②
「もう、そのくらいで」
女性の声に、クチナワ者がピタリと動きを止めた。
霞む目で、オレはそちらを無理矢理向こうとする。
銀色の月が浮かんでいた。
「そち共。余は、その黒虎が欲しい」
「……あ……あなた様は……」
クチナワ者達の戸惑う声が聞こえる。
「聞こえなかったのか。余は、そこのちんまりした黒毛が欲しいのじゃ」
聞く者を圧するような声。
命令し慣れている態度。
銀色に煌めくその美しき長毛の毛並み。
(この人は……まさか……)
するとその横から別の声がした。
「お前達、事情はわかっている。すまないが、あとはこちらに任せてくれ」
霞んだ目に映ったのは、金色の毛並みに炭のような黒模様の男。
(——トキワ隊長……)
「わからないのか。下がれ、と言ってるんだ」
白い隊服をまとったトキワ隊長は、聞いたことのない冷たい声でクチナワ者に命じる。
《王の鉤爪》の隊員が、暴行を受けている場所に遭遇しても、相手を捕らえようともせず、直立したままだ。
(やっぱり……この二人が黒幕なのか……)
「なあ、トキワ。この黒虎、どうやら勘がいいようじゃ」
「……勘が良い、とは……?」
「だから《ヘビワタリ》の事じゃ。どこから知ったのかのう。面白い黒虎じゃ。欲しいのう。余はこういう奴が欲しかったのじゃ」
「……お戯れを」
「そろそろじゃ」
銀色の獣人は青いローブを羽織っている。
その胸元には《オロチ》のみが持つことを許されている、輝く宝珠。
(この人が……現国王サンセ陛下のご息女……リア姫……!)
「そろそろトープの準備も整う頃じゃ。あそこではな、『竜』が飼われているのじゃ。のう、トキワ。そもそも『竜』とは何か知っておるか?」
「……いえ」
「『竜』とはな、人間国《ラ虫ノ国》に伝わる神獣だそうじゃ。蛇のようにうねり、魚のような鱗を持ち、鳥のように飛ぶ。そういった幻の生き物だそうじゃ。欲しいのう」
「幻……空想の生き物なのでしょう?」
ククッと白銀の姫は笑った。
「『竜』はな、口を開けて炎を吐くそうじゃよ。トープに眠る『竜』はどこに向かって炎を吐こうとしていると思う? ここじゃよ。王都じゃ。カーマインじゃ」
「……その『竜』というのは、トープの職人に作らせたあの……」
「ああ、もちろんそうじゃ。本人達は、よもや自分達の作った物が、王を狙うクーデターに使われるとは思っておらんだろうがの」
「その財源が、七人分の獣人だったわけですね」
「その通りじゃ! やはりトキワはわかっておるのう」
リア姫は「さすが黄金の騎士じゃのう」と含みを持たせるように笑う。
「獣人を七人ばかり人間国に売り渡し、その金で資材を買い、技術を買い、国家転覆を叶える兵器『竜』を手に入れたのじゃ」
「トープでは、ずっとそのような事が行われていた……」
「《ラ虫ノ国》の野心家の一人が、どうもこの国に興味を持っているらしい。金を出し、技術を出し、クーデターを後押ししているのじゃ」
「何故、そのような者と取引など……」
「やはり欲しかったのじゃ。王座がのう。他者の物だから欲しくなる。そういう事もあるじゃろうて」
「……ご自分が、王になる事を条件に《ラ虫ノ国》からの侵略を受け入れる、という事ですか」
「そういう事じゃ」
白銀の姫はそう言うと、シャラリとローブを揺らし、オレの方に近づいて来た。
「しょうがない子虎じゃの。こいつも一緒に連れて行こう」
「何を——!」
「では、どうするつもりか?」
反対しようとするトキワを彼女は制する。
「芝居であったら、ここは最後の見せ場ぞ。こいつにも、ぜひとも見せてやらんとな」
美しい月が近づいて、オレを覗き込む。
オレはその顔をにらみつけようとして……そのまま、意識を失った。
目の前が暗転する前に「すまない、すまないね」と言う声が遠くの方で聞こえた気がした。
♢ ♢ ♢
イィイイイイィィィーン――……
甲高い軋むような音に包まれながら、オレは意識を取り戻した。
頬の下に固い木の感触。
身体を起こそうとして、痛みに思わずうめき声が漏れる。
(ここは……どこだ……?)
オレは木製のベンチに寝かされていた。
起き上がると、目の前にあった大きなガラス窓に、オレの姿が映る。
身体に振動が伝わってくる。
「……動いて……いる……?」
真っ暗なガラス窓の外に目を凝らすと、ポツポツと明かりが見える。
それがカーマインの街明かりだと気がついたところで、声をかけられた。
「ここはね、ヘビワタリの中だよ」
バッと身体を翻してそちらを見る。
「すまないね。君が気絶している間に、ここに運び込んだんだ。王都カーマインを出発して、工業都市トープへと向かう空中索道——ロープウェイに君は乗っているんだよ」
穏やかな口調で彼は言った。
山から山へと結ばれた鋼のロープに、三両からなる細長い車体を伝わせる空中索道——ヘビワタリ。
「……なぜ、オレをここに連れてきたんですか」
「うん。すまないが、君には、全部説明した方がいいような気がしてね」
きらめく黄金の毛並み。
炭で描いたような美しい黒縞。
澄んだ青い目に白い隊服。
《王の鉤爪》第一部隊隊長トキワは、ゆったりとベンチに腰掛け、こちらを見つめている。
「今、ミオ君が乗っているここは三号車。ちょうどエチゴ家の子息が乗っていた——そして姿を消したとされる車両だね。ロープウェイ乗客行方不明事件。通称『ヘビワタリ事件』。その真相について……君は知りたいだろう」
「それはもちろん」
オレは即答する。
「この事件はね、本来は別の形をしていたんだ。思わぬトラブルのせいで、こんな歪な形になってしまったけれどね」
「トラブル、ですか」
「エチゴ家の息子を含む七名の《カガチ》。彼らはいかにして、閉ざされた空間から姿を消したのか……別に大した事じゃないのさ」
トキワ隊長はゆっくりと言葉を続けた。
「彼らはヘビワタリに乗ってから姿を消したわけじゃない。乗る前に姿を消したのさ」




