④
「そういえば、随分と若い新入りが来ると聞いていたな。すまないね、すぐ気がつかなくて。君の事だったか!」
「いえ、オレの方もご挨拶が遅れました」
「君のような幼い獣人が入隊とはな。すまないな。故郷の家族と離れるのはさぞ寂しかったろう」
「——いや、オレそこまでガキじゃないんで」
「ん? いや、でも君、十かそこらだろ?」
オレは精一杯顔をしかめて「……十四です」と唸るように言った。
「そうだったか! すまないね。それじゃあ、これから背丈もぐいぐい伸びるだろう!」
トキワ隊長は朗らかに笑った。
(くそ……気にしているのに……)
「ミオ君だったね。辞令にはどこだと書いてあったかい?」
「どこ、というのは……」
「所属部隊だよ。配属先はどこなんだい? 第一部隊だったらいいんだけどな! 君みたいな才能ある若者は大歓迎だよ。さっきの身のこなしは素晴らしかった! でも最初は第四あたりがいいかな? あそこの隊長、面倒見がいいから——」
「第八です」
オレは、じっとトキワ隊長を見返してそう言った。
「第八部隊所属です」
トキワ隊長は、すぐに返事をしなかった。
けれど、オレ達のすぐ横から声が上がった。
「第八だと?……あの『もみ手部隊』に?」
そう言ったのは第一部隊の隊員だった。
オレ達の会話が聞こえたのだろう。
「おい、すまないが、口を慎しんでくれ」
「でも隊長! 第八の評判はご存知のはずでしょう?」
なおも言い募る部下を前に、トキワ隊長はため息をつき「すまないが——」と口を開く。
けれど次の瞬間、ハッと顔を引き締め、緊迫した様子で怒鳴った。
「おい! そこの男、様子が——!」
何事かと皆が隊長を向く。
トキワ隊長の視線の先には、先ほど捕えられたフードの男——。
(な、なんだ?)
第一部隊の隊員達も「お、おい、どうしたんだ」と慌てた声をあげた。
捕えられているフードの男が大きく痙攣しているのだ。
そして——。
「うがぁ、グぅ、ゴガッ……!」
フード男は大きくうめいたかと思うと、彼を縛り上げていた二人を投げ飛ばした。
「な……なんだアイツ?」
男は、焦点の合ってない目で宙を見つめながらメチャクチャに腕を振り回した。
口元の牙をつたって、よだれが地面にボタボタと落ちる。
(なんだ……どうしたって言うんだ?)
男は喚き声をあげて、崖の方へと走り出した。
完全に錯乱している。
「危ないっ!」
男の足が舗装された道の端を蹴り、空中へと飛び出した。
このままでは崖下に叩きつけられてしまう、と思ったその時だった。
シュルシュルと音をたて、何かが男の身体に巻き付いた。
(……! まさか蛇か?)
獣人にとって蛇は天敵だ。
死の象徴であり、畏れの対象。
その長い胴体を見ただけで、祖先から伝わる危険信号のせいか、ゾワゾワと全身の毛が逆立つ。
ところが、よく見ると男に巻き付いているそれは、禍々しい蛇などではなく、灰色の毛皮だった。
――生虜捕縛・《帯包み》
ぐるぐる巻きにされた男は、崖下にぶら下がり、今度こそ動きを封じられた。
まるで蛇に締め上げられた獲物のように、空中で痙攣している。
オレがあんぐりと口を開けていると、そこに涼やかな声が聞こえた。
「いやぁ、横槍を入れたようで申し訳ございませんね。第一部隊の諸君」
あたりの空気を変えてしまうような、ひょうひょうとした、不思議な声だった。
いや、実際に周りの空気はいっぺんしていた。
トキワ隊長以外の隊員達は皆、苦虫を潰したような表情を浮かべている。
(随分、嫌われているようですね、バショウ隊長)
灰の毛皮の端を街路樹に結び「これでヨシ」と頷いている女性。
赤く大きな瞳。
白灰の長毛。
縞は薄く、光の加減でなんとか青みを帯びた灰色の模様がうっすらと見えるぐらいだ。
第八部隊のえんじ色の制服を羽織っている。
第八部隊隊長、灰虎のバショウ。
オレの直属の上司。
彼女こそが、オレを菓子屋に向かわせた張本人だ。
「バショウ隊長……すまないが、どうしてここに?」
トキワ隊長が驚いた様子で尋ねた。
対してバショウ隊長は崖下を覗き込み、トキワ隊長に背中を向けたまま答える。
「いえね、ウチの新入りの戻りが遅くて心配で。探しにきたんですよ」
「入隊したばかりの子供一人、どんなお使いに行かせたんだい?」
「そこはホラ、大事なご用事で」
(何が大事なご用事だ。菓子を買いに行かせただけじゃないか)
すると、第一部隊の隊員の一人が怒りに満ちた声をあげた。
「どうせ《称号持ち》にへつらうための差し入れでも買わせたんだろう?」
(おお、すごい……よくわかってらっしゃる)
オレは心の中で彼に拍手を送った。
「僕達は王直属の治安部隊だぞ! 一部の特権階級への肩入れが許されると思うのか!」
「そうだ!」
他の隊員もバショウを睨みつける。
皆、伏せた丸い耳が後ろを向いている。
(うわあ、みんな随分とお怒りのようだ)
「あんたらがやってるのは《称号持ち》にとって都合の悪い事を闇に葬っているだけじゃないか!」
「ヘラヘラともみ手をするのが任務なんだろう」
なるほど、とオレは黙ったまま納得する。
(それでさっき『もみ手部隊』と言ってたのか)
「もみ手のしすぎで、手のひらの肉球が擦り切れているらしいじゃないか」
「第八部隊は嘘っぱちとはよく言ったもんだ」
「この隠蔽部隊!」
「そうだ! 二ヶ月前の『ヘビワタリ事件』だって――」
「ちょっと待ってくださいませ」
バショウ隊長はピッと手を上げると、「貴重なご指摘、ありがたく存じます」と微笑んだ。
「今後の参考にしたく、皆様からさらなるご意見を頂戴したい所なのですが……」
バショウはそこで思わせぶりに言葉を切った。
そして、ぐるぐる巻きにされて宙にぶら下がっている男の、さらに下を爪先でさし示した。
「あたくしの勘違いでなければですが、どうもあちらにグシャリと潰れていらっしゃるのは、先だって落下されている方なのでは?」
(ん? あちら? 先だって?)
彼女の回りくどい言葉に、オレ達は身を乗り出して崖下を覗き込んだ。
「本当だ……」
誰かがうめくように呟いた。
バショウ隊長の言う通り、崖の下には身体の四肢があらぬ方向に捻じ曲がった獣人の姿があった。
(あれは……どう見ても生きていないだろうな。間違いなく死体だ……)
「おい……すまないが、応援を呼んでくれ」
トキワ隊長が部下にそう命じる。
死体を引き上げるのには、人数が足りない。
バショウ隊長はちょっと肩をすくめて言った。
「あたくしが馳せ参じるのが遅れたら、あそこのグルグル巻きの男も、同じようにお陀仏だったわけですね」
「……何が言いたいんだい」
そう言ったトキワ隊長の口調は、苛立っていると言うよりは、どこか面白がっているようだった。
「いやいや、別に何か言いたいってわけじゃないですよ」
そう言うと、バショウ隊長は一つ咳払いをした。
「ともあれご安心を。その不祥事は、あたくしが未然に防いだわけですから」
第一部隊の隊員達は、バショウ隊長の回りくどく恩着せがましい言葉に顔をしかめる。
トキワ隊長だけが「すまなかった。助かったよ」と素直に感謝を述べた。
「礼には及びませんよ。困った時はお互い様。いつでも第八部隊にお任せあれ」
バショウ隊長はそう言ってニッコリと笑った。
「北の不祥事、南の不合理、東の不都合、西の不始末。この国の全部を、あたくしがお包みしますから」