚きが込められていた。


「データ分析しながら授乳してました。論文書きながらオムツ替えて...」


杉浦が一瞬言葉を切った。


「正直に言うと、母と義母がほとんど育ててくれました。二人ともまだ40代で若かったので」


スタジオに微かな笑いが漏れる。杉浦も小さく微笑んだ。


「私の祖父は動物学者だったんですが、口癖がありまして」


「なんでしょう」


城崎が促した。


「『若いメスは産むのは得意だが、育てるのが得意なのは年取ったメス』」


今度は苦笑が広がった。上原も小さく微笑んだが、その笑みには複雑な感情が混じっていた。動物学的視点。それは彼女が最も批判してきた生物学的決定論に近い。しかし、目の前の杉浦の存在が、その理論に奇妙な説得力を与えていた。


「祖父の動物学的観察は、意外と的を射ていたかもしれません。私は産んで、母世代が育てて、みんなで家族を作った。それでも犠牲だとは思いませんでした」


杉浦の告白に、スタジオ中が息を呑んでいる。


城崎が慎重に口を開いた。


「杉浦先生のような例は...特殊なケースでしょうか」


「データで見ると」杉浦が即座に応じる。「祖父母の育児参加率と女性の就業継続率には、相関係数0.76の強い正の相関があります」


和久井が視聴者のために補足した。

「つまり、祖父母が育児を手伝ってくれる家庭ほど、お母さんが仕事を続けやすいということですね」


「はい、その通りです」杉浦が頷く。


上原がゆっくりと口を開いた。その声には批判と同時に、真摯な疑問が込められていた。


「杉浦さん、それは結果として、女性同士で育児負担を回し合っているだけではありませんか?本質的な解決になっていない」


杉浦が考え込むように頷いた。


「その批判は理解できます。でも上原先生」


杉浦が眼鏡を直しながら、データを思い出すような表情をした。


「私の場合、実母と義母が育児の約70%を担当していました。統計的に見ると、三世代同居世帯の出生率は核家族の1.8倍です」


杉浦はノートPCの画面を見ながら続けた。


「興味深いデータがあります。育児支援を受けた女性の87%が、将来孫の育児に参加する意向を示しています。時間軸で見れば、20代で産み、50代で育てる。ライフサイクルの中での役割分担です」


上原の表情が変化した。批判ではなく、対話を求めるような眼差しで杉浦を見つめる。


「それは結局、女性だけの負担では?」


城崎が議論を整理しようとした時、守本が眼鏡を直しながら口を開いた。経済学者としての冷徹な計算が、彼の表情に現れている。


「経済学的に見れば、インセンティブの問題です。独身税や子なし税も検討すべきかもしれません」



○ 23:15 - 田中雄太の反応


「独身税!?」


田中が思わず声を上げた。


「まさか本当にそんなこと...」


麻衣が彼の手を握る。


「ねえ、雄太。私たち...」


「うん?」


「結婚、考えた方がいいのかな」


田中は麻衣の顔を見た。彼女の眼には、不安と決意が入り混じっていた。


スマホを確認すると、朝日新聞のウェブサイトに姉の名前で速報記事が上がっていた。

「石原総理、男性不妊を告白」

19時21分配信、そして22時35分更新。姉は会見しながら記事を書き続けている。


田中はNHKに集中することにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ