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第6章 メディアと現実(1)

◆ 2027年4月1日 午後9時45分〜4月2日朝



◇ NHK報道局 緊急対策室 18:08


総理談話開始から8分。「各家庭3人」「年金崩壊」の衝撃に、報道フロアが騒然としていた。


「特番決定!22時から2時間」


報道局次長の藤井がホワイトボードに出演者リストを書き殴る。上原静子ジェンダー、守本吾郎(経済)は『ニュース10』から転用できる。三輪昭雄(元厚労省官僚・現麗澤大教授)は別番組の収録でたまたまスタジオにいた。だが人口学の専門家が見つからない。


「社会科学研究所の所長は?」


「パリの学会です。今、国際電話で交渉中」


18:15、プロデューサーが受話器を置いた。


「所長から代理推薦が出ました。杉浦美央子教授」


「誰だそれ」


「データ分析なら日本一だが、テレビ経験ゼロだそうです」


藤井は3秒考えて決断した。


「贅沢は言ってられない。所長から連絡してもらえ。承諾が取れ次第、車を回す」



◇ 18:45 東大本郷キャンパス


社会科学研究所の杉浦研究室。壁一面に人口ピラミッドのポスターが貼られ、机上には各国の統計年鑑が山積みになっている。


杉浦は3台のモニターに囲まれていた。メインモニターでRの回帰分析、右モニターで人口動態データベース、左モニターの隅でYouTube Liveの総理談話が小さく映っている。音声はイヤホン片耳だけ。


院生5人は談話に釘付けだった。「エイプリルフールに真実を語るという逆説」「国家と個人の境界を溶かす戦略」と興奮気味に議論している。


「先生、このナラティブの転換をどう評価します?」


杉浦は左モニターをちらりと見た。石原総理が「各家庭で3人以上」と訴えている。院生たちは興奮しているが、杉浦には評価の仕方がわからない。


「...データで見れば3人は妥当ですが」


的外れな答えだった。すぐメインモニターに視線を戻す。


「1975年から52年間...この傾きなら2043年に1.0を切る」


独り言をつぶやきながら、Rのコンソールに関数を打ち込む。回帰分析の結果がずらりと表示される。p値、決定係数、信頼区間。YouTube Liveをちらちら見ながらも、手は止まらない。メモ用紙に走り書き。「2.8必要」「移民なしで2.95」「95%信頼区間で3.2」。


「先生、これ社会構築主義的な転換点になりませんか?」


M2の女子院生が振り返ったが、杉浦は計算を続けていた。左モニターの総理が「3人」と言うたびに、反射的に視線が動く。


「2037年に年金枯渇なら、出生率2.8必要です。妥当な数字」


院生たちが呆れた顔を見合わせた、その時だった。杉浦のスマホが震えた。画面には「所長」の文字。


「杉浦君、済まない。今パリなんだが、NHKから出演依頼が来た。君を推薦したから、すぐに電話が行くはずだ」


所長の声が国際ローミングで少し遠い。


「私、テレビは...」


「君なら大丈夫。データで説明すればいい」


電話を切ると、30秒もしないうちに見知らぬ番号から着信。NHKだった。


「社会科学研究所の所長からご推薦いただきました。22時から2時間の生放送なんですが」


「ノートPCにデータが入っているので、持ち込んでよければ」


「もちろん結構です!グラフでも統計でも、何でもお使いください」


杉浦の目が輝いた。


ノートPCを巨大なトートバッグに放り込む。モバイルモニター、iPad Pro、USBメモリ3本、外付けSSD2台、充電器とケーブル類の束、モバイルバッテリー3個。「グラフを同時表示したいので」と言いながら次々と詰め込んでいく。


「先生、それ全部要ります?」


「データは嘘をつきませんから」


真顔で答える杉浦に、院生たちは苦笑した。10キロ近いバッグを肩にかけて研究室を出る。夕暮れの本郷通りに、NHKの黒塗りのクラウンが静かにエンジンをかけて待っていた。小柄な女性教授は、パンパンに膨らんだトートバッグを引きずるようにして車に乗り込んだ。



◇ 一人の視聴者



○ 東京都世田谷区 田中雄太のアパート 21:55


田中雄太(29歳・大手商社勤務)は、リモコンを握りしめたままソファに座っていた。彼女の山本麻衣が隣に座っている。付き合って2年、そろそろ結婚を考え始めていた矢先だった。


18時の総理談話は残業で見逃した。会社を出たのは21時過ぎ。麻衣と合流してアパートに戻り、55インチのテレビをつけた。金曜の夜はいつもNetflixで映画を選ぶか、思いつかない時はAbemaをダラダラ見る時間だったが、今日は違った。どのチャンネルも騒然としていた。


スマホを確認すると、姉の美咲からメッセージが来ていた。朝日新聞記者の彼女は、今まさに記者会見場にいるはずだ。17時50分のタイムスタンプ。


「18時から総理談話。その後会見あり」

「今夜は帰れないかも」


YouTubeで総理談話の動画を見つけて再生してから30分。彼はずっとテレビの前から動けずにいた。


「3人...」


田中が呟くと、麻衣が不安そうな顔をした。


「私たち、まだ結婚もしてないのに」


「うん...」


田中はチャンネルを変える。どの局も総理談話の話題一色だった。


NHK - 「緊急討論の準備中」

フジ - 「批判的なコメンテーター集結」

テレ朝 - 「女性の権利侵害と糾弾」

TBS - 「年金崩壊の衝撃」

テレ東 - 「経済への影響を分析」


どこも騒がしい。どこも混乱している。


彼はNHKに戻した。22時から特番が始まるらしい。


スマホを見る。Twitterは大炎上。「#石原談話」がトレンド1位。友人たちのLINEグループも騒然としている。


「独身税来るぞ」

「マジで3人とか無理」

「でも年金ないのも困る」


返信する気になれない。ただ、画面を見つめているだけだった。


22時になり、田中はNHKの緊急討論番組に合わせた。


「これ、ちゃんと見た方がいいかも」


麻衣が頷く。二人はソファに並んで座り直した。


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