第3章 談話(6)企業社宅・江東区
◇ 企業社宅・江東区
大手メーカーの社宅、結婚2ヶ月の26歳同士。ソファでぴったりくっついて会見を見ている。
《できれば3人、あるいはそれ以上》
夫が突然立ち上がった。「よーし!4人でも5人でも作っちゃうぞー!」
「きゃー♡ ダーリンったら!」妻が大げさに頬を赤らめる。
「だって社宅だから家賃月3万だし!」
「会社の子育て支援も日本一って言ってたもんね♡」
「サッカーチームできちゃうかも!」
「野球チームもいけるわよ!」
二人でゲラゲラ笑いながら抱き合う。でも妻の頭の片隅では、冷静な声がする。(実際は2人が現実的かな...でも、こういう勢いって大事よね。人類の歴史って、きっとこういうお花畑カップルが支えてきたんだわ)
「じゃあ早速、一人目いっとく?」夫がニヤニヤ。
「もう、バカ!...でも総理公認よね♡」
社宅の薄い壁の向こうから、同じような笑い声が聞こえてきた。
◇ キャバクラ「Club Rose」(開店前)
ホステスたちが控室でテレビを見ている。
《複数の子どもを持つことをご検討いただきたい》
「これで客減るかもね」誰かが冗談めかして言った。
「いや、逆に婚活需要で忙しくなるかも」
◇ Twitter - 18:17
@progressive_ken
これ完全にファシズムだろ
産めよ増やせよの再来
#総理辞めろ
@realist_777
ファシズムとか言ってる場合じゃないだろ
現実見ろよ
@infertility_alice
不妊治療5年目です
総理の言葉を聞いて泣いています
私には生きる価値がないということですか
(。•́︿•̀。) 5.2万いいね
◇ 記者会見室
総理は最後の部分に入った。
「我が国は、歴史上、幾多の困難を乗り越えてまいりました。明治維新、戦後復興、そして高度経済成長。いずれも、国民一人一人の努力と、家族の絆、地域の助け合いによって成し遂げられたものであります」
ベテラン記者たちが、神妙な面持ちで聞いている。
「今、我々は、新たな困難に直面しています。しかし、私は信じています。日本国民の叡智と、家族を大切にする心、そして互いに助け合う精神があれば、必ずやこの危機を乗り越えることができると」
◇ 記者会見室
石原総理は、最後の言葉に入った。
「最後に、改めて申し上げます。私たち政府の努力が、根本的な解決につながらなかったことに対し、深く遺憾の意を表するものであります」
総理は顔を上げ、カメラを真っ直ぐ見つめた。
「しかし今は、まさに行動すべき時であります」
「どうか、皆様一人一人が、ご自身と家族の未来のために、そして我が国の未来のために、真剣に人生設計をお考えいただきたい」
総理の声が、最後の力を振り絞るように響く。
「子どもを持つことは、負担ではなく、最も確実な未来への投資であることを、ご理解いただければ幸いです」
◇ 証券会社
《最も確実な未来への投資》
トレーダーが皮肉な笑みを浮かべた。「投資ならリスクもあるけどな」
◇ 記者会見室
総理は深く頭を下げた。
「国民の皆様のご理解とご協力を、心からお願い申し上げます」
談話が終わった。総理が壇上で深く頭を下げている。
一瞬の静寂。
そして、記者たちが一斉に声を上げ始めた。
「総理!質問を!」
「これは本気なんですか!」
「エイプリルフールの冗談では!」
しかし総理は、ゆっくりと頭を上げ、退場していった。記者会見は、この後に控えている。
◇ Twitter - 18:20(談話直後)
@osaka_obachan
あら〜総理さん正直やなぁ
でも正直すぎひん?w
@young_mother
2人目妊娠中だけど
3人目とか無理無理無理無理
@china_watcher
中国のSNSで早速「日本終了」がトレンド入りしてる件
@philosopher_jp
ついに近代的個人主義の終焉か
家族主義への回帰が始まる
◇ 官邸前 午後6時25分
総理が頭を下げている映像が、全国のテレビに映し出されていた。
官邸前には、まだ数人しかいない。談話を聞いていた近くのオフィスビルの職員たちが、窓から顔を出している。何が起きているのか、まだ誰も理解できていない。
最初に駆けつけたのは、霞が関で残業していた26歳の女性官僚だった。
「嘘でしょ...」
彼女はスマートフォンを握りしめたまま、官邸の建物を見上げた。入省3年目、激務の中で恋愛どころではなかった。上司は50代独身。先輩の女性官僚も半分以上が未婚。そんな職場で「3人産め」と言われても。
その横を、60代の男性が小走りで通り過ぎた。
「総理!よく言ってくれた!」
手書きの紙を掲げている。「日本を救う勇気ある決断」と殴り書きされていた。元商社マン、3人の子供と7人の孫がいる。年金だけが心配だった。
6時18分。二人は数メートルの距離で向かい合った。言葉を交わすことはない。ただ、それぞれのスマートフォンが、それぞれの仲間に向けてメッセージを発信し始めた。
「官邸前なう。許せない」
「官邸前にいる。総理を支持する」
6時20分。TwitterとLINEとInstagramが、異なる感情の渦を作り始めた。賛成派と反対派、それぞれのネットワークが別々に「官邸前集合」を呼びかける。
地下鉄の駅から、最初の集団が姿を現した。20代から30代の女性たち、約15人。即席で作ったプラカードには「私の人生は私が決める」。
その3分後、別の出口から年配の男性グループが現れた。「現実を見ろ」「総理の勇気を支持」。約10人。
常駐の機動隊員たちが、いつもより緊張した面持ちで警戒にあたっていた。官邸前には常に複数の機動隊バスが待機しているが、談話の内容までは知らされていなかった。急速に人が集まり始めたことに、隊長が無線で増援を要請し始めた。
◇ 婚活業界の激震 午後6時19分
渋谷のマッチングアプリ「Pairs」本社。金曜の夜、通常なら一日で最もアクセスが多い時間帯。しかし、この日は違った。
「アクセス数が...」エンジニアの田中が画面を凝視している。「1分で通常の1日分を超えました」
別のモニターでは、リアルタイムの登録者数が表示されている。通常は1時間に約200人。今、1分で1,000人を超えていた。
「サーバーが持ちません!」
CEOの山田は即座に判断した。「AWS、最大まで拡張。コストは後で考える」
同じ頃、丸の内の結婚相談所「オーネット」。
受付の鈴木美咲(28歳)の電話が鳴り止まない。既に30本以上の電話を受けていた。全て同じ問い合わせ。
「今すぐ入会したい」
「今夜、カウンセリングを受けられないか」
「3人産める相手を紹介してほしい」
最後の電話に、美咲は思わず受話器を握る手を止めた。3人産める相手。たった15分前まで、そんな条件を口にする人はいなかった。
「申し訳ございません。本日の予約は...」
美咲自身、2年前から婚活中だった。相手に求める条件は、年収、身長、学歴。でも今夜から、新しい条件が加わるのだろうか。「3人産む意志があるかどうか」
隣の席の先輩カウンセラーが、ため息をついた。
「28年この仕事してるけど、こんな夜は初めてよ」
◇ 江東区・山田家のリビング 午後6時20分
山田健太(34歳)と妻の陽子(32歳)は、1歳の息子を寝かしつけたばかりだった。テレビには、談話を終えて頭を下げ続ける総理の姿。
「3人...」
陽子がつぶやいた。健太は黙ってテレビを見ている。手元のビールは、さっきから一口も飲んでいない。
「うちの会社、育休取る男性まだ3%だよ」
やっと健太が口を開いた。
「私、やっと仕事復帰したばかりなのに」
陽子の声が震えた。この1年、どれだけ苦労したか。夜泣き、離乳食、保育園探し。ようやく軌道に乗り始めたところだった。
「でも」健太が言いかけて、止めた。
「でも、何?」
「いや...年金のこと考えると」
「それって、子供を年金のために産むってこと?」
二人の間に重い沈黙が流れた。隣の部屋から、息子の寝息が聞こえる。
「陽子の親は?」
「田舎だから、頼れない」
「俺の親も、まだ働いてる」
陽子がスマートフォンを手に取った。ママ友のLINEグループが爆発していた。未読が200を超えている。
「みんな、パニックになってる」
「当然だよ」
しばらくして、陽子が小さな声で言った。
「でも、一人っ子は可哀想かなって、前から思ってた」
「二人なら、なんとか...」
「三人は?」
「...分からない」
テレビが画面を切り替えた。『記者会見まもなく開始』
健太は立ち上がった。
「とりあえず、見よう。それから考えよう」
陽子は頷いた。でも、心の中では既に計算が始まっていた。保育園代、教育費、住宅ローン。そして、まだ形にならない二人目、三人目の子供の顔。
◇ 記者会見へ 午後6時30分
官邸の記者会見室に、重い足音が響いた。石原総理が再び姿を現す。
15分前とは、明らかに表情が違っていた。談話では原稿を読んでいた。今度は、国民の疑問と向き合わなければならない。
記者たちの目が、一斉に総理に注がれた。
そして、日本の運命を左右する4時間37分の記者会見が始まろうとしていた。
【第3章 完】




