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第4章:記者会見という戦場(8)3-5 休憩中の官邸内(8時35分)

◇ 3-5 休憩中の官邸内(8時35分)


総理が控室に下がっている間、官邸の廊下は異様な緊張に包まれていた。


薄暗い廊下の隅で、二つの影がひそひそと言葉を交わしている。内閣官房副長官の富沢誠一郎と財務事務次官の黒田だった。黒田の額には、びっしりと汗が浮かんでいる。明日の東京市場を想像するだけで、胃が痛くなってくる。


「富沢さん、このままでは...」


黒田の声が震えていた。国債暴落のシミュレーション結果が、頭の中でぐるぐると回っている。


「分かっています」


富沢の返答は短かった。彼もまた、総理の暴走を止められない自分の無力さを噛みしめている。40年来の盟友である石原が、なぜ今、政治的自殺とも言える行動に出たのか。


「何とか、軌道修正を...」


「無理です」


富沢の声には、諦念が滲んでいた。石原はもう、この国の未来に全てを賭けている。誰にも止められない。


二つの影のすぐ近くを、朝日新聞の田中が通りかかった。聞こえてくる会話の断片に、彼女の記者としての本能が反応する。歩調を緩め、さりげなくスマートフォンを取り出した。画面を見るふりをしながら、耳は二人の会話に集中している。


内部崩壊の予兆。明日の一面記事が、頭の中で組み上がっていく。



◇ 3-6 女性記者たちの連帯(8時36分)


女子トイレでは、別の光景があった。


蛍光灯の白い光の下、4人の女性記者が鏡の前に立っていた。NHK、朝日、共同通信──普段なら特ダネを奪い合うライバル同士。しかし今、彼女たちを結びつけているのは、記者という職業を超えた何かだった。


水田真理が崩れた化粧を直そうとしていた。手が震えて、リップスティックがうまく引けない。


「大丈夫?」


田中の声は優しかった。水田への視線に、同じ痛みを知る者だけが持つ理解があった。


「私も、実は...」


鈴木が言いかけて、言葉を飲み込んだ。その目に一瞬浮かんだ影を、水田だけが気づいた。同じ痛みを知る者だけが分かる、あの喪失の影を。


鏡に映る4人の顔は、それぞれ違う年齢、違う境遇を映していた。独身、既婚、子持ち、不妊治療中。しかし今この瞬間、彼女たちは「女性」という一点で深く繋がっていた。


「総理は...」


田中が言いかけて止めた。「分かってない」という言葉は、もはや口にする必要もなかった。男性優位の政治の世界で、彼女たちが日々感じている壁。それが今日、最も残酷な形で可視化されたのだ。


トイレのドアが開き、別の女性記者が入ってきた。一瞬の視線の交錯。そして無言の頷き。この日、会見室にいた全ての女性記者が、見えない糸で結ばれているようだった。


女性記者たちは、それぞれ複雑な思いを抱えながら、会見室に戻っていった。



◇ 3-7 若手記者たちの本音(8時40分)


会見室の片隅、自動販売機の前に20代の記者たちが集まっていた。缶コーヒーを握りしめる手が、それぞれの不安を物語っている。


東京新聞の高橋が、誰にともなく呟いた。


「無理ゲーだよな」


その一言に、全員が暗黙の了解を示した。年収400万円台、家賃で消える給料の3分の1、奨学金の返済が月4万。彼らの通帳残高は、総理の描く「3人の子供がいる幸せな家庭」とは別の宇宙にあった。


誰かがスマートフォンを取り出した。画面には転職サイトが表示されている。記者という仕事への情熱と、生活の現実の間で、彼らは日々引き裂かれていた。


「でも...」


産経の新人記者が何か言いかけて、口をつぐんだ。総理の危機感も理解できる。このままでは日本は本当に消滅する。しかし、その解決を自分たちの世代に押し付けられても──


缶コーヒーの金属音が虚しく響いた。彼らの世代は、生まれた時から「失われた時代」しか知らない。バブルも高度成長も、教科書の中の物語だ。そんな彼らに「昔のように3人産め」と言われても、昔を知らない者にはファンタジーにしか聞こえなかった。



◇ 3-8 海外記者たちの分析(8時43分)


廊下の窓際に、外国人記者たちが自然と集まっていた。桜が散り始めた官邸の庭を眺めながら、それぞれが母国との違いを噛みしめている。


CNNのジェームズ・ハリソンが大げさに肩をすくめた。


「In America, he'd be gone by tomorrow」(アメリカなら明日には辞任だね)


隣のドイツZDFのミュラー記者が皮肉な微笑みを浮かべた。フランス・ル・モンドのデュポンも同じような表情だ。


「After Trump, you really can say that?」(トランプの後でよくそんなことが言えるな)


ハリソンは苦笑いを返すしかなかった。


BBCのサラ・チェンが軽い調子で口を挟む。


「I rather like it. So refreshingly forward-looking」(私は結構好きよ。とっても未来志向で素敵じゃない)


フランス人記者が鼻で笑った。


「Les Britanniques...」(イギリス人ってやつは...)


BBCのサラ・チェンは、他の記者たちとは違う視点を持っていた。10年間の東京駐在が、日本社会の深層を理解させている。出生率1.2という数字の向こうに、静かに進行する国家の死を見ていた。


フランスのル・モンド紙記者は、手帳に何かを書き付けていた。「日本的な集団主義の限界」という見出しが見える。個人の幸福より社会の存続を優先する思想──それは欧州が既に通過した道だった。


窓の外で、一陣の風が桜の花びらを舞い上げた。美しくも儚い光景が、この国の未来を象徴しているようだった。


「それにしても、やり方が...」


中国の王記者が口を挟んだ。新華社通信の東京支局長として、日本の失敗を本国に報告する使命を帯びている。


「中国なら、もっと効果的に対処できる。政府の強いリーダーシップで」


BBCのサラが、わざとらしく首を傾げた。彼女の瞳に、悪戯っぽい光が宿っている。


「そういえば中国の出生率は今どのくらいでしたっけ?私、最近の数字をきちんと把握していなくて」


王記者の顔が、まるで石膏像のように固まった。中国の出生率が1.09まで落ちていることは、この場の全員が知っている。三人っ子政策すら機能していない現実を、どう説明すればいいのか。


「それは...都市部の一時的な現象で...」


声が次第に小さくなっていく。上海や北京の出生率が0.7を切っているという報道を、彼自身が先週書いたばかりだった。


「一時的、ですか。なるほど」


サラの声には、大英帝国から受け継いだ皮肉の伝統が、これでもかと詰め込まれていた。


韓国の朴記者も参加した。


「韓国の0.72に比べれば、日本はまだマシ。でも、この総理のやり方は...」


「Kamikaze」


誰かが呟いた。


「政治的な自殺行為だ」


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