⑦
オレ達は、トキワ隊長に頼まれた鉢の返却をするため、詰所を出て街へ向かった。
「さっきの、どう意味ですか?」
「さっきのって?」
振り返ったバショウ隊長は、マタタビの鉢植えを抱えて歩くオレを見てそのままププッと吹き出した。
「なんだかマタタビが歩いているみたいだね」
「どうせチビですよ」
「いやいや、かわいくていいと思うよ」
「そんな事はどうでも良くて! さっきの称号持ちの話ですよ。《カガチ》と《ミズチ》で何が違うんですか?」
「ああ……」
表面的な意味なら俺でもわかる。
《カガチ》とは家に与えられる称号。
《ミズチ》とは個人に与えられる称号。
《オオ虫ノ国》は称号をつける事によって、平民とそれ以外に大きく階級を分けている。
まず、王族は《オロチ》と呼ばれ、身分を証明するための宝玉を身につけている。
《斉放の君》と呼ばれるサンセ国王や、その兄弟、娘であるリア姫も《オロチ》の称号持ちだ。
英雄オルチアがそうであったように、彼の血を引く《オロチ》は白銀の長毛種である事が多い。
そして《カガチ》。
これは、百二十年前に英雄オルチアを支持し、国の礎を築く助けとなった者の家に、その助力への感謝として授与された称号だ。
《カガチ》の家にはかなりの財が与えられ、その子孫はみな裕福な暮らしを送っている。
そして《ミズチ》は、武勲をあげた個人に与えられたものだ。
確か第一部隊のトキワ隊長も《ミズチ》の称号持ちだったはずだ。
《カガチ》ほどの褒賞はないが、王直々に授与される《ミズチ》の称号は、何よりも名誉な事だとされている。
「さっきのトキワ隊長の様子だと……《カガチ》の称号持ちって、厄介なんですか?」
「おいおい、オレちゃま。もっと言葉を包んでくれよ」
「なんでですか?」
「誰がどこで聞いてるかわからないだろう」
「まどろっこしい言い方してどうするんですか? 中身が見えなくなるほど包んだら、伝わるもんも伝わりませんよ」
「オレちゃまは本当に、オレちゃまだねぇ」
バショウ隊長は肩をすくめた。
「まあ、おいおい分かると思うよ」
「はあ……それにしても、トキワ隊長ってあんな変な人だったんですね」
「まあ、そう言ってやるな。あいつも色々と背負うもんがあるんだよ」
バショウ隊長は少し目を細める。
「ああ見えてトキワのヤツ、いざリア姫様の前に立つと、ひと言も喋れなくなるんだ。緊張しちゃうんだろうね」
「え? まあ、それはそれで正解な気もしますけど」
あんな不審者みたいな姿、想い人には見せないに越した事はないだろう。
オレの言葉にバショウ隊長は優しく微笑んだ。
(ん……? これは……?)
バショウ隊長の表情に、オレはピンと来た。
「……もしかして、隊長。トキワ隊長の事……」
「……ん? んん?」
「いや、そうだったんですね。そうか……幼馴染同士ですもんね。三角関係なんですね」
「おい、待て。 三角関係? いや、違うぞ。全然違う」
「オレ、他人の気持ちを読むの得意なんです」
「全然読めてないぞ」
「やっぱり幼馴染って、厄介な関係ですよね!」
「……あのなぁ」
バショウ隊長は呆れたように肩を落とした。
そしてポツリと呟いた。
「まあ、厄介だと言うのは、概ね賛成だけどね」
イィイイイイィィィーン――……
バショウ隊長の横を、甲高い音をたてて《ヘビワタリ》が通っていく。
獣人国《オオ虫ノ国》は三つの大きな山を持つ。
西側にそびえる山、王都カーマインは、頂に王城を構えていて人口も多い。
人間国に近い東側の山は工業都市トープとして栄えているし、南の山ジョーヌは温暖な気候となだらかな傾斜地を利用して、大規模な農業地帯として発展している。
そして、この三つの山はそれぞれ空中索道――ロープウェイで結ばれていた。
人間国から入ってきた技術を元に改良して作られた物で、長細い箱が連なり、一度に大人数を運ぶ事が出来る。
もっとも、オレ達獣人はこのロープウェイを《ヘビワタリ》と呼んでいる。
遠目に見ると、連なった箱が蛇のようにウネウネと、ロープを伝って山へと渡っている様に見えるからだ。
故郷マルーンのマルーンから王都に来た時も、この《ヘビワタリ》に乗ってきた。
王都の街並みは、オレの育った竹林だらけの港町とは全然違う。
断崖に螺旋状の道が整備された王都カーマイン。
山肌に穴を開けてガラス戸を嵌め込んだ商店街は、かなり入り組んでいる。
けれど、一歩店内に入れば、細かなタイルや色とりどりの薄布で飾られた内装が、ランプに明るく照らされていて、ため息が出るほど美しい。
ただ、田舎と同じような風景もちらほら存在している。
一つはアコーディオン弾き。
あちらこちらの広場に立つアコーディオン弾きは、鍵盤を傷つけないように専用の爪キャップをつけ、美しくもどこか物悲しい音楽を奏でている。
菓子屋の店員もつけていた流行りの爪キャップも、元はアコーディオン弾きの使っていたものが、装飾品として広まったものらしい。
そして、もう一つ。
王都と田舎の似ている点は、そこかしこに植えられたマタタビの木だ。
「どこにでも植えられているんですね。マタタビ」
「まあそうだね。所詮はゲン担ぎなんだけどね」
「ゲン担ぎ……ですか?」
「マタタビには虫除けの効能があるんだけどね、それがまわりまわって『蛇除けの効果がある』と噂され、数十年前に家のガラス戸の傍にマタタビを植えるのがブームになったらしいよ」
「それでこんなあちこちに植えられているんですね」
「実際に蛇がマタタビを嫌うのかはわからないがね。白い花が可愛いいし、煎じて飲めば気分が高揚するとかで、見てよし食ってよし嗅いでよしの植物だよ」
「蛇を嫌ったり崇めたり、オレ達は忙しいですね」
オレの言葉にバショウ隊長はヒョイと肩をすくめた。
「まあ、《長虫信仰》がいまだ続いている種族なんて、もうあたくし共獣人ぐらいだろうけどね」
「え? じゃあ他の国では《長虫様》は――」
「ああ。迷信だとされてるよ」
「そうなんですか……」
《長虫様》。
それは魂の名前だ。
生物は、元々一匹の長虫――つまり蛇である。
毛皮をまといて獣となり、羽をまといて鳥となり、鱗をまといて魚となり、衣をまといて人となった。
これが、世界の共通の神話であり、四ヶ国の国名《オオ虫ノ国》《ハネ虫ノ国》《リン虫ノ国》《ラ虫ノ国》の由来ともなっている。
(元は全種族が信じていた《長虫信仰》が、他の国では廃れているなんてなぁ)
オレ達獣人は蛇を恐れている。
それは、毒でもって命を絶たれ、再び蛇の姿――つまり身体を失った魂の姿に戻されるからだ。
蛇は死そのものであり、また、オレ達の真の姿――魂の形でもあるのだ。
「俺は見た事ありますよ。《長虫様》の姿」
俺がそう言うと、バショウ隊長は眉毛をピクリと動かした。
「へえ、実物を?」
「はい。オレと幼馴染の二人で目撃したんで、確かです」
月明かりの中、行き倒れた旅人の亡骸から、スルリと這い出た一匹の《長虫様》……。
「普通の蛇だったんじゃないのかい?」
「それはないです。蛇の何倍も長かったんです。あの《長虫様》の姿は、絶対見間違いなんかじゃありませんでした」
「……なるほどね」
バショウ隊長は片手でポフポフと頬を軽く叩き、何やら考えているようだった。
(この人……本心がわからなくてやりづらいな……)
このままでは、探りたい事も探れない。
やっと『王の鉤爪』に入隊出来たというのに。
(ちくしょう……クロー、早く君を探さなきゃならないのに)
オレはバショウ隊長の後を追いながら、《長虫様》を目撃した月夜の晩の事を思い出していた。