表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/103

第2章 決断(3)◆4 志茂野創平との対決

◆ 4 志茂野創平との対決


3月16日 火曜日 午後2時 総理官邸 応接室


志茂野創平が、颯爽と入ってきた。


45歳。元IT企業経営者から不動産業に転身。3人の子供の父親。ジムと現場仕事で鍛えた体躯は、まるで格闘家のようだ。日焼けした顔と太い首筋から「不動産ゴリラ」と陰で呼ばれているが、本人はその見た目と頭脳のギャップを武器にしている。


「総理、緊急の呼び出しとは」


石原は単刀直入に切り出した。


「年金が2030年に枯渇します」


志茂野の表情が引き締まった。一瞬、目が泳いだが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「……藤原氏の試算ですね。私も独自にシンクタンクに分析させました。残念ながら、同じ結論でした」


石原は続けた。


「あなたの母親給付金が、致命傷になった」


志茂野の顔に複雑な表情が浮かび、しばらくの沈黙の後、重い口を開いた。


「総理、正直に申し上げます。私の誤算でした」


「誤算?」


「当初、私は一般会計からの支出を主張しました。しかし財務省は『これ以上の負担は不可能』の一点張り。そこで年金積立金を狙ったのです。『積立金が40兆円もある』と」


志茂野は立ち上がり、窓の外を見た。


「あれを使えば数年で底をつく。そうなれば、世論も味方につけ、財務省も追加の財政出動を認めざるを得ない。年金破綻という緊急事態を前にすれば、『基礎年金の国庫負担を守る』という大義名分で動くはずだと」


志茂野の声に、苦い後悔が滲んだ。


「まさか、本当に追加繰り入れを拒否するとは。官僚機構の硬直性を読み違えた。私の戦略ミスです」


「つまり、官僚に負けたと」


「いえ」


志茂野は首を振った。その目に、悔いとは違う、新たな闘志が宿った。


「私の本当の失敗は、もっと大きなビジョンを最初から提示しなかったことです。妥協してしまったことだ」


「ビジョン?」


「総理」


志茂野は、がっしりした体を前に乗り出した。


「子供は公共財です。次世代の年金を支え、イノベーションを起こし、国防を担う。それなのに、今まで子育ては『個人的な趣味』として親の自己負担に押し付けられてきた。これは明らかな市場の失敗です。最も重要な社会インフラである『人』への投資を怠ってきたのです」


石原は、志茂野の理論に驚いた。見た目とは裏腹に、彼は徹底した理論家だった。


「だからこそ、財源は国債で賄うべきだった。『未来投資国債』でも『人的資本形成債』でもいい。子供は将来の納税者です。投資として考えれば、リターンは必ずある」


志茂野の声に熱がこもった。


「日本が滅びるか、財政規律を守るか、どちらが大事ですか?必要なら日銀に国債を買わせればいい。異次元の金融緩和ができたのなら、異次元の少子化対策もできるはずです」


志茂野の本音が出た。彼は母親給付金を後悔していない。むしろ、金額も手法も、あまりに小さく、そして臆病だったと悔いているのだ。


石原は、談話の骨子を見せた。


志茂野は素早く目を通した。


「『できれば3人以上』……なるほど」


しばらく考え込んだ後、志茂野は顔を上げた。


「総理、これを言うのであれば、私の先ほどの話も入れていただきたい」


「財源の話かね?」


「はい。『子育ては社会全体の最重要投資である』と明確に位置づけ、『そのために必要な財源は、未来への投資として、大胆な財政出動をもって確保する』と約束してください。国民に負担を求めるなら、国家も覚悟を示すべきです」


石原は考えた。志茂野の主張は過激だが、一理ある。


志茂野は立ち上がった。


「総理、私個人としては、あなたの決断を支持します。父親として、日本の未来を憂う者として」


「しかし?」


「政党代表としては、別です。党内をまとめるのは至難の業でしょう」


「覚悟しています」


志茂野は、石原に手を差し出した。その手は分厚く、力強かった。


「少なくとも、私は最後まで閣内に留まります。ただし、批判の矢面に立つのは、総理、あなた一人でお願いします」


「分かっている」


二人は、固い握手を交わした。



◆ 5 塩田太郎との密談


3月16日 火曜日 午後8時 赤坂の料亭「花月」


石原は、創世党党首の塩田太郎と密会していた。


料亭の個室。障子越しに、庭の竹林が見える。風が吹くと、笹の葉がさらさらと音を立てた。


塩田太郎、68歳。石原より2歳年下だが、政界では大先輩だ。1950年代生まれの最後の大物政治家。父も祖父も政治家という、典型的な世襲議員。


「石原君」


塩田は、日本酒を注ぎながら言った。


「君は何を考えている」


「日本の未来です」


「抽象的だな」


塩田は、刺身を箸でつまんだ。本マグロの大トロ。一切れ3000円はするだろう。


「具体的に言おう」


石原は言った。


「年金制度の真実を、国民に語るつもりです」


塩田の箸が止まった。


「正気か」


「正気です」


塩田は、深いため息をついた。そして、窓の外を見た。


「石原君、政治とは何か知っているか」


「国民のために働くことです」


「違う」


塩田は、石原を見た。その目は、長年政界を生き抜いてきた者の、冷徹な目だった。


「政治とは、可能性の芸術だ。理想ではなく、現実を見る。真実ではなく、受け入れられる嘘を選ぶ」


「それでは、国民を欺くことになります」


「欺く?」


塩田は鼻で笑った。


「国民は真実なんて求めていない。安心を求めている。希望を求めている」


塩田は、日本酒を飲んだ。高級な大吟醸。一合5000円。


「私の父も、祖父も、そうやって政治をしてきた。国民に夢を見せ、希望を与え、そして選挙に勝つ。それが政治家の仕事だ」


「でも、もう限界です」


「限界?まだ大丈夫だ。少なくとも、あと10年は」


「いいえ、2030年には」


「知っている」


塩田が遮った。


「藤原とかいう若造の試算だろう。私も見た」


石原は驚いた。


「ご存じだったんですか」


「当たり前だ。私を誰だと思っている。30年以上、この世界にいるんだ」


塩田は、懐から煙草を取り出した。高級な葉巻。


「でも、だからといって、真実を語る必要はない」


「なぜです」


「パニックが起きる。株価は暴落し、円は紙くずになり、日本経済は崩壊する」


「でも、いずれは」


「いずれは、私たちはもういない」


塩田の言葉は、冷酷だった。


「石原君、君は70歳。私は68歳。あと10年生きられるかどうか。なぜ、私たちが泥をかぶる必要がある」


「次の世代のためです」


「次の世代?」


塩田は笑った。


「彼らには彼らの戦い方がある。私たちの仕事は、今を守ることだ」


二人は、しばらく沈黙した。


料亭の廊下から、仲居の足音が聞こえる。畳を踏む、優雅な音。


「石原君」


塩田が、真剣な表情で言った。


「考え直せ。今なら、まだ間に合う」


「申し訳ありません」


「君は、自分だけでなく、連立政権全体を道連れにするつもりか」


「そのつもりはありません。でも、真実を語らなければ」


塩田は立ち上がった。


「分かった。もう何も言わない。ただ、覚えておけ」


塩田は、石原を見下ろした。


「政治家に必要なのは、正義感ではない。生き残る力だ。君には、それがない」


そう言い残して、塩田は部屋を出て行った。


石原は、一人残された。


窓の外で、竹が風に揺れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ